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Zへのメッセージ(7)(2022)

9 批評は「地の塩」
 こうした状況において必要なのは物語以上に批評です。けれども、大手の文芸氏は新人の批評家のリクルートを注視しています。もっとも、80年代までと違い、大批評家を登場させにくいことは確かです。少し歴史を振り返ってみましょう。

 実存主義が思想の覇権を握っていた頃、「主体」がキーワードで、思想家は「アンガージュマン」に取り組んでいます。それを批判して登場した構造主義は「主体」が同一性の暴力を秘めているとして「差異」を提唱するのです。フェルディナン・ド・ソシュールの「恣意性」に触発された彼らは「社会参加」ではなく、「差異」の実践として「異議申し立て」を試みます。

 その後の展開は大きく二つの流れがあります。一つはポスト構造主義で、これは構造主義のラディカリズムです。構造主義の異議申し立てを徹底化した彼らが見出した世界が「ポストモダン」です。もう一つは主体の復権です。彼らは構造主義の批判を踏まえ、公共性の再検討に臨みます。

 この二つの流れに共通するキーワードが「他者」です。「他者は」自己と非対称的な関係にあります。それは自己との同一化を拒みます。そこで求められるのが倫理です。長らく無視されてきた宗教的な理論や概念を思想家たちは盛んに引用し始めます。

 この三つのキーワードは日本のスター批評家のテーマに合致します。「主体」は吉本隆明、「差異」は山口昌男、「他者」は柄谷行人です。大批評家の登場はこうした思想潮流と無縁ではありません。

 しかし、90年代に入ると、状況が変わります。「他者」をキーワードにして思想が展開されるにつれ、それが単数ではないことに気がつくのです。他者にも他者がいます。それは複数であり、空間は言うに及ばず、過去にも未来にもいるのです。他者の連鎖は無限に続きます。そうなると、他者を一般化して論じることが困難です。各々の他者に個別対応する必要があります。これにより思想が錯綜するのです。当然、大思想家は登場しにくくなります。専門性の高い研究者が協同して個々の諸問題を通じて思想を語らざるを得ないのです。

 こういった状況ではかつてのようなカリスマ批評家もなかなか出現できないでしょう。専門性の高い文学研究者による評論が文学シーンにはびこるようになります。当然、彼らは小粒です。批評家はジャーナリズムとアカデミズムを兼ね備えている必要があります。「社会の中の文学」がかつてないほど求められる状況ですから、専門性に偏っていては不十分です。蓑田浩二のように、打ってよし走ってよし守ってよしの3割30本30盗塁の批評家が必要なのです。それは「メタ批評」としての批評です。

 ずいぶん長くなってしまいましたが、この辺で終わりに致します。小林秀雄は、先に触れた『Xへの手紙』を次のように閉じています。

 ではさよなら。君が旅から帰る日に第一番に溜りで俺と面会しよう。俺は早くから行って君を待っている。だが俺が相変らず約束をうまく守れない男でいる事を忘れてくれるな。俺は大概約束を破って了う様な事になるだろうと心配している。だけど君はどうしても来てくれなくてはいけない。俺は君の来てくれる事を信じているのだから。
 ではさよなら、──最後に一番君に言いたい事、どうか身体を大事にしたまえ。

 今日ではネット上だけの交流も少なくありません。インフレやパンデミックも続いていますし、残念ながら、あなた方と直接会う機会はないでしょう。そういえば、小林秀雄の頃と比べて、現代人の方が時間にルーズです。遅刻しそうになったら、携帯で連絡できます。感覚は空間的に広がり、仕事の時はともかく、時間的に緩んでいるように思えます。

 あなたがたZ世代に向かって「どうか身体を大事にしたまえ」とはやはりいきません。それよりも、文芸批評家平野謙の『文藝評論家とは』を引用して批評家が「地の塩」であることを考えて欲しいと思いつつ、これで失礼することに致します。

