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ヘイトメールを送りつけた人々に会いに行ったある女性の話

ウツレム・チェキック(Özlem Cekic) はトルコ生まれのデンマーク人。10歳のときにクルド人の両親とともにデンマークにやってきた女性だ。高校卒業後、看護師の資格を取得し7年ほど働いたあと、31歳で移民系女性として初の国会議員になった。

ウツレムはイスラム教徒でもある。2000年代、イスラム教徒への差別はデンマーク社会で非常に顕著となった。ムハンマドの風刺画は世界でも注目され、デンマーク国民党の躍進もあって、その後20年近く右傾化へと邁進していった時代でもある。

そんな時代、イスラム教徒の女性が初の移民系女性議員として登場したのだから、彼女をどんな出来事が襲ったかは容易に想像できるだろう。ウツレムは国会議員になってすぐ、ヘイトメールを受け取るようになった。

「この国の最も神聖な演台の前で、おまえみたいなペルシャ野郎が何してるんだ」「テロリストのくせにデンマークの国会に入って来るな」
 始めの頃、私はメールには返信せず、それらをただ削除していました。送り主は私のことを理解するはずはないと思っていましたし、私もかれらのことをわかりたいという気持ちもありませんでした。お互い共通点など皆無だし、返事をする必要もないだろうと思っていたのです。

ウツレム・チェキック著『ママはどうして嫌われているの?』より


そんなある日、同僚がウツレムにヘイトメールを保存しておいた方が良いと言いだした。「今後何かあったとき、警察に提出できる証拠になる」と。ウツレムは、同僚が「もしも」と言わなかったことが気になった。

その日以降、ウツレムは毎日のように届くヘイトメールを専用ファイルに保存しはじめた。同時にヘイトメールの内容は、ウツレムが国会で発言する度に酷くなっていった。「お前の自宅は押さえてある」「大臣になったりしたら首をぶった切る」さらには、ストーカーが自宅や子ども連れで行った動物園にまで現れるようになり、ウツレムは警察とも連絡を取るようになった。彼女の息子は「ママ、どうしてあの人たちは、ママのことをまったく知らないのに、そんなにひどくママのことを嫌っているの?」と尋ねたそうだ。ウツレムはただ「世の中には頭がおかしな人がいるってことだよ」とだけ答えた。

あまりにも酷いヘイトメールやストーカー行為に対し、恐怖と焦燥感でいっぱいだったウツレムは、ある日、友人で写真家のヤコブ・ホルトのもとを訪れる。ホルトはアメリカのレイシズムをテーマにした写真集を発表しており、自分の気持ちを理解してくれるのではと思ったからだ。ところが彼女の思惑に反し、ホルトは彼女の予想の斜め上をいくような言葉をかけてきた。

理解してくれるどころか、彼は私自身の抱えるレイシズムに向き合うことを勧めてきました。「君だってそいつらと同じように相手をジャッジしているじゃないか」彼はそう言ったのです。 

 私の中にもレイシズムがあるー彼の言葉の意味することが私にはわかりませんでした。たしかに昔は大嫌いな人々もいましたが、それはあくまでも昔の私であって、今の私は寛容だと思っていました。「君の周りで国粋主義の政党を支持している人はどのぐらいいる? その人たちと、君はきちんと会話しているのか?」とヤコブは問いかけました。

ウツレム・チェキック著『ママはどうして嫌われているの?』より

ウツレムはそれまで、むしろ自分はデンマーク国民党の議員を避けてきたし、それを友人たちにも自慢気に語ってきたことを思い出した。すると友人のホルトはウツレムに突然とんでもないアドバイスをした。

「かれらに会いに行くんだ。そうすれば、君の息子の質問にも、もっとうまく答えられるはずだ。」

ウツレム・チェキック著『ママはどうして嫌われているの?』より

ダイアローグ・コーヒー


ホルトの提案を、始めは「そんなこと無理だよ」とはねつけたウツレムだったが、なぜか彼女はそれを忘れることができなかった。そして2010年、なぜ人々がこれほどまでにイスラム教徒を嫌っているのかを明らかにしたいと思うようになり、彼女はヘイトメールを保存していたファイルを開け始めた。「ペルシャ野郎」「ドブネズミ」「テロリスト」「ビッチ」あらゆる罵倒語が並んだメールの中に、ウツレムは同じ送信者の名前を発見する。恐る恐るそのインゴルフという名の男に連絡を取り、自宅を訪問することになった。それが、その後の彼女のライフワークとなった「ダイアローグ・コーヒー」の始まりだった。

