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なぜ対話に傾聴が必要なのか?

2月にとある講座で「対話」についてゲスト講師とお話しする仕事があり、今その内容を整理している。

主催されてる方から、ぜひ中尾さんには傾聴についてもお話しをお聞きしたい、傾聴と対話の関係を聴いてみたいとリクエストをもらったので、ぜひそれに応えてみたく、自分でも改めてその部分を掘り起こして言語化している。

僕の中では、以前は、対話は問いから生まれると思っていたのだけど、傾聴や「聞く」を学んでいく中で出会ったのは、問いという形になっていなくても、ある人の「語り」を聞いただけで、僕の中で「問われた」ような感覚になる、つまり今まで当たり前だと思っていたことを「本当のところはどうなんだろう?」と考えを巡らせ始めることが起きることがわかって、対話は問いだけじゃないんだ、本質は人が語る「物語」の中にあるのかもしれない、と思い始めた。

問いと物語の関係でいうと、最近はっきり感じ始めたことは、問うことで人は物語を語り始め、物語を語ることで見えてくるものは「意味」なのんじゃないかと。それをする意味、僕がここにいる意味、働く意味、学ぶ意味、生きる意味、あなたといる意味、などなど。問うことを通じて、つまり対話を通じて僕がやっていきたかったことは、「意味」に出会うことだったのでは、と思うようになった。そして「意味」に出会うには、それぞれがそれぞれの感じるところで「物語」を語る必要がある。

だから、僕の中で、対話をすること、問うことは、物語を語ることであり、物語を聴くことであり、そのためには傾聴が必要だった。

傾聴を学びたいと思ったのは、ある時から対話がものすごくつまらなくなって、それはきっとそこに人の物語が感じられ無かったからだなと今でははっきりと思える。それは、僕が目の前の人の物語を聴く技術がなかったのもそうだし、本人も自分の物語を語る(自分に聴く)技術や姿勢がなかった。

言いたいことだけを言ってても対話にはならない。いや、対話になってない時というのは、言いたいことを言ってないんだ。たいして言いたいわけでもないことを、さも言いたいかのように語っている。本当はもっと言いたいことがあるんだ。

「意味」を問う。なぜあなたはそれを語るのか?

あなたが本当に語りたいことは何か?
それはなぜか?

そこにあなたの生きる意味がある。
意味が見えてくる。
意味に出会える。

物語を語ろう。

物語を聞き合う中で生まれるエネルギーの渦を、僕は対話と呼んでいる。

さとし

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