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心を過ぎゆく、来し方、行く末、今、ここで。

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つれづれなるままに、心を過ぎゆく思い出、つぶやき、ぼやき、学ぶ楽しみ、はたまた人生観、座右の銘、などをまとめた、エッセイ集です。くすっと、ほっこり、笑っていただければうれしいです。
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記事一覧

さりげないコーチングと、さりげない酒飲みの夢

これまでの仕事が、副業禁止であったので、長年学んできたコーチングと心理学は、主に、自分と、自分の身の回りの、家庭、職場、身近な人間関係で、主に使ってきた。 それで、「自分コーチ」「ふだん使いのコーチング」「さりげないコーチングの達人」などが、自分のこれまでのキーワードになっている。 理想としては、ふだん使いの「さりげないコーチングの達人」でありたいのだが、現実には、ついつい、「お節介なコーチング的物言い」をしてしまう自分がいる。 自分のは、どちらかというと、左脳的、思考

「災難にあうときには災難にあうのがよい」良寛の言葉に学ぶ「人の生き方」③

「災難にあうときには災難にあうのがよい。 死ぬときには死ぬのがよい。これはこれで災難をのがれるいい方法だ」(筆者意訳)(良寛 江戸時代の曹洞宗の僧侶) 災難に遭う不安、死ぬ不安など、私たちは、現実にそうなってもいないのに、自分の心の中に、自分で「大きな不安」を育てる。 そして、「自分が育てた不安」に「自分」が振り回されて、不自由な、消極的な、自分でも不本意な生き方をしてしまう。 そのような、自分が心の中に勝手に作り上げた不安に振り回されず、日々を自由に生きていくには、「

「散る桜 残る桜も 散る桜」 良寛の言葉に学ぶ「人の生き方」②

「散る桜 残る桜も 散る桜」 (良寛 江戸時代の曹洞宗の僧侶) 散っていった人、散っていく人、残った自分たちも、いずれ散っていく人。 散っていく順番は、よくわからない。 どこからか、「次はあなたの番ですよ」と聞こえてくるのだろうか、 それとも、突然、自分の順番が来るのだろうか。 神様、仏様に、痛くありませんように、怖くありませんように、苦しくありませんように、と願うばかりである。 残される人ができるだけ困らないように準備をして、「備えあれば憂いなし」にしておく。

「裏をみせ 表をみせて 散るもみじ」良寛の言葉に学ぶ「人の生き方」①

「裏をみせ 表をみせて 散るもみじ」(良寛 江戸時代の曹洞宗の僧侶) 裏を見せ、表を見せて、散っていった人々。 裏が本当のその人だったのか? 表が本当のその人だったのか? 裏の自分も、表の自分も、みんな本当の自分。 善い自分も、悪い自分も、本当の自分。 自分は、善くもあり、悪くもあり。 善いところは、見方を変えれば、悪いところ。 悪いところは、見方を変えれば、善いところ。

「ダボハゼのように喰らいつけ」学習法で、私は変われました-私の座右の迷

 もう30年以上も前に、自己啓発の本で、「どんな知識や学びにも、興味を感じたら、ダボハゼのように喰らいつけ」という、表題の言葉に出会いました。以来、何かを学ぶときの座右の銘(迷?)になっています。  硬いものでも、柔らかいものでも、分野、フィールドを問わず、何かを学ぼうか、どうしようかと迷ったときには、  「ダボハゼのように、とにかく喰らいつけ、そして、一度喰らいついたら、放すな」 というものです。  それで、何か喰らいつくものはないかと、本屋さんの書棚を、端から端ま

マンションの全天候ウォークで日本を端から端まで歩くには?-さわちゃんの#noteつぼやきそう-

内側が吹き抜けの正方形のマンションの中層階に住んでいる。 吹き抜けに面した内側廊下は、一辺が約20mで、1周すれば約80m。 雨も、風も、雪も、吹き抜けの中に入ってくるが、力が相当弱まるので、どんな天気でも、24時間、365日のウォーキングが可能である。食後の健康ウォーキングには最適だ。 下の階に住む人が先にウォーキングをしていたのを見たのがきっかけで、歩き始めて5年ほどになるが、ウォーカー3号は、まだ現われない。 朝と晩に15周ずつは歩くようにしている。15周だと80

