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Never〜そんな日は決して来ない〜

映画「ザ・メキシカン」の中で、リロイというゲイの殺し屋が愛について語るシーンがある。

『本気で愛し合っているふたりがうまくいかないとき、いつ本当の終わりが来ると思う?』

結婚間近で彼氏と喧嘩別れしそうになっているヒロインに、そう語りかけるのだ。

リロイは、人質として捕らえたヒロインの恋愛相談に乗ってしまうような、殺し屋にしては優しすぎる男だった。


なまりのように重くて鈍い怖さや、漠然とした不安を抱えて、目を瞑っても眠れなくて。

いてもたってもいられずに、けれど、どこにも行けずに。

真夜中にリビングのテレビをつけて、ただ流れている映画を見ていた小学生のころ。

家族が誰も起きないように、テレビのボリュームは3。

字幕に流れる文字を逃さないように、テレビの真ん前でその答えを待った。


別れてしまったら、離れてしまったら、きっともう元に戻ることはないだろう。

お互いの嫌なところを散々晒して、激しく喧嘩したり。

顔も見たくないと、拒絶してしまうような相手だったり。

笑い合っているだけじゃ、暮らせないような相手だったり。

いくら話し合っても、ちっとも分かり合えない相手だったり。

本気で愛し合っていても、一緒に居られないふたりはこの世にいくらだっている。

どの時代にも、ありふれている。

はじめましてとさよならと繰り返すのが、生まれた生命の運命だから。


さて、どんなありふれた言葉がリロイの口から呟かれるのか。

私は、なんの期待もなく待っていた。


『Never』


リロイはひどく悲しそうな目をしながら、ヒロインにそう言った。

恋人を失ったばかりの、愛を失ったばかりの男だ。

失意のなかにいて、形にも残らなかったそれを信じている台詞。

私にとっては衝撃的だった。

一度失ってしまったら、二度と戻らないものだってあるだろう。

『そんな日は決して来ない』

一瞬で消えてしまう字幕の一言が、いつまでも私の頭から離れなかった。


その頃の私には、理解できない愛のカタチ。

しばらく探してみたけれど、私の周りにそういう愛のカタチは存在していなかったから。

けれど、その一言をついに忘れることはできなかった。


そして、ある時ふと思った。


あぁ、愛し合っていないからだ と。

相手を愛する自分が、今はどこにもいないだけなのだ。

自分を愛する相手が、もう目の前にはいないだけなのだ。

だから、愛し合うふたりに決して終わりは来ない。

終わりが来るならそれはきっと、愛し合っていないからだ。


そして私は妙にクリアになったのを覚えている。

始まるものには終わりがあるという私の固定概念は、少しだけ溶かされた。

そこに気持ちがある限り、愛し合うふたりは存在する。

そういう愛のカタチもある。

終りが来るのは、どちらかが相手を愛することをやめたから。

お互いが相手を愛していれば、きっと終わりなど来ないのだ。

それはきっと、愛だけじゃない。

自分の気持ちが、愛が尽きないかぎり、終わりが来ないものもある。


いまの私は、そういう、形のないものを信じている。

信じる心がある、いまの自分を、揺るぎなく信じている。

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