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【鳥取寺社縁起シリーズ】「因幡堂縁起絵巻」(16)

 【鳥取寺社縁起シリーズ】第二弾として、「因幡堂縁起絵巻」詞書部分の注釈・現代語訳をnoteで連載いたします(月1回予定)。

 〔冒頭の写真は、鳥取県立博物館『はじまりの物語ー縁起絵巻に描かれた古の鳥取ー』の表紙(「因幡堂縁起絵巻」の一場面)です。〕


■寺社縁起本文・注釈・現代語訳

__________________________________  本文(翻刻)は、『企画展 はじまりの物語ー縁起絵巻に描かれた古の鳥取ー』〔鳥取県立博物館/2008年10月4日〕の巻末「鳥取県関係寺社縁起史料集」のものを使用しています。

 ※「因幡堂縁起絵巻」の概要は第1回をご覧ください。

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【 第十一段(41行目まで) 】
いそき人をもて彼首を御尋有けるにまことに
岩田河の底より取上奉て此よしを奏し申
けれは則彼首を観音の御くしに作籠められ
御立願に三十三の御堂を立テ蓮花王院
と号せらる既御病悩御平癒の間御叡信あさ
からす連々御参詣ましましけり、※然は彼御座所
を御幸の間と号すそれより以来五口の寺僧
ヲめされ季御讀経大仁王會参勤する所なり
當寺の鎮守は行平卿の計として因州一宮
武内大臣を勧請申されたりしを法皇御幸
の御時或夜御社参成て御心静に神躰を
御尋有けるに住僧等因幡國一宮武内大臣と申
けれは法皇是は生身の如来擁護の神には
不足なり彼神は八幡の候殿なり同は本神
勧請申へしとて八幡若宮を始奉て王城の
鎮守其他大神達十八所を院宣にて御勧請
あり御神躰をは時ノ繪所をめさせて大なる長
板一枚にかかせらる御臈次をは大原野の神主に
勅使を立御尋ありて神々の御名をは君
御宸筆にあそはされけり同青地の錦の御
戸帳に御願の意趣を御宸筆に遊されける
間住僧等末代のために御殿に深く籠奉るとかや

 ※ 絵巻本体の写真では「、」なし。

→急ぎ人をもて彼の首を御尋ね有り*けるにまことに
岩田河の底より取り上げ奉りて此のよしを奏し申し
ければ則ち彼の首を観音の御くし*に作り籠められ
御立願*に三十三の御堂を立てて蓮花王院*
と号せらる。既に御病悩御平癒の間、御叡信*あさ
からず連々*御参詣ましましけり。然れば彼の御座所
を御幸の間と号す。それより以来五口*の寺僧
を召され季御讀経*・大仁王會*参勤*する所なり。
當寺の鎮守*は行平卿の計として因州一宮
武内大臣を勧請*申されたりしを法皇御幸
の御時、或夜、御社参り成りて御心静に神躰を
御尋有けるに住僧等「因幡國一宮武内大臣」と申し
ければ法皇「是は生身の如来擁護*の神には
不足なり。彼の神は八幡の候殿*なり。同じくは本神
勧請申すべし」とて八幡若宮*を始め奉りて王城*の
鎮守其の他大神*達十八所を院宣*にて御勧請
あり。御神躰をば時の繪所*を召させて大なる長
板一枚に書かせらる。御臈次*をば大原野*の神主に
勅使を立て御尋ねありて神々の御名をば君
御宸筆*にあそばされけり。同じく青地の錦の御
戸帳*に御願の意趣*を御宸筆に遊ばされける
間住僧等末代*のために御殿に深く籠り奉るとかや。