小学2年の時、怖いおばあさん先生がパンをくれた思い出。

小学2年生の時は、家ではやんちゃと言われていたが、学校では、人見知りをする、まだ、白いキャンバスのような感じの子で、学ぶ準備も、心構えも不十分なまま、人の言うことに従う、すなおな子供だったように思う。 それで、クラスで隣に座った、悪ガキ1号のいうことにもすなおに従った。 ある午前、先生が留守をして、自習時間となったとき、その悪ガキ1号から、「外に出てキャッチボールをしよう」と誘われた。 ちょっとは、「大丈夫かなぁ」と思ったものの、すなおについていき、悪ガキ1号と、悪ガキ

小学生のとき、竜馬の賞状が逝った事件

もう50年以上前になるが、小学6年生の夏、学校行事として2泊3日の臨海学舎があった。 夕べに、クラス対抗の演芸大会のようなものが催された。 ちょうど、NHK大河ドラマの「竜馬が行く」をやっていたときで、私たちのクラスは、「寺田屋」の竜馬暗殺の場面をやった。 ナレーションの内容が、先生たちに気に入られたのか、竜馬役の子の切られ方がよかったのか、みんなの劇に対する入れ込みが尋常でなかったのか、とにかく、一等賞の賞状をもらった。 20人ほどのグループの、一致団結の証しだ。

「入院は、語学に限る」-退院するときは、語学の達人?

 8年前に30日ほど入院し、5年前に10日ほど入院しました。幸い、いずれも、ただちに生死にかかわる入院ではありませんでした。  ただ、いずれも50代での入院であり、場合によっては、この先どうやって食べていくのかの心配がありました。  それで、いざとなったら、学生時代に英語を教えていたことと、その後の仕事生活でも、時折、英語が必要であったことから、英語を中学生や高校生に教えることなら、なんとかできるかなという思いで、入院前に、何冊かの高校生向けのCD付きの英語学習書を買い込

これで私は、金閣寺の写真を使いました。

 金閣寺は、金ピカな観光寺という先入観から、学生のときに訪れて以来、趣味の京都歩きでも、ずっと避けていたのですが、行く先が残り少なくなり、何十年ぶりかで訪れました。  そのときの天気とか、人が少なかったためかもしれませんが、池の中に孤高のように、もの悲しく建っていて、こんなに寂しそうな寺はないと感じられました。  そして、それ以来、最も好きなお寺となりました(改装前の写真ですが)。  入場料も400円と、ほかのお寺に比べて良心的です。もちろん、ほかのお寺も良心的ですけど

Facebookの中の水墨画と、本当の水墨画の世界

あまり使えていなかったFacebookに慣れようと思って、 この前のクリスマスを機に、年末年始にかけて、 小エッセイを10日ほど連続で投稿した。 じゃまくさがりなので、基本、文字ばかりのものだった。 何人かの友達がイイネやコメントをくれた。 自分の文章を打ち込んだ画面が気になり、日々増えていく自分の文章と、 少しずつ増えていくイイネやコメントに自己満足しながら、見ていた。 Facebookに、文字だけの水墨画のような自分の画面が増えていく。 水墨画展になってきた。 余

身近なブルーオーシャン

ブルーオーシャンは、山でいえば裏山もその一つか。「人の行く裏に道あり花の山」という言葉がある。  例年の大晦日の住吉大社(大阪市住吉区)なんかはこれに近い。日中はほとんど参拝客がおらず、のんびりとして風情がある。しかし、年が明ければ、全国一の初詣客数で数十万人が参拝する。これはある意味でレッドオーシャンか。もっと色とりどりで華やかであるが。  コロナ対策が万全という前提条件はあるが、今年の観光名所は、当面、そこに行ければ、どこも訪問者にとっては比較的、快適でゆったりしたピ

俳句と短歌とエッセイの違い

明けましておめでとうございます。無事、一人の元旦を迎えられました。クリスマスに小エッセイを始めて1週間。自分には17文字の俳句が一番難しく、31文字の短歌も無理ですが、150字程度の短文なら書けそうです。これからも自分と皆さんの心の健康に役立ち、クスッと笑っていただけるものが書ければと思います。鼻についてきたら、そのときは温かい目で、ご容赦ください。本年も皆様のご多幸をお祈りいたします。コロナに負けてたまるかぁ。

大晦日の大阪住吉大社

2020年12月31日  大学生まで住吉大社から徒歩15分の所に住んでいた。小学生の頃は境内が遊び場だった。最近は初詣にも行かなくなったが、数年に一度、大晦日に散歩がてらお参りする。  初詣客は全国1位だそうだ。例年であれば、年が変わると数十万人押し寄せるが、1日違いで大晦日の日中はほとんど参拝客はおらず、露天商がのんびりとした感じで店の準備や食べものを調理したりしている。  住吉大社のそんな風情がなんとも言えず、懐かしい。(写真は住吉大社ではありません)