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ありがとう不安。お陰で今の私がある。

私は、何かにつけて、いつも不安だった。


一挙手一投足、

これは合っているのか。

この考え方はまちがっていないか。

何か、よくない事をしてしまったんじゃないか。


不安で、不安にさいなまれては

今、右足と左足、どっちから出すのが正解なのか。

なんて笑ってしまうけれど、そんなことまで深刻に考えこんで

いちいちビクビクとしながら、生きていたんだ。


心の「上半分」の表面だけを見せて、何食わぬ顔をしていても

その実、「下半分」は不安でいっぱいで

常にそわそわと、空回りし続けているような焦燥感を抱いていた。


不安を隠しながら、怯える自分は

ひどくちっぽけで、臆病で、恥ずかしい存在のように感じていた。

不安なんて、感じなくなってしまえばいい。

と、いつも思っていた。



————ただし、最近気づいたことがある。

不安は「悪」ではない。

ということ。


『不安=悪』と決めつけ、豪胆で大らかな人をうらやましく感じていたけれど

今になって、

不安でいたことの、恩恵。

を考えるようになったのだ。


不安だから、人一倍慎重になる。

誰よりも確かめる。

ひとつ一つの作業で、確認してから前に進む。

適当な判断をしない。

必ず、納得のいくまで検証し、確かめる。

不安だからこそ、合っているかどうか、その根拠はあるのかを確かめるし

怒られないか不安だから、必ず確かめに行く。


不安だからこそ、私は

ひとつ一つの選択肢を、丁寧に
慎重に判断していた。

決して投げやりな選択はしなかったし、できなかった。


勉強や、運動や、その他もろもろの成績なども

きっと私が「必ず結果を出せるように」と不安がって、人一倍に気を遣い、不安だから準備をたくさんしたお陰なのだ。


ほとんど全ての行動理由の根源には、「不安」があった。

間違える不安。変化していない不安。追いつかれる不安。怒られる不安。評価されない不安。後悔する不安。。

そんな色々な心配がふくらんで、誰よりも準備したり、誰よりも数をこなすことで、その不安から逃れようとした。



——あれ、不安てそんな悪いものだっただろうか。

むしろ、不安すぎた私だからこそ、得られたものもたくさんあったんじゃないだろうか。


今更ながら、そんなことに気づいた私でした。


ただ、不安から逃げるように、逃げるように生きていくのも、それはそれでしんどいです。

不安はあってもいいし、悪いものではないけれど

自分が不安になりやすい方だと自覚して、うまいこと不安をいさめながら、宥めながら、付き合っていけたらいいなと思います。


不安て、あってもよかったんだね。

そんなことも、安心したから気づいたのかもしれないです。


おわり。☺︎

心躍ります^^♪