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昔ばなしと社会的メッセージ(4)(2018)

第7章 神話系と民話系
 現存する昔ばなしは近世に生まれたり、江戸時代を舞台にしたりするものが多くを占めます。これは直感的に考えれば、古いものより新しいものの方が残りやすいからとなるでしょう。しかし、それだけが理由ではありません。古いものが残存する確率は経過時間の短さの他に、総体量の多さや環境のよさによっても高くなります。近世は昔ばなしが生み出されやすく、語り継がれやすい状況があるのです。
 
 柳田國男が民俗学的遡行でたどれるのは室町時代までと言っているように、この時期に歴史的断絶があります。昔ばなしは、おおよその誕生時期や作品舞台から室町時代の前後で歴史的に二分できます。前者を神話系、後者を民話系と呼ぶことにしましょう。
 
 能や狂言、茶の湯、生け花といった日本の伝統芸能の多くは室町以降に誕生しています。それ以前に生まれたものは、和歌などを除けば、庶民への広がりがなく、伝承が極めて限定的です。伝統芸能と言うよりも、蹴鞠がそうであるように、文化遺産と見なす方がふさわしいでしょう。
 
 古代や中世において社会は上中下の三つの階層によって構成されています。上は公家や朝廷、中は武家や幕府、下は町や在地です。他に寺家や寺院があります。ただ、これがどのように他の階層と関係しているのかは学問的テーマですので、ここでは省きます。
 
 室町以前はこの三階層の相互交流が乏しく、それぞれ比較的自立しています。例えば、鎌倉時代、武家は統治権力を握りましたが、文化的覇権は依然として公家の下にあります。そんな貴族は武士や庶民を見下しています。また、武士は、貴族と違い、全般的に教養がなく、庶民を搾取の対象としか見ていません。そもそも貴族の文化は遺産として今日まで伝わっています。けれども、民衆文化はよくわかっていないのです。
 
 と同時に、上層の文化も草の根を持っていないため、特定階層との結びつきが強く、社会構造の変化によって衰退しています。今日、日本文化を代表する一つとされる『源氏物語』ですが、執筆当初、それを読める人数はおそらく5,000名もいないでしょう。鎌倉時代の初期で日本の人口はおよそ500万人と推定されていますから、本当に僅かです。しかも、江戸時代に版本として出版されるまで、一部の人たちに知られているにとどまっています。
 
 室町以前に生まれ、あるいは舞台にした昔ばなしは神話や伝説、風土記、軍着物、物語、仏教説話などに由来します。主な登場人物は神々や英雄、帝、貴族、姫、武者、高僧などです。有名な人がほとんどで、庶民が主役の話は少数です。文字テキストとして後世に伝わったものも少なからずあります。また、後の庶民にも平家語りや説教、踊り、舞台、口伝えなどを通じて認知されています。
 
 一方、室町時代に入ると、階層をめぐる状況が変化します。三つの階層が相互に交流します。文化現象が特定の階層にとどまらず、全体に浸透します。特定の階層との結びつきを弱めますから、ある層で文化が生まれると、それは他でも共有されます。社会構造の変化に強く、時代が変わっても伝承されやすくなります。特に、数の多い庶民が草の根となり、それを社会に定着させ、世代や地域を超えて継承させていきます。今日の伝統芸能はこうした共時的・通時的共有に基づいています。
 
 この状況を端的に表わすのが一休とんち話でしょう。これは一休宗純(1394~1481)をめぐる少年時代の逸話です。一休は室町時代の臨済宗大徳寺派の僧で、詩人でもあります。『一休和尚年譜』によると、母は藤原氏の出身で、南朝の高官の血筋です。後小松天皇の寵愛を受けたものの、帝暗殺計画の疑いにより宮中を追われ、一休を産んでいます。
 
 一休は6歳で京都の安国寺の像外集鑑に入門しています。早くから文才に秀で、13歳で『長門春草』、15歳の時に『春衣宿花』を創作、いずれの漢詩も洛中で評判になっています。とんち話は早熟の天才の逸話というわけです。
 
 一休とんち話のすべてが実話であるかどうかは重要ではありません。また、伝承の過程で中世以後に付け加えられたかどうかも同様です。社会階層の相互交流が物語の前提になっていることを見るべきです。主人公の一休さんは帝につながるような血筋の小坊主です。登場人物は将軍足利義満から名もなき町人までいます。しかも、一休さんに将軍もとんち勝負でやりこめられています。物語世界に上中下の階層が混在し、階序が転倒さえしています。
 
 民話系の登場人物は、武士や僧侶もいますが、圧倒的に庶民です。しかも、その庶民も多種多様です。物乞いから長者まで登場し、人物造形も豊かです。室町以前の昔ばなしにおいて、庶民が個性的に扱われることはあまりありません。室町に昔ばなしの断絶があるのです。
 
 ところで、「一寸法師」や「浦島太郎」など今でもよく知られている昔ばなしは『御伽草子』が元ネタということが少なくありません。これは、14~17世紀、すなわち室町から江戸時代前期の300年間に亘って伝承を書籍化したものです。文字だけでなく、挿絵も入っています。平安時代から始まる物語文学の最後を飾るものでもあります。『御伽草子』には約400編ほどがありますが、現在も新たな作品が発見されています。室町時代のお話が中心であるため、『室町物語』とも呼ばれます。