 新聞や雑誌に原稿を依頼されるとき、その末尾に編集者によって「筆者は文藝評論家」と注されることがある。そうした場合、私はしばしばふうむ、ブンゲイヒョウロンカか、とつぶやくことがある。私は東京の有名な書店の店員が文芸評論という普通名詞を全然理解しない経験にぶつかったことがある。その男はハッキリいった。「文芸評論?──雑誌はむこうのたなにならんでおりますが」と。
 作家、小説家という職業ならすぐ世間にとおる。学者という社会的身分も知れわたっている。しかし、文藝評論家とは?作家でも学者でもない、ウロンな職業にすぎない。私の故郷きってのインテリは私にいった、「あんたも政治評論家をやっとりあ、よかったになあ」と。
 本多秋五が《文学》二月号に百枚ほどの作家論を発表している。創見にみち、筆者がこの数年来苦労して探求している近代文学史の骨骼さえすけてみえる力篇である。私はこの作品にかけられた歳月、発表にいたるまでの経緯、それにしばられた稿料のたかまでおおよそ推量できるが、その推定には怒りに似た感情をともなわざるを得ない。
 もはや小説書きは「逃亡奴隷」ではない。文学の地の塩だったその栄誉は、今日文藝評論家の手に移りつつある、というのが近来の私の感想だ。
〈了〉
参照文献
戒能通孝、『法廷技術』岩波書店、1952年
小栗康平、『映画を見る眼』、日本放送協会出版、2005年
恩蔵直人、『マーケティング論』、放送大学教育振興会、2008年
小林秀雄、『Xへの手紙・私小説論』、新潮文庫、1962年
同、『小林秀雄書記評論集』、岩波文庫、1980年
張文成、『遊仙窟』、今村与志雄訳、岩波文庫、1990年
平野謙、『平野謙全集』13、新潮社、1975年
ノースロップ・フライ、『批評の解剖〈新装版〉』、海老根宏他訳、法政大学出版局、2013年
森毅、『数学の歴史』、講談社学術文庫、1988年
同、『ぼくはいくじなしと、ここに宣言する』、青土社、2006年

Tom Jeffery , ‘Britain Needs More Democracy After the EU Referendum, Not Less’, “HUFFPOSTt,” June 27 2016 01:13pm BST(Updated June 28, 2017)
https://www.huffingtonpost.co.uk/tom-jeffery/britain-needs-more-democr_b_10699898.html
吉田徹、「ポスト真実――フェイクニュースに抗するジャーナリストたちの闘い 第3回」、『imidas』、2019年6月25日配信
https://imidas.jp/cinema/?article_id=l-84-003-19-05-g452
西田健作、「中国・唐の伝奇小説『遊仙窟』 最古の写本、99年かけて後半発見」、『朝日新聞デジタル』、2022年8月18日 15時00分配信
https://www.asahi.com/articles/ASQ8L3V87Q89PLZB00W.html
チャールズ・ブロー、「(コラムニストの眼)中間選挙、破滅への道を拒否」、『朝日新聞デジタル』、2022年1月18日5時00分配信
https://www.asahi.com/articles/DA3S15477147.html
「米中間選挙で存在感を示したZ世代 暗号資産FTX崩壊で大打撃」、『デイリー新潮』、2022年11月21日11時01分配信
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/11211101/
林未来、「(記者解説)マルチ商法トラブル 『モノなし』売買、若者の間で拡大 さいたま総局・小林未来」、『朝日新聞デジタル』、2022年11月28日5時00分配信
https://www.asahi.com/articles/DA3S15486296.html
「春秋」、『日経電子版』、2022年12月3日0時00分配信
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK024W90S2A201C2000000/
「Z世代の男性向け化粧品 花王」、『朝日新聞デジタル』2022年12月6日5時00分配信
https://www.asahi.com/articles/DA3S15494327.html
石田祐樹、「バーグルエン哲学・文化賞、柄谷行人さんが受賞」、『朝日新聞デジタル』、2022年12月9日5時00分配信
https://www.asahi.com/articles/DA3S15497447.html
「中国版チャットGPT、百度が開発 党と異なる見解、表示できぬ弱み」、『朝日新聞』、2023年3月21日5時00分配信
https://www.asahi.com/articles/DA3S15587096.html

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