緊張した面持ちで、ウツレムはインゴルフの家のドアをたたいた。どんなレイシスト男が出てくるのだろう、不潔な男か、家の中は豚小屋のような臭いがするのか、そんな気持ちで待っていると、中から出てきたのはありふれたデンマーク人男性だった。しかも家の中には、自分の両親が持っているものと同じコーヒーポットが置かれおり、彼の妻も彼女を出迎えてくれる。その様子にウツレムは「正直がっかりした」のだそうだ。

インゴルフとの会話は予想通り対立も多かったが、若い頃同じ業種で仕事をしていたこと、またそれぞれが抱いている偏見が似ていることなどもわかってきた。

インゴルフとの出会いを通して、私も自分の偏見に向き合うようになりました。彼がかかえる不安に耳を傾けていると、彼を批判していた自分自身にも同じような偏見があることに気づかされました。インゴルフは悪人でもなければ、頭がおかしいわけでもありませんでした。それどころか、彼は私と同じように、自分が差別されていると感じていたのです。これは非常に興味深いことでした。私はデンマーク人のバスの運転手がバス停で待っている私をわざと無視したというエピソードを話ました。するとインゴルフは、外国人の運転手が何度も自分の前を通過し、数メートル先にバスを停められたと言いました。

 話を進めていくうちに、自分が嫌がらせを受けたと思っていることの中には、誤解や思い込みが原因になっていることも多いのではないかと気づきはじめました。インゴルフとの出会い以降、私は多くのレイシストたちと会ってきましたが、その出会いの中で、私自身がもつ偏見や思い込みにも気づかされました。そして、このダイアローグ・コーヒーを通して出会う人々と自分にいかに共通点が多いか、自分こそが偏見をもったレイシストでもあったことを思い知ったのです。

ウツレム・チェキック著『ママはどうして嫌われているの?』より

そんなウツレムは、ダイアローグ・コーヒーを通して、次々と自分にヘイトメールを送ってきた人々を訪ねていく。いつも心掛けていたのは、かれらの自宅を訪ねること、そして自分も食べものを持参することだった。ホルトからは「現職の国会議員の君を殺すわけないよ。それにもし君が死んだら英雄扱いになるわけだから、それはそれでウィンウィンなんじゃないか?」と皮肉を言われる始末。始めは恐る恐る始めたダイアローグ・コーヒーは次第に人々に知られるようになり、あるときウツレムのもとには「あなたに会うためには、酷い言葉をかけなければいけないのですか」という連絡さえ来るようになった。

始めの頃、ウツレムはヘイトメールを送ってきた人々の心を変えたいという思いで彼らを訪ねていた。偏見を指摘されれば、それに気づいてかれらは考えを改めるのではないか、ウツレムはそう考えていた。自分のように勤勉な移民と知り合えば、イスラム教徒に対する偏見もなくなるはず、かれらが善人になれよう、自分が救いの手を差し伸べたいと思っていた。

ところが、人々と出会うなかでウツレムはその考えを改める。

私は「救いの手を差し伸べよう」という自分の認識を改めました。人を善人に変えようと思うことも、自分の正しさを主張することも少なくなり、むしろ、人々が抱える嫌悪感、恐怖心、憎しみといった感情がどこからくるのかに耳を傾け、それを理解したいと思うようになりました。そして、以前ヤコブに言われた「自分のレイシズムに向き合わなければいけない」という考え方がいかに正しかったかを痛感したのです。

