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【『逃げ上手の若君』全力応援!】(96) おキレイすぎる直義をしのぐ尊氏の不自然なまでのクリーンさ……護良親王の祈りが今後の展開をすべて回収する〝神回〟!?

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2023年2月11日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕


 「牙を剥け三浦の闘犬共! 俺の拳が指す方向を嚙み砕け!

 寝返りを決めた三浦時明で戦況は一変。北条泰家の額の「どーよ」がまぶしい『逃げ上手の若君』の第96話。
 足利直義の「狂犬」呼ばわり上等! 時明自らが三浦を「闘犬」と称してそのアイデンティティに矜持を示しているのが痛快です。時行が「…つ 強い」と絶句していましたが、三浦と言えば…と、思い出した『平家物語』のエピソードがありました。
 源義経の戦いの中でも一、二を争うほど有名な一の谷での戦いの一場面を描いた「坂落」。急坂を降り始めたものの途中で立ち往生した坂東武者たちの内で、覚悟を決めて爆走を始めたのが三浦一族の佐原十郎義連よしつらでした。
 ※佐原十郎義連…三浦義明の子、義澄の弟。三浦郡佐原(横須賀市佐原)の住人。

 「三浦の方で我等は鳥一つたてても朝夕かようの所をこそはせありけ。三浦の方の馬場や
 ※馬場…乗馬の練習や、競馬をする平地。

 ーー地元の三浦じゃ鳥一羽追い立てるんでも、こんくらいの坂を毎日駆け抜けてるぜ。三浦じゃこんなんは普通に馬で行けるつーの(ヒャッホー)!

 「坂落」は実話ではないとも言われており、『鎌倉殿の13人』でも鵯越ひよどりごえについては最新の説を採用していたようですが、物語(創作)の面白さは事実か否かであることより、どんな場面でどんな人物がどんな言動をとっているかだと私は考えています。そうとらえると、三浦一族は普段からこういう感じ…というキャラクター付けが、当時からなされていたということではないでしょうか。
 時明の荒っぽいながらも半端ない強さ、八郎のちょっと抜けていながらもまっすぐな気性という松井先生のキャラクター付けは、八百年近く変わらない三浦一族のイメージを踏襲しているのかもしれませんね。

 さて、『鎌倉殿の13人』でも大活躍の三浦氏に興味がわいて冒頭では時明や八郎のことを記してみましたが、第96話の焦点は護良親王の謀殺であり、今後の展開へとつながるであろう伏線をふんだんに含んだ〝神回〟だと確信しました。
 私はずっと、足利直義が護良親王(のちに、他の親王にまで…)に手をかけたことには疑問や違和感があったのですが、調べたことなどをお示ししながら、今後の展開を妄想してみたいと思います。

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 「最初から… 乱が起きた時にどさくさに紛れ殺す気であろう それがあの尊氏の意志だからな

 第96話の護良親王のセリフを読み直してみて気づきました。『逃げ上手の若君』において、護良親王は一貫して、すべては「尊氏の意志」によるものと認識しているということです。
 第37話(第5巻参照)で、護良親王は尊氏に迫ります。父帝・後醍醐天皇を「最初の改革者」としてまつり上げたのちに、「二番目の改革者として確実に全てを手にする魂胆 違うか尊氏!」と言い放った瞬間、尊氏は本性を現しました。
 なお、この足利が「二番目の改革者」になるという論の展開は、第93話で時行が直義に対して、北条の私情に偏った政治を非難する足利兄弟が、後醍醐天皇の悪政に触れないでいるのは、「帝にも謀反し 足利が天下を奪う気だからだ!」という形で、直義に叩きつけていますね。
 淵辺ふちのべは直義の配下です。『太平記』では、歯で受けた刀の切っ先が口の中に残っていた護良親王の首を、中国の不吉な故事に基づいて直義に見せまいとして捨て去ります(興味のある方は、本シリーズの第27‐(1)回をご覧ください)。淵辺の直義に対する忠義は、後年のとある戦いにおいて、敗走する直義をかばって安倍川西岸の手超河原で討死したとされていることからも想像されます。

 その淵辺に対して護良親王は、「直義の命令」ではなく「尊氏の意志」で自分を「ころ」のであろうと言っているのです。
 ※弑…本来は「|弑しいす」と読み、「臣下が主君を、また、子が親を殺す」意味で用いる。


