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名前も知らない兄を通して、父について考える。

 父からLINEがあって兄が亡くなったのを知った。
 兄と言っても父の前の奥さんとの子で、一度会ったことがあるだけで会話を交わした記憶もなかった。
 だから、知らせを聞いても何の感慨もなかったし、父に対する返信も考えてしまう部分があった。

 まず、僕は兄の名前を知らない。
 知っていることは父の前の奥さん(兄からすれば母親)は亡くなっていて、祖父母に育てられ広島に住み、34歳で心筋梗塞で亡くなった、それだけだった。
 仕事も趣味も交友関係も何も知らない。

 僅かに垣間見えるのは兄と父は良好な関係を築けていなかったこと、身体は元々弱かったらしいこと。
 また、LINEの文面から、もしかすると父は兄の葬儀にすら参列しておらず、兄は父を根本から憎んでいたのかも知れない、ということ。

 兄が父を憎んでいたか、は僕の憶測の域を出ないので、話を広げるつもりはない。
 僕が見える範囲で書けることは、父の人生の中では最初の結婚で生まれた子が兄である、ということ。
 そして、父よりも先に亡くなってしまったこと。

 父は僕に執拗なくらい長男であることを求めてきていた。彼の言い分としては父自身が長男であるにも関わらず、両親(僕からすれば祖父母)と良好な関係を築けずに縁を切ってしまったが為に「お前には長男として云々」というものだった。
 幼少期から僕は不思議で仕方がなかったのだが、父の言う長男――言い換えれば後継ぎだと言う僕は、姓「なんとか家」の系譜からは切り離されていて、「家はお前たちのものだから」と仰々しく言うその家は普通の一軒家で父が亡くなった後は事務的に処理されるだけだった。

 つまり、父が言う長男や跡継ぎ、家族ないし血というものに実体は一切ない。
 元からない、言わば彼自身が作り出した幻想に父は忠義を尽くすように生きてきた。
 我が父の弱い部分は、おそらくそこにある。

 昔、父と酒を飲んでいる時に好きな映画の話になった。そこで彼が語った映画はやくざ映画だった。名前は忘れてしまったけれど、やくざ映画で描かれる忠義と漢気に痺れ、憧れていることを滔々と語った。

 振り返って考えてみると父は両親、会社共に似たような理由で決別している。
 父の視点から見れば、二つともどうしてこんなに忠義を払い尽くしているのに、自分を評価してくれないんだ、となっていたようだ。

 けれど、忠義を払い尽くせば報われる世界は物語だけで、現実は理不尽で必ずしも望んだ結果が得られる訳ではない。
 現実は自分の幻想通りにはいかない。
 と平成に生まれた僕は思う。

 昭和の九州に生まれ、広島で青春時代を過ごし就職も広島だった父にとっては、別の常識と現実があったのだろう。それは僕から見れば幻想でも、父からすれば手触りのある確かなものだった。
 考えてみると、父の二十代は一九八〇年代と重なる。

 それがどういう意味かは想像する他ないが、父にとって両親、会社共に良好な関係を保っていられた時期は八〇年代で、彼にとって楽しい記憶もそこにある。

 僕は何か大きなものに忠義を尽くすことを、簡単に父の弱い部分だと書いたが、それはある時期までは正しく当たり前のことだった。
 父一人が弱い訳でも、間違った訳でも、おそらくない。
 ただ、どうしても僕は過去の記憶や今の常識で測ってしまう為に、父を尊敬していると心から告げることは難しい。

 それでも、一緒にお酒を飲む時には父の人生の話を聞こうと思う。以前よりも、もっと違った受け止め方も多分できる。

サポートいただけたら、夢かな?と思うくらい嬉しいです。