 「御伽」は「お伽」や「おとぎ」と記すこともあります。また、「草子」は「草紙」とも表記されることもあり、書籍の意味があります。口承文学が文字文学として伝えられてきたというわけです。

 平安時代に始まった際の物語文学は、『源氏物語』が示しているように、貴族を主人公にした長編のラブロマンスです。鎌倉時代に入ると、公家に代わって武士階級を主人公とした漢語が多用される軍記物語が出現します。その代表が『平家物語』です。さらに、『宇治拾遺物語』のような説話文学も盛んになっています。ところが、室町時代を迎えると、従来の物語を踏まえつつ、短編で、登場人物・題材・表現などが多種多様に拡張されたお話が現われます。

 特徴を要約すると、短編性・説話性・当代性(同時代性)・教訓性・諧謔性などになります。非常に平易な文体で、場面や情景、人物の描写を比較的省き、事件や出来事の展開が主に語られます。つけられた絵により場面を画面として理解できますので、文章表現は簡潔で構わないのです。また、登場人物も庶民だったり、擬人化した動物や超自然的存在だったりします。さらに、場面も外国だったり、異界だったりします。そうした物語軍を集めたのが『御伽草子』です。

 『御伽草子』は、登場人物・舞台から、公家物語・武家物語・仏教物語・庶民物語・異類物語・異国異郷物語に分類されます。「異類」は人間や神仏以外の動物や超自然的存在のことです。また、「異国」は中国やインド、「異郷」は想像上の異世界をそれぞれ指します。多種多様な物語軍が『御伽草子』に集積されています。昔ばなしはこの『御伽草子』の系譜にある物語です。

第8章 仏教と昔ばなし
 日本思想史には、室町時代を境に大きな転換があります。それは仏教の思想家が中心の座から降りていることです。日本の思想史は、飛鳥時代からほぼ1,000年間、仏教が本流を占めています。日本思想史は半分の時期が仏教思想の歴史と言っても過言ではありません。
 
 ところが、室町時代は、その前の鎌倉と比較して、大思想家が登場しません。『花伝書』の世阿弥はそのスケールにおいて親鸞や日蓮に遠く及びません。三階層の相互交流が進む室町に、大思想家が登場しにくくなっています。さらに、近世に入ると、儒学と国学が思想史のメーンストリームで、仏教思想は極めて限定的です。
 
 しかし、室町以降の状況を仏教の衰退と見るべきではありません。室町以前は仏教が日本社会に浸透するために、大思想家を必要としています。広く布教したり、関連施設を建設したりするには上中という支配者層に食いこまなければなりません。教養に裏打ちされ、理論闘争に強く、行動力もあり、カリスマ性を備えた僧侶でなければそれに対応できません。偉大な仏教思想家が登場するのも当然です。
 
 室町時代、仏教はすでに支配者層に定着しています。しかも、三階層が相互交流していますから、被支配者層にもそれが浸透しやすくなります。もちろん、庶民への布教は鎌倉時代にも行われています。しかし、定着はなじむことですから、世代交代を経て進むものです。こうした状況ではもはや仏教は偉大な思想家を必要としません。
 
 近世に入ると、寺受け制度もあり、仏教が庶民生活に完全に組みこまれます。江戸仏教は「葬式仏教」と揶揄されます。本来の姿を忘れて、葬式の際にだけ必要とされる形骸化した仏教ということでしょう。しかし、この見方は共同体にとっての宗教が何たるかを理解していない愚見です。
 
 世界的に見て、共同体にとって最も重要な宗教は死を取り扱います。人間以外の生物も死を迎えます。死ねば野ざらしになり、自然に帰ります。けれども、人間は葬儀を通じてその死を時間的に加工します。例えば、火葬なら、放置された場合より短時間で骨になります。葬儀はその人が人間であることを示すものですから、それを取り扱う宗教は共同体にとって最重要なのです。
 
 葬式仏教は仏教が庶民の間に完全に定着したことをむしろ物語ります。実際、江戸時代には寺院が所蔵していた美術品や書籍などの文化・信仰財産を庶民にも公開しています。これは江戸の文化に大きな影響を与えます。
 
 社会的定着は仏教が道徳的規範として庶民に共有されたことを意味します。地縁血縁だけでなく、仏教も共同体の共通基盤です。
 
 近世の庶民にとって最大の関心事はどうしたら極楽浄土に行けるかです。個々にはそれぞれの事情もありますが、全般的に言えばそうです。極楽や地獄に触れた昔ばなしは非常に多く、挙げきれません。実際に、新潟県の『後生買い』など極楽行きを願う登場人物のお話も少なくありません。
 
 庶民は平均寿命が短く、厳しい年貢の取り立てや劣悪な労働環境での奉公など無理と緊張を強いられる日々を送らざるを得ません。昔ばなしの家族規模が小さいのはこういった背景を反映しています。当時は貧困による独身も多いのです。
 