ウツレム・チェキック著『ママはどうして嫌われているの?』より

自分自身も若い頃にデンマーク人の若者から唾をかけられ、すべてのデンマーク人が嫌いになったこと、クルド人としてトルコ人へ憎しみを持っていたこと、またパレスチナへの攻撃からユダヤ人へ敵対心を向けてきたこと。そんな自身の偏見や憎しみは、さまざまな人種の人々と出会い、友人として、また同じ職場に勤める同僚となることで次第に消えていったのだそうだ。だからこそ、画面上で罵倒し合うのではなく、向き合って言葉を交わすことが重要だとウツレムは思うようになった。

ウツレムが対話する相手とは、ある特定の人々(たとえばイスラム教徒)を毛嫌いし、かれらに恐怖心や強い不信感を抱いているのだそうだ。そして、この人々には他にもある共通点があるという。

その共通点とは、いつも問題は他人のせいで、だれかがそれを解決すべきだと考えている点です。政治家が解決すべき、市が対応すべき、学校が変わるべき、問題なのは隣人の方だという意見です。自分が行動を起こさなければいけないと考える人はほとんどいません。

ウツレム・チェキック著『ママはどうして嫌われているの?』より

私は、だれもが民主的な社会のために何かしら行動する必要があると思っています。そしてそれは対話を通しておこなうのがベストだということも。
誰かと顔を突き合わせて意見を主張しあうことに意味はあるのかって?もちろんあります!それは歴史が証明しています。100年ほど前、デンマークの女性には参政権がありませんでした。44年前にはまだ中絶は禁止されていました。36年前には同性愛は病気だと多くの人々が信じていました。20年ほど前までは、子どもへの体罰も問題ではありませんでした。でも今はちがいます。その理由は、対話を通じて人々の考え方が変わっていくと信じ、行動した人々がいたからです。でも、自分が受け入れたくない考え方を無視していてはそこに辿り着くことはできません。私たちは他者の考えを抑えつけることはできないからです。
 

ウツレム・チェキック著『ママはどうして嫌われているの?』より

ウツレムがたったひとりで始めたダイアローグ・コーヒーは、次第に多くの人々に支援され、公的な団体 橋渡しをする人々(ブリッジビルダーズ)へと成長していく。会員数は増え続け、現在(2023年2月)9610人。会員になると、団体の活動を支援できる以外にも、ブリッジビルダーとして研修を受けることもできる。またかれらは学校や職場に出向いて、考え方が違う者同士がいかにして共存し、共生していけるのか、その可能性をワークショップなどを通して伝える活動もしている。

わたしたちは同じ意見である必要はない


最後に 橋渡しをする人々(ブリッジビルダーズ)のホームページから、ある部分を引用したい。これはデンマークの神学者で、第二次世界大戦時代からデンマークの民主活動に従事したハル・コック(Hal Koch)が、自身の著書で民主主義(デモクラチ)のあるべき姿について述べているものにも通じる。

人間は一様ではありません。それぞれが思い描く人生があり、皆さまざまな生き方をしています。だからこそ、わたしたちは多くの点で意見が異なっているのです。これは私たちが生きる上での基本であり、ブリッジビルダーにとって、対話とは合意を求めるものではありません。

集団とは、そのメンバーが多様であること、さまざまな利害関係や価値観をもった人々が集まることで強くなります。なぜなら、メンバー全員にとってそこが居場所となるためには、そうならざるを得ないからです。

わたしたちは偏見を無くしたいと願っています。そしてそのためにもっとも効果的なことは、対話と寛容さです。ですから、意見が異なる者同士が対等に対話できる力を養っていくことがわたしたちの課題です。対話とは、ときに批判や困難を伴うものでもあります。それは当然でしょう。同意できなかったり、対立してしまうこともあるでしょうが、それを避けようとしてはいけません。溝を掘り合うのではなく、むしろ民主的に解決する方法を模索しながら、不和も受け入れ、それに向き合っていく。そんな力をつけていくのです。

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ウツレムのTEDトークはこちら


引用:
Özken Cekic "Hvorfor hader han dig, mor?" Gyldendal (2017) 
ウツレムの自著。たったひとりで始めたダイアローグ・コーヒーの経緯、ヘイトメールを送った人々のこと、かれらとの対話の内容を述べた作品。英語・韓国語に翻訳されている。


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