「わたしの美しい庭」と優しさの物語
映画感想日記は定期的に更新されるのに、読書日記は実に3年ぶりの更新です。
まったく読んでいなかったわけでもないのですが、小説ではない資料本だったり、ゲームのノベライズだったりして。
あと、この読書ブログは、「日本文学と海外文学をなるべく交互に紹介する」ことが目標だったので、割と海外文学に偏った読書遍歴を持つ私は、ちょっとネタに詰まってしまったのだった。そんな誰も気にしてない縛りで書かなくなったらどうしようもないですよ。
というわけで、満を持して読書ブログを再開です。
記念すべき(?)本は凪良ゆう先生の『わたしの美しい庭』に決定しました。
今更読んだのかい!って感じもありますが、文庫になってたくさん並んでいるのを見ると手に取ってしまうよね。
凪良ゆう先生は、BLを読みまくっていた時期に地味にお世話になった記憶がありましたので、絶対にハズレはないだろうという自信がありました。
この読書ブログのお約束なので、ネタバレやあらすじも堂々と記載しますが(ネタバレ厳禁にするような話でもないと思うし)
屋上に縁切り神社と美しい庭がある通称「縁切りマンション」に住む人々を描く短編連作です。
翻訳家兼神社の宮司である統理と、彼と一緒に暮らす血のつながらない小学生の百音。隣に住んでいて朝食を一緒に食べる移動バーのマスターでゲイの路有。マンション住人で結婚に縁がない桃子。昔マンションに住んでいた、桃子の高校時代の彼氏の弟・基。彼らを主人公に、優しく救いのある人間の営みが描かれます。
そう、この1冊まるまる、全部優しくて救いに満ちているんですよ。
でも、正直すごくダメな人間も出てきて(特に『ロンダリング』で出てくる路有の元カレはすごく自分勝手でひどい)、でもダメなことすらも乗り越えて明日へ向かう力がある。
特に『兄の恋人』の基の話は、うつでダメになってしまった自分を受け入れて一歩先に進むような物語で、思わず涙してしまった。
どんなこがあっても、美しい庭の景色に触れて、縁切り神社で重荷を少し手放して、自分なりに生きていってもいいんだと思わせる物語。
人間って美しいな、と思えるような物語。
ダメなところもいっぱいでてくるのに、否定や反発ではなく、優しく包み込んで背中を押すことができる小説って、なかなかないと思うんですよ。
『わたしの美しい庭Ⅱ』で百音が友達に「両親がいないのがかわいそう」と思われたことにモヤモヤしているの、すごくわかるんですよね。自分がそれほど苦に思っていないことで他人から「あなたはかわいそうだね」と言われてしまうことのやるせなさは半端ない。
もちろん、生きていればかわいそうがられたい、同情してほしい場面はいくつもあるのだけど、他人から「あなたはかわいそう」と勝手にジャッジされたいわけじゃない。
それは『あの稲妻』で恋人を忘れられずに結婚から縁遠くなった桃子もそうだし、『ロンダリング』でゲイカップルだったのに女と結婚するために恋人から別れを切り出された路有、『兄の恋人』でうつで家族とも恋人ともうまくやれなくなってしまった基にしてもそうで、「かわいそう」という言葉では彼らは救われないわけですよ。(桃子に関して言えば百音の「かわいそう」には少なからず救われたとは思うけど)
人間が救われることは、こんなにも難しい。同情は必ずしも救いになるとは限らない。でも、同情はともかくとして、共感することを諦めてしまうと、救いはさらに遠のいてしまう。すごく難しい命題だと思う。
読んだ後に、なんとなくホッとするような1冊だった。
ダメ人間の肯定をしてほしいワケじゃないんだよな。ダメなのはダメなんだから。ささやかな挫折や落胆に、美しい庭と縁切り神社が救いとなって登場人物の背中を押してくれる。
私もどうにもならない気持ちの時に、悪縁切りの神社にわざわざ遠出して行ったことがあるからわかるよ。人には時に「神頼み」的な救いが必要なんだ。
ところで、全編通して出てくる百音の義理の父親である統理さん、名前がとうりさんだから、脳内に松坂桃李がどうしてもでてきてしまう!
違うんだ!松坂桃李が出演するのは今度映画化する『流浪の月』の方だよ!と思いつつも出てくる度に脳内に松坂桃李が喋りだす。
でも、きっと松坂桃李を想像したのは私だけではないはずだ……!
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