 日本には、世界の他の地域同様、先祖祭祀の習慣があります。しかし、すべての死者が先祖になれるわけではありません。いくつかの条件があります。子どもは家に貢献していませんから、亡くなっても先祖になれません。また、供養する子孫がいない死者も先祖になれません。
 
 ところが、仏教ではすべての死者に極楽へ行ける可能性があります。子どもは言うに及ばず、独身や自殺者、行き倒れ、さらには犯罪者でさえもあり得ます。生きている間は苦労の連続ですから、死後に極楽で幸せに暮らせるのか、地獄で永遠の責め苦に遭うのかは庶民にとって最重要の関心事です。庶民は、極楽浄土に行く方法を教え、その儀式を執り行ってくれる僧侶に敬意を払っています。
 
 神奈川県の『万年寺のつり鐘』のように、堕落した僧侶が登場する昔ばなしもあります。しかし、そこには宗教的力による懲らしめが描かれており、仏教に対する信頼感を損ねる者ではありません。仏様や観音様、お地蔵様への信心が揺らぐお話はありません。
 
 昔ばなしには和尚さんや小僧さん、修行僧、客僧、山伏など仏教関係者が非常によく登場します。また、お釈迦さまや観音、地蔵、阿弥陀、不動明王、仁王、閻魔、鬼など日本仏教由来の存在も頻繁に出現します。日本仏教は伝統的に本地垂迹説をとっています。それは仏という絶対的なものが神々として現われるという考えです。ですから、土着の神々も仏教に裏打ちされています。昔ばなしの超自然的存在はほとんどが仏教に関係しています。
 
 近世の昔ばなしは仏教規範を暗黙の前提にしています。何を言いたいのかわからない昔ばなしに出会ったら、それはインド・中国仏教の逸話を含めた仏教思想に基づいている可能性があります。現代人が当時の民衆と暗黙の前提を共有していないために、メッセージが理解できないのです。
 
 人間は大きく三つの期待に基づいて予想を立てて生活行動しています。一つ目が合理的期待です。人は損得勘定によって行動を選択するという捉え方です。証券投資が代表例です。二つ目は規範的期待です。人は道徳や法、ルールなどの規範を相手も理解していることを前提に行動を選択するという認識です。対向車も同じ交通ルールを承知していると自動車運転をすることが一例です。三つ目が機能的期待です。人は相手が社会的役割に則っているとして行動を選択するという見立てです。例えば、空き巣に入られた際、110番するのは警察が治安を担う組織だと思っているからです。こうした期待を共有していないことがあるので、現代人が時として昔ばなしを理解できないのです。
 
 また、抽象的な仏教理論を昔ばなしが具体的に示していることもあります。一例が栃木県の『鬼のつめ』で、これは悪人正機説がテーマです。嫌われ者のおばあさんが亡くなります。彼女は借りる時には一升より大きな借り升、貸す時には小さい貸し升を使う強欲です。葬式を執り行う和尚さんの元に、鬼が現われ、あの悪徳は地獄行きが決まっているヵら、念仏などするなと警告します。和尚さんは悪人だからこそ極楽に行けるようにするのが務めだとそれを拒否します。葬列の途中、鬼が棺桶をさらおうとしますが、和尚さんは死人に罪なしとそれにしがみつき必死に守ります。和尚さんに促されて村人が経文を唱えると、鬼は棺桶に食いこんだ爪を残して退散していきます。無事だった棺桶の中のおばあさんは穏やかな表情をしています。村人は、その顔を見て、どんな人間も死ねば同じだと実感するのです。
 
 言うまでもなく、近世の日本には、少数ながらキリスト教徒もいます。彼らの習俗は、世界的に見ても、貴重です。ローマ教会は宗教改革に対抗するため、カトリックの典礼を統一する指示を出します。従来は各地で独自の典礼が行われていましたが、これによりそれが欧州では失われてしまいます。けれども、イエズス会の宣教師は禁止令以前に来日していたので、キリシタンには彼らの出身地バスクの典礼が伝えられます。禁教以降も隠れキリシタン(潜伏キリシタン)は現在に至るまでこの典礼を守り続けています。ヨーロッパで失われた典礼が日本で保存されていたというわけです。
 
 これほど継承の実績のあるキリシタンですが、残念ながら、その昔ばなしはあまり公になっていません。エピソードは伝わっています。例えば、熊本県の隠れキリシタンは踏み絵の際に、新しいわらじで対処し、帰宅後、それを煎じて飲んでいます。
 
 口承文学の盛衰は識字率に同調していません。共時的・通時的な口承の条件が整っていることが前提です。古代にも、民衆はお話を楽しんでいたと思われます。ただ、仏教が根づいた近世の民衆は必ずしも規範をそれ以前と共有していないと考えられます。室町以前を舞台にした昔ばなしは、庶民が登場しても、個性のある存在として扱っていません。その話が後世に生まれたとしても、人間像に断絶があります。近世の民衆にとって、規範を共有していませんから、古代や中世の民話は縁遠く、そのメッセージを受けとりにくいと推測できます。これでは伝わるのが困難でしょう。

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