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宇野常寛『母性のディストピア』紹介&要約と感想 【日本の若者への願いがこもった提言書】

ちょっと脱線して本の感想を。

この本、むちゃくちゃいいのだけど小さい文字で500ページあるので、結構読むのが大変!

2018年に始めて読んだとき、芸術鑑賞に新しい軸が加わったような、新しい武器を得たような気がしましたよ。

なので分かった気になれるぐらいのレベルで紹介します!


【読むべき人】


「アニヲタ」 兼 「戦後社会論好き」 兼 「文学好き」

にはグサっと刺さります。

もちろん1つでもぺルソナ持っている方もいけると思います。


①アニヲタ

手塚治虫、「ジブリ」、「ガンダム」、「攻殻」、「君の名は」、「片隅」、「シン・ゴジラ」まで日本のアニメーション史を彩る作品について網羅的に批評を加えているので、アニヲタには相当楽しめます。

萌え系よりもハード系を好む人に限定されるとは思いますが。一応萌えにも少し触れてます。


②戦後社会論好き

敗戦、サンフランシスコ体制、高度経済成長、バブル、オウムとかその辺のテーマは内容たっぷり。

著者も言っていますが文学論なのか社会論なのか、わからなくなるところがミソです。

文学と言う虚構に現実の政治よりも確かなことが表出している、ということがひとつのテーゼ。


③文学好き

江藤淳、三島由紀夫、村上春樹などの文学者についてもちゃんと触れられます。

もっともアニメと文学を区別するのもナンセンスですが、文章だけ読む人がいても楽しめるのではないかと思います。

村上春樹は著者の『リトルピープルの時代』に詳しく書かれています。


以下に『母性のディストピア』の要約を示します。

内容が膨大なので網羅的にまとめられてはいません。ほんとに重厚な提言書です。

さらりと友達に話せるレベルにはまとめたので、これを機に読んでみたい!って思える人が増えるといいなと思います。


【要約】

戦後の日本社会は、アメリカが民主社会の成立を代行し作り上げた擬似的な政治空間であり、そこでは人々は仮構された民主社会を演じるしかない。その市民的・民主的自立の不可能性が日本のアニメーションや特撮という虚構空間に現実の政治よりも明らかに現出しており、日本のトップクリエイターたちはそれぞれ独自のメタファーを用いてそれを表現し、その不可能性の前にメタフォリカルにも、現実的にも挫折していった経緯がある。そのメタファーは多くの場合、男性主人公の自立(民主的社会の国家・個人としての自立のメタファー)が女性ヒロインの家族主義的な前近代的イメージ(ムラ社会的な、民主社会に対抗するもののメタファー)の前に不可能になること、または母性の手助けやその限界内での「ごっこ遊び」にすぎないもの(アメリカの傘下での仮初の自立のメタファー)として描かれる。こうして日本のトップクリエイターたちに提出された日本社会の近代的自立の不可能性をメタフォリカルに表現したものが、「母性のディストピア」と筆者が定義する意味空間である。
宮崎駿は、「飛ぶこと」を自立のイメージとして提出(『未来少年コナン』)したが、その作家人生の中期頃からヒロインの手助けなしでは飛べない男性像しか提出できなくなっており(『ラピュタ』、『紅の豚』など)、『風立ちぬ』では自らのフェティッシュな欲望と社会的自立の両立の不可能性の前にヒロインの赦しを得ることで慰められるという母性のディストピア内での小さな偽りの自立という矮小なイメージしか生み出せなくなっている
富野由悠季は、「ニュータイプ」という人類の非血縁・非家族的な結びつきによる革新を宇宙世紀と言う虚構年代記のなかで設定し、それを現実の世界においても有効性を持つ革新的な概念として提出した(『初代ガンダム』)が、作品中期以降(『イデオン』から『Vガンダム』など)、「ニュータイプ」という概念が家族血縁的なものや母性的なイメージ、前近代的なものに結び付けられた上、登場人物たちが破滅的な展開に終わる作品を連発し、自らの提出した人類の革新を信じられなくなってしまっている(『ターンAガンダム』において「黒歴史」としてガンダムの歴史を封印)
押井守は高橋留美子作品(『うる星やつら ビューティフルドリーマー』など)の提出する「終わりなき日常」という母性のディストピアを突破するために、映像作品の中に絶対的な他者を設定し、それを情報論的なイメージに組み替えて外部と内部の境界を破壊するというメタファーを提出した(『機動警察パトレイバー』から『攻殻機動隊』)。しかし、作品の後期ではその情報論的世界の中でニヒリズムに陥る主人公のイメージの提出に終始しており(『イノセンス』など)、突破することができないままだ。
庵野秀明『シン・ゴジラ』において震災を契機にスクラップアンドビルドできなかった現代の日本をアイロニカルに描いた点で評価できる。
我々は情報技術の発達のおかげで、人類史上最も空間を超越して個々人と世界の双方向が世界と接続しており(SNS、ポケモンGO)、世界をイデオロギーから独立したただのデータベースとして受け取ることができる。『シン・ゴジラ』に出演する研究者のように、軍事製品を右翼左翼的思想とは無縁なフェティッシュを満足させる道具としてみることのできるオタクたちのように。こうした純粋に「気持ちいいもの」、「面白いもの」を追求したオタクが公共性に接続していき、非血縁的で友愛的な連帯の下に社会を変革していくことが求められている。それは「堀越二郎」を地で行き、アムロが信じた「ニュータイプ」を、もう一度我々が信じて非家族的に連帯していきながら、(日本)社会を変革していくことである。


【感想】

①特にガンダム論はホントに読み応えがあります。

一応主要作品は全てに目を通している僕にとっては、「富野監督ー!なんでこんな展開になっているの!?」という謎が多かったので、それに応えてくれました。

例えばシャアの幼女マザコン嗜好とか、Vのショタコン嗜好のシュラク隊の方々とか、、、

謎解き解説書みたいな趣もあります。


②アメリカのサブカルはどう捉えられるのかが気になる。

例えば『アベンジャーズ』みていると思い出すのが、『七人の侍』と『ワンピース』の海軍本部決戦。

「チームワーク」と「よってたかって」で敵を倒します。

今までアメリカンヒーローはなんだかんだ正義をかざして一人で悪と対峙してきたのに対して(それゆえの孤独が描かれる)、アベンジャーズでは一人では絶対に敵わない敵(サノス)に対して多様性を下に協力する日本的な「柔よく剛を制す」構造になっています。

「アメリカは世界の警察を降りた」

よくこういう言葉を聞くし、宇野さんも著作で言ってます。

こうしたアメリカの社会的事象がアメリカンヒーローというアメリカの伝統文学には現出しているのではないか、と僕は考えるのですが、宇野さんはどう思っているのか気になります。


③正直難しく考えすぎじゃないのかと思うところは多い

それもこちらが文学的、戦後論的な前提をきちんと引き継いでいないまま読解しているからかもしれないけれど。

特に吉本隆明は完全に僕は抜け落ちているので、そこはフォローしていかないといけないですね。


④若者に向けられた強い批判である(ネガティブではない、クリティカルと言う意味)

本当の社会的自立や批判力のある発言とは何なのか、ということに自覚的になるきっかけになります。

ツイッターなどのSNSで自由にメッセージを発信できるようになった現在に、そしてそれを使いこなす若者たちにとても強い批判です。

一方、その若者に大きな期待を寄せていることも感じられます。

社会を変革する「想像力の要る仕事」を一緒にやろうぜ!というメッセージだと思います。


まとめ

要約読んで気になったら買え!

それでもし可能ならいつかお話し合いましょう!(はーと)ww

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