〈注釈(語の意味)〉
*有る…(動詞の連用形、漢語、尊敬の意を含んだ名詞を受けて、その動作をした人を示さない言い方で、敬意を表す)…なさる。
*くし…頭。首。
*立願(りつがん)…神仏に願をかけること。りゅうがん。
*蓮花王院=蓮華王院…三十三間堂の院号。
 ※院号…貴族・将軍などの建てた寺院の号。
 ※三十三間堂…京都市東山区にある天台宗の寺。1164年(長寛2)後白河法皇の勅願によって、法住寺御所中に創建された蓮華王院の本堂。堂の長さ64間5尺、内陣の柱間が33あるところからの通称。1249年(建長1)焼失、66年(文永3)再建。
*叡信(えいしん)…天子が神または仏を信じ尊び、従われること。また、その信じるお心。天皇の御信仰。〔日本国語大辞典〕
*連々(れんれん)…ひきつづいて絶え間のないさま。連綿。
*口(く)…器具・人数を数える語。
*季御讀〔=読〕経(きのみどきょう)… 『名目抄』には「季御読経{きのみどつきやう}」とある。春秋二季(二・八月あるいは三・九月)、大極殿で修せられた読経の公事。百人の僧を四か寺より請じて盧舎那仏(るしやなぶつ)を祭り、『大般若経』を転読する。〔角川古語大辞典〕
*大仁王會〔=会〕(だいにんおうえ)… 一代一度の仁王会(にんわうゑ)。聖武天皇の神亀六年(七二九)六月一日に行われたのが始めという。
 ※仁王会…「仁王般若会」ともいう。鎮護国家のため、『仁王経(にんわうきやう)』を講ずる法会。即位式後に行われる一代一度仁王会(大仁王会ともいう)、春秋二季(三月と七月)に行われる年中行事の仁王会、臨時の仁王会があり、平安時代には、宮中のほか、畿内の諸寺、諸国の国分寺などで盛大に行われた。〔角川古語大辞典〕
*参勤…参って勤めること。勤めを果たすこと。〔日本国語大辞典〕
*鎮守(ちんじゅ)…特定の土地や建造物を守護するために祀 (まつ) られた神。中国の寺院の伽藍神 (がらんじん) に起源をもつといわれる。寺院の鎮守として神霊を勧請 (かんじょう) し、仏教守護の神としたのである。高野山 (こうやさん) の丹生 (にう) 明神、興福寺の春日 (かすが) 明神、比叡山 (ひえいざん) の山王権現 (さんのうごんげん) などは、寺院の守護神としてよく知られている。〔日本大百科全書(ニッポニカ)〕
*勧請(かんじょう)…神道では、離れた土地より分霊を迎え遷座鎮祭すること、すなわち、本祀の社の祭神の分霊を迎えて新たに設けた分祀の社殿にまつること。もともとは仏教より出た語で、仏に久住して法輪を転じ衆生を擁護することを請う、という意で用いられたが、のちに仏菩薩を他に請じて久住を願うことに転じて用いられるようになった。日本では神仏習合の発展によって、八幡大菩薩や熊野権現などの垂迹神の神託を請うことを勧請といい、さらに神仏の霊を招いて奉安することをいうようになり、そこに勧請された神を勧請神と呼ぶようになった。〔世界大百科事典〕
*擁護(おうご)…《仏教語》衆生(しゅじょう)の祈願に応じて仏・菩薩がこれを守ること。
*彼の神は八幡の候殿…武内宿禰が、八幡神の神霊とされる応神天皇に仕えた大臣であることを述べているか。
*八幡若宮…石清水八幡宮若宮。
*王城…帝王の住む城。皇居。内裏(だいり)。〔日本国語大辞典〕
*大神(おおかみ)…(オオガミとも)神を敬っていう語。おおみかみ。
*院宣(いんぜん)…(「院の宣旨(せんじ)」の略)院司が上皇または法皇の命令を受けて出す公文書。
 ※宣旨…平安末期以降、天皇の命を伝える公文書。
*繪〔=絵・画〕所(えどころ)…平安時代、宮中で絵画の制作をつかさどった役所。画所にいた絵師。
*臈次(らっし・らし)…物事の順序。秩序。
*大原野(おおはらの)…大原野神社。京都市西京区大原野南春日 (みなみかすが) 町に鎮座。建御賀豆智命 (たけみかづちのみこと) 、伊波比主命 (いわいぬしのみこと) 、天之子八根命 (あめのこやねのみこと) 、比咩大神 (ひめのおおかみ) を祀 (まつ) る。桓武 (かんむ) 天皇は784年(延暦3)平城京より長岡京に遷都とともに、春日大社の祭神を現社地に鎮祭したが、さらに長岡京より平安京に遷都後、藤原冬嗣 (ふゆつぐ) の奏請 (そうせい) により850年(嘉祥3)改めて現社地に勧請 (かんじょう) した。その後、藤原氏の氏神として春日大社同様に厚く尊崇された。平安中期には二十二社の一社に加列され、2月上卯 (う) 日と11月中子 (ね) 日に勅使が参向するなど、春日大社にはみられぬ祭儀もあった。その社名は「大原野」の地名に由来する。〔日本大百科全書(ニッポニカ)〕
 ※二十二社…大小神社の首班に列し、国家の重大事、天変地異に奉幣使をたてた神社。
*宸筆(しんぴつ)…天子の筆跡。天子の直筆。勅筆。
*戸帳(とちょう)…神仏を安置した龕(がん)などの前に懸けたとばり。
 ※龕…仏像などを納めるために、厨子(ずし)や壁面をほりこんだ棚。
*意趣…理由。わけ。
*末代(まつだい)…後世。

〈現代語訳〉
急いで人にその首についてご質問なさったが本当に
岩田河の底から(首を)取り上げ申し上げてこの次第を奏上し
たところただちにその首を観音の御頭の中に作り込めなさり
願をお掛けになるために三十三の御堂を立てて蓮花王院
と号をお付けになる。すでに御病気は癒えていらっしゃるので、後白河法皇の御信仰は浅く
はなく絶え間なく御参詣においでになる。そうであるからそのおいでになる場所
を御幸の間と名付ける。それ以来五人の寺僧
をお召しになり(彼らによって)季御読経・大仁王会の勤めが果たされる。
当寺を守護するの神は行平卿のお計らいで因州一宮・
武内大臣をお迎え祀り申し上げてなさったのを法皇が御幸
の際、ある夜、御社へ参るに至って落ち着いたご様子で神体について
御質問なさったところ寺住みの僧たちが「因幡國一宮の武内大臣」と申し
たので法皇は「それでは生身の如来を守護する神としては
不足である。この(如来の守護する)神は八幡の傍らにお仕えする方である。いっそのこと本神を
お迎え祀り申し上げなければならない」といって石清水八幡宮若宮をお始め申し上げて皇居を
守護する神のほか御神々十八所を院宣によって御勧請
なさった。御神体を現在の絵所の絵師をお召しになって大きな長
板一枚にお描かせになる。御次第は大原野神社の神主に
勅使を立てご質問なさって神々の御名前を法皇のが
ご自身でお書きになった。同ように青地の錦の御
とばりに願をお掛けになった理由をご自身ででお書きになった
ので寺住みの僧たちは後世のために御寺の建物の奥深くにおしまい申し上げたとかいうことである。
                  〔「因幡堂縁起絵巻」(16)おわり〕

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