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私たちは鳥の気持ちがわからないし、ましてや他人の気持ちなんてもっとわからない

留学先で取っている授業に、"Supernatural in Medieval England"という授業があります。その名の通り、中世イングランドにおける"Supernatural"、すなわちオカルト的な事象について研究していく授業です。

今日の授業ではチョーサーのカンタベリ物語の、"The Squire's Tale"という話を原文と現代英語訳の二種類で読んで、その内容と"Supernatural"な要素についてみんなでディスカッションをしました。

この"The Squire's Tale"の後半部においては、恋に破れた鳥が自傷行為に走り、そこをカナセ姫という女の子が救い、彼女自身の失恋経験をその鳥に語って聞かせる、という場面があります。この物語の中で、失恋のショックから鳥は自分自身を激しく痛めつけ、血を流し泣き叫び、苦痛に顔を歪めます。

そこで先生は、苦しんでいる鳥ってどんな顔をしているのだと思う?と私たちに問いかけました。そしてそのまま色々な表情をした鳥の写真を見せてくれて、私たちはみんなでその鳥の心情を予測していきました。

例えば、

こんな鳥。絵心がなくて申し訳ないのだけれど、ていうかもはや文章で描写したほうがうまく伝えられるんじゃないの?って感じなのだけれど、もしこんな風に私たちを見つめてくる鳥がいたら、私たちはその鳥の心情をどのように予測するでしょうか。好奇心?不安?それとも警戒?

他にも例えば、

こんな風に頭を前に突き出している鳥を見かけたら、私たちはどう解釈するでしょうか。おそらく多くの人が、「怒っている」と答えるのではないかと思います。(本当に絵心がなさすぎてはずかしい限りです)

さて、ここで大切なのが、私たちはなぜこの鳥の心情を予測できるのか、ということです。どうして私たちは、この鳥の表情や姿勢からその気持ちを読み取ることができるのでしょうか。その時、私たちの頭の中でいったい何が起きているのでしょうか。


正解は、「自分ならこういう状態の時にどのような気持ちでいるかな」と、自分になぞらえて予想をしているのです。自分ならこんな表情で見つめているのは相手に関心があるときだな、とか、自分ならこういう風に頭を突き出しているのは怒っているときだろうな…とか。

この「自身になぞらえて推測する」という認知プロセスを、専門用語ではperceptiual simulationというらしい。Perceptualは「知覚の」という意味で、simulationは「真似ること」。日本語の的確な訳語はインターネットでは見つけられませんでした…。

先生がこの認知プロセスについて述べたときに仰っていたのは、鳥は人間ではないのだから、鳥の表情や態度を見て私たちの予想を100%当てはめることはできないし、これは人間同士でも同じで、態度や表情というのは文化によって異なっているのだから、その文化間の差異に注意しなければならないよ、ということでした。


ここでわたしがハッとしたのは、そもそも私たちは一人一人異なるバックグラウンド、一人一人の固有の「文化」を持って生きているのだから、100%相手が自分と同じように考えているなんてことはない、ということです。

結局他人の感覚、感情というものは、あくまでも自分という枠の中での推測という範疇を超えることはできないのです。

私たちは、「相手の気持ちを考えて行動しましょう」なんて小さい頃から教えられて育つけれど、結局それは「自分の物差し」でしかなくて、何かが発生したときにどう思うか、どんな反応をするかは本当に人それぞれなのだから、「相手の気持ちを考えて行動」したところで、相手が本当にそれを望んでいるとは限りません。

それなのに、近しい相手ほど自分と同一であると考えたくなってしまうのが人間のどうしようもない性というもの。だから誰かを思って行動してそれがうまく作用しなかったときに、「わたしはこんなに思っているのにどうして…」という疑念が渦巻いてきて、私たちはうっかりそれに飲み込まれてしまうのです。

例えば、わたしの大好きな『ララランド』においては、セブはミアのためを思ってジャズバーを経営するという夢よりも現実的に売れるバンドマンとしてやっていく道を選ぶのだけれど、ミアが惹かれたのは夢を追うセブだったから、二人の間にはだんだん距離が生じてきてしまうし、その距離は激しい口論となって二人の間に立ちはだかってしまいます。
セブは「ミアのため」と思っていたけれど、それはただの「セブの予想する一般的な女子の一人としてのミア」のためで、ミアの真の望みを彼は見抜くことができなかったのです。

このタイプのすれ違いは、恋愛だけではなくて、家族間とか友人間とか、あらゆる人間関係において簡単に起こることなのではないでしょうか。


「他人に期待しないのが人生をスムーズに進めるコツだよ」なんて、誰かの淋しい科白を聞いたことがあるけれど、「他人に期待しない」ということは「誰かに何かをしてほしいと一切望まない」ということではなくて、「自分と他人は全く異なる人間だと受け入れる」ということなのかもしれません。

「自分と他人は全く異なる人間だと受け止め」た上で、その人のその人らしさをしっかりと見つめて、「この人はこういう人だから、わたしにこういうことをしてくれるのではないか」と望むのは、その相手への信頼の証であって、人間関係における唯一の希望なのではないでしょうか。そしてそれを実践するのはとても難しいことだとは思うけれど、わたしは今後なるべく心がけていきたいと思っています。

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沙波

さわと読みます。スイス留学から帰ってきた大学4回生。小説と映画と絵画と猫とダンスが好き。フォローお気軽に。

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