護良親王の謀殺は足利直義の判断ではない!? …直義はすでに兄・尊氏に精神を支配されていた


 「…残るは、幽閉中の護良親王おひとりです

 こう告げた上杉憲顕の表情と、この言葉を受け「………!! いよいよか…!…」と青ざめる直義。書簡の最後に記された「万事… よろしく頼んだぞ」の尊氏の一言に身動きが取れない直義の心理描写の見開きページに、私は愕然としました。ーー直義は尊氏の本性を知ってるからこそ、同じ母を持つ兄弟として誰よりも兄の理解者であろうともしながら、もっとも尊氏を恐れ、囚われているのだと。
 感情の理解に乏しい直義だとこれまでさんざんこのシリーズで述べてきましたし、松井先生もそうしたコメントを作品内で付してはいるものの、もしかしたら兄・尊氏に憧れたり大切に思ったりする気持ちだけは(史実としても、『逃げ上手の若君』の作品の展開上としても…)、本人に自覚があったか否かは不明ですが、本物だったのかもしれません。
 しかしながら、尊氏のこのキャラクターからいけば、いざとなれば尊氏は、自分に尽くす直義も切り捨てるでしょう。

 〝私は護良親王を手にかけろなどと弟には命じていません〟
 〝すべては直義が勝手にしたことです〟

 『逃げ上手の若君』の護良親王はおそらく、直義本人以上にその恐ろしい事実を理解しているのです。おキレイすぎる直義ですが、尊氏はその直義すら不必要とみなしたら〝消し去る〟に違いない、不自然なまでのクリーンさでその身を固めているのです。それこそが、彼が恐怖の存在である所以なのではないでしょうか。
 ちなみに、今号の週刊少年ジャンプの作者コメントにおいて、松井先生が尊氏と直義の書状について「両者の性格がモロに出てて」と記していました。私は文書は詳しくないので、普段いろいろと教えていただいている方にお話を聞いたのですが、尊氏が地方(田舎)で発行した文書は都で発行したものより雑だと言っている方がいるということを聞きました。環境や相手に合わせて態度を変えるというのは、性格的な二面性ーー表と裏ーーを感じずにはいられません。
 本物の悪魔は、現実世界ではとても端正で美しい姿をして、我々のすぐそばに近寄って来ると言われています。

 なお、直義が護良親王を殺したのは、直義単独での判断だというのは、従来の解釈のようです。1991年の大河ドラマ『太平記』でも、勝手に護良親王を殺したことについて、尊氏が直義を強く非難して殴り倒したシーンが印象に残っています。
 鈴木由美氏の『中先代の乱』によれば、「鎌倉幕府の再建を防ぐため」(あくまで「建武政権側に立った行動」)」(阪田雄一氏)、「単純に足手まといだったから」(亀田俊和氏)とした先行する研究を踏まえ、鈴木氏自身は「阪田氏の見解に首肯する」と示した上で、「護良殺害に足利尊氏の意思を反映するほどの時間的余裕はなく、直義の独断によるものであろう」と述べています。
 その「時間的余裕はなく」の部分を埋める設定として、直義はすでに尊氏に精神的に支配されていた、かつ、尊氏が怪物であること気づいていた護良親王を始末する機会を尊氏は狙っていたという大胆な解釈を、松井先生は自身の作品に導入しているわけです。

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 「尊氏に伝えよ」「汝の中に巣食う鬼は… いつか汝自身を食い殺す」その時 余の顔を思い出せと

 本当は、もっともっと護良親王のことは語りたい気持ちがあります。古典『太平記』においては、護良親王は楠木正成や新田義貞と並ぶスーパーヒーローです(彼らは、死後も姿を変えて物語に何度も登場します。特に、護良親王のしぶとさは半端ないです。いずれお話できればと思っています…)。
 『逃げ上手の若君』での護良親王の扱いが厳しめという友人の指摘もあったのですが、私は作品内の重大なキー・パーソンであることを感じています。
 なんといっても、誰もが好きになってしまう尊氏に最初からまったく幻惑されずにその本性を見抜いています。

 「誰でもいい 父に力を貸してくれ…!!
 
 護良親王の父帝・後醍醐天皇への届かない思いについては、以前このシリーズで記しました。

 尊氏のすべての敵は、護良親王のこの最期の一言、祈りを受けて、南朝の後醍醐天皇のもとに集結する今後の展開が想像されるのでした。

〔鈴木由美『中先代の乱』(中公新書)、日本古典文学全集『平家物語』『太平記』(小学館)を参照しています。〕


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