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第28回:GWで読んでよかった2冊を紹介します

ここ最近GW期間を中心に読んでよかった2冊を簡単に紹介したいと思います。わかっているようでわかってなかったことに腹落ちを感じられる2冊でした。

「ファイナンス思考 日本企業を蝕む病と、再生の戦略論」(著:朝倉祐介)

概要としては、PL/BS/CSといった財務諸表にはじまるファイナンスをちゃんと理解しよう!いう本なのですが、この本が秀逸なのは、ファイナンス「思考」という思考にフォーカスを当てている点です。ファイナンスについてわかっているようでわかっていなかったなと改めて自覚し、このタイミングで読めてよかった本でした。

小難しい会計の理論を勉強するのではなく、いかに日本にPL脳に陥った企業や経営者が多いのか、対照的にファイナンス思考だとどう捉えられるのかが丁寧に書かれています。ファイナンスとか会計とかは齧り学んだことしかない僕ですら、かなり丁寧に書かれているなと感じたので、初学者の人にも読めるように非常に練り込まれた一冊です。

逆に言えば「思考」についてしか主に触れていないので、財務諸表をちゃんと勉強したいのであれば、こちらの本とかを読むのがおすすめです。

この本が素晴らしいのは、いろんな有名企業の実際のケースをもとに、その不祥事の裏に実はPL脳が大きく起因していることや、成功の裏には優れたファイナンス思考があることが非常に具体的に書かれていることです。しかもわかりやすい。。。

個人的には、2015年に世間を騒がせた東芝の不正会計問題の説明がわかりやすくて唸りました。何が不正だったのかちゃんと理解できてないままにあのニュースを流してしまっていたのですが、マスキング価格による利益があるように見せるやり方の説明は非常にわかりやすく、特に図表33を見せられると納得でした。

他にも事例がたくさんあって、「かわいいは作れる」ならぬ「PLは作れる」という言葉は聞いたことはあっても理解できてなかったところ、とても腹落ちさせられました。

また、ファイナンス思考が日本において遅れている理由のひとつに、経営者が内部昇進者ばかりなので高齢者ばかりになってしまう、というのは納得でした。PL脳がマッチした高度成長期をモーレツに働いて支えてきた世代は未だにPL脳で経営しがちになるし、何より高齢でしか役員になれないのなら在任期間が短いので、必然的に会社の未来を見据える期間も短くなり、短期的な成果を重要視してしまい、長期的な単位で会社に影響を及ぼす決断のリスクがとれなくなってしまう、というのは非常に理にかなった説明でした。

課長→部長→執行役員→取締役と、出世の過程を単線的に捉えるのが、典型的な日本人のキャリア観ではないでしょうか。本来、取締役の責務は事業執行とは大きく異なります。
株主に対して責任を追うという意味においては、執行役員から取締役になることは、「昇進」というよりも「ジョブチェンジ」であり、「転向」と呼ぶほうがより正確なはずです。

このへんの課題感はとても共感できて、少し話題が逸れますが、エンジニアなどの技術者がキャリアアップする先がマネジメント職しかない給与テーブルへの違和感にも近いなと。キャリアアップすると求められるスキルや業務が全く違うのに、それを地続きの「昇進」と呼ぶのに違和感があったのですが、まさにこれも「ジョブチェンジ」ですよね。技術と営業のスキルが違うように、経営やマネジメントのスキルもまた全然違うものなのです。

日本の会社にはびこる単線的なキャリアアップの枠組みが、日本にPL脳が残り続ける一因となっているのは、非常に構造的な問題だと思いました。

振り返ると、自分自身も仕事をするうえで、目の前の短期的な物差ししかみておらず、PL脳になっていたなと思う場面もしばしば。ファイナンス思考とは、長期的視座、メタ的な視座をもって会社の持っている資産や価値を見極める思考だなと解釈しました。


「魔法の世紀」(著:落合陽一)

メディアアーティスト、と呼ばれるし自称してる落合さんですが、僕はちゃんとメディアアートについて理解してませんでした。メディアアートについてわかっているようでわかっていない自分に必要な一冊でした。

先に一言添えておくと、この本はメディアアートについてがテーマではなく、近代のコンピュータの変遷やメディア史を振り返りながら、映像中心の20世紀から、21世紀はコンピュータにによる魔法中心の世紀になること(ここでいう魔法は単なるメタファーではなく社会学的な魔術化の議論につながってます)を順を追って説明する内容です。

例えば僕がイメージする現代の美術、つまり前衛的、先進的だと言われるアートは、何かしら既存の概念を異なる角度で捉えるというものでしたが、そういうコンテクスト(文脈)に反抗するような文脈ありきのアートはコンテポラリーアートというそうです。僕のなかで落合さんのアートもそういうものかなと思ってましたが全然違いました。

絵や音楽など、アートにはそれを伝える媒体(メディア)がありますが(「それ」はメッセージだったり、コンセプトだったり)、その媒体のことを著者は「メディア装置」と読んでおり、アートを伝えるという意味でひとつのメディアとして認識しています。

著者の考えるメディアアートは、メディアそのものを新しく創り出す行為のことであり、そこにはコンテクストに沿うor抗うの話ではなく、コンテクストを超えた次元での原初的な驚きや発見を見出すアートのこと。この説明が正確かどうか、伝わるのかどうか微妙ですが、僕の理解ではそういう意味でした。

そう考えるとメディアアートとテクノロジーの親和性は非常に高いし、落合さんが何をやりたいのかも少しイメージが湧きました。落合さんの本や動画は見ていましたが、メディアアートの意味をわからないままだったので全然理解できていなかったことを実感。

何より、メディアの視点から社会を捉えて、そこにテクノロジーがどう作用してきたか、していくかを見る手法は、いまの社会を正確に捉える上でもとても意義の大きいものではないでしょうか。この視点は今までの僕は持ってなかったので、新しい物の見方が広がった気がします。


以上、2冊、おすすめです!


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