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東京百景、はじまっている

又吉直樹さんの書く文章が好きだ。彼の“東京百景”というエッセイ集に、こんな一節がある。

前々から計画的に東京で生活することを考えていたわけではなかった。(中略)家族や友人からすれば突然思い立ったように見えただろう。だが自分の中では抗いようのない必然的な流れがあったと感じている。
“東京百景”_又吉直樹

私もまさにそんな感覚で、梅雨をすっ飛ばして訪れたせっかちな今夏に、背を押されるようにして実家を出た。
7月からひとり暮らしをしている。

起きてすぐ音楽をかける、顔を洗う。トーストと卵を焼きながら、コーヒーを淹れる。アイスコーヒーは、水出しより冷やしたものより、ギチギチの氷で急冷するのがいちばん美味しいって、最近知った。

牛乳買って帰らなきゃ、今夜こそ洗濯機を回そう。

出勤前から退勤後のことを考えている自分に苦笑いして、そういえば母も朝ご飯を食べながら夕飯の献立を話していたなと思い出す。こういうことか。
実家にいた頃、家事はすべて母がやってくれていて、私は仕事や友人との予定など、家の外のことしか考える必要がなかった。

あーそうか。母が、私の生活の輪郭を整えてくれていたんだね。

今朝

ご飯をつくる、服を洗う。週末はシーツを干して、床を掃く。生活を“やる”という感覚が、おもしろくて仕方ない。
実家での穏やかな生活も心地いいものだったが、自分で整えていくのは、より快適であり、それ以上に誇らしくもある。

部屋と家電と、気に入った家具を揃えたら、貯金がだいぶ減っていた。
預金残高を見て一瞬ひるんだけれど、後悔はない。むしろ「気に入りだけに囲まれて暮らしたい」という我儘を自力で叶えられて、かなりの達成感に浸っている。

親元を離れて自立した。
それだけで、色んな部分のプライドがだいぶ充たされた気がする。
思うに“自己肯定感”とは、特別なにかを成さなくては得られない、わけではないのかもしれない。
後ろめたさや負い目を減らすだけでも上がるものなのではないか。
いいことに気づいた。幸先いいね。

東京に住んでしまったらそれだけで不幸になる気がして、4年間地元から通い続けていたけれど、いざ出てみたらそんなことなくて驚いている。
この調子でがんばれ私。みんな置いて出てきたんだ。書くしかないよ。

都会らしくない静かな街の、小さな1Kで。私の東京百景、はじまっている。

読み返したりしてね
全ては自分で決めたことだから、誰のせいにもしてはいけない。自分で好きな道を選んで良い時は遠慮しない。誰にも気なんて遣わない。その代わり大人になった今、全ての責任は自分にある。
“東京百景”_又吉直樹

#又吉直樹  #くるり #一人暮らし #20代 #エッセイ #夏だからやってみた

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