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Best and Truest

留学先で気がついた、「他人を尊重すること」で生まれる、生きやすさの話。

タイトルを見てぴんと来た方もいると思いますが、このタイトルは私の愛する母校のモットーの一部です。わたしの母校は本当に素敵な学校で、誰もが個々を尊重して自由に楽しく生きられる空間でした。どんなところかというと、こんな感じ。ぶっ飛んでます。カメラロールを漁るとこんなのか変顔の写真しか出てきません。


そしてそんな高校を卒業して社会に出て三年目、様々な人と関わりあうなかで、個性を出したら咎められる、ということを幾度となく経験したわたしは、「Bestでtruestに生きるって、なんて難しいことなのだろう」と常々考えていたのでした。

しかしスイスに留学に来て4ヶ月目、わたしはいま、bestでtruestに生きられているように感じます。欧州の空気感は、母校ととても似ていると思うのです。何も押し付けたりせず、誰もの個性を尊重している感じ、とでも言えばいいでしょうか。母校の卒業生の皆さんならこの空気感、とてもよくわかっていただけると思います。

では、なぜその生きやすさの違いというものが生まれたのか、わたしなりに考えたことを二つ、まとめてみました。(ここからスイッチ入るのでだ・である調に移行します。笑)

「選択」の尊重

わたしがこちらに来て驚いたことのひとつに、誰もが個人の選択に口出しをしない、というのがある。「あなたが決めたのなら私はそれを見守るよ」というスタンスで人同士が関わり合っているように見えるのだ。

わたしは何事にも関してもこだわりが強い方で、いつでもマイナー志向というか、「どうしてそのふたつの選択肢の中でそっちを選んじゃうの?」という方ばかり自らの意思で選んできた。し、実際にその台詞を多々浴びせられてきた。

たとえば大学受験では、ここに行っとけば有名企業への就職が確約される、というようなある有名大学の人気学部にも合格したけれど、わたしは学びたいことがはっきりと決まっていたし、直感で今の大学が自分に合うと感じていたので、自分の意志でいまの大学を選んだ。就職やイメージを気にして大学を選ぶというのは、哀しいことだと思うのだ。結果として、私は自分の大学が好きだし、今でもまったく後悔していない。けれども、大学外の人には非難的な目で「どうしてそちらを選んでしまったの?」と言った問いを投げかけられることが多くて、それが本当に辛かった。そしてわたしが理由を説明しても、だいたいわかってもらえない…。

あなたはそう思っても社会では通用しないの」という言葉で、私の小さな勇気は簡単にねじ伏せられてしまうのだった。その度にわたしは、「社会」って何?どうして一般の価値観を鵜呑みにできるの?と、苛立ちを胸の中で燻らせていた。正直、今後の就活でまたその「社会の価値観」にぶつかることを考えると、少し怖い。

しかしこちらでできた友人にその大学選択についてのエピソードを話すと、「自分の意志でやりたいことを貫くのはかっこいい」といった意見をもらえることが多いのだ。正直、目から鱗だった。そんな風に思ってくれる人がいるなんて。高校も、あなたの行きたいところに行くのが一番よ、という進路指導方針を持っている学校だった。あの考え方に国を超えて再び出会えたことが、すごく嬉しかった。

私は自由で、好きなように物事を考えて、好きなように実行に移していいのだ。そう言ってもらえた気がした。

自分の思ったこととか好きなことを正直に話せて、それを受け止めてくれて、さらに自分の意見を返してくれる友人がいるって、本当に本当に素敵!そういったことも、noteに自分の思ったことをしたためてみようかな、と思うに至った経緯の一つである。

日本で暮らしているうちに、わたしは知らず知らずのうちに「自分は変わっていて、それはよくないことだ」という刻印を刻んでしまっていたのかもしれない。その呪いから解き放たれたいま、わたしは少し自分に自信が持てるようになった。


「女子」よりも「人間」として生きること

ここで突然ですが、わたしが言われて嫌な台詞ランキング第1位を発表します!
「女子なんだからそんなことしちゃだめでしょ」

わかるー!と画面の前で頷いている方、同志です。握手。

わたしは日本にいるとき、男の子の友達からそういったことを頻繁に言われてきた。集団でいるときに面白いことを言って場を盛り上げたり、ネットスラングを面白おかしく使ってみたり、ちょっとネタ系の行動をしてみたり…。そう言ったことをするたびに、「女子はそんなことしちゃだめだよ。そんなことをするから彼氏ができないんだよ」というようなことを笑いながらよく言われてきたものだ。まあ普通に仲良い友達だったので(仲良いからこそ言われてしまったのかもしれないが)、彼らと盛り上がるのは楽しいし、それらの発言だけで彼らのことを嫌いになったりはしなかった。

だがしかし何が怖いって、きちんと傷ついてしまうのだ、こういった発言は。しかも結構深く。わたしはおそらく、言動や発言は割と男子なのだけれど、性格と感性はめちゃめちゃ女子なのだと思う。我ながら結構めんどくさい。でもこういう女子って、結構多いんじゃないかしら。そういう女子にこのnoteが届けばいいな。

わたしは彼らを糾弾したくてこのようなことを言っているわけではない。彼らには彼らの価値観があるし、彼らなりのコミュニケーションの方法というものがある。わたしが傷つくなんてまったく予想もせずにただ盛り上げるためにそのようなことを言っていたのだろうとも、理解できる。わたしだって無意識に失礼なことを言って誰かを傷つけているかもしれない。

まあ、いま思うと、「だから何?あなたに関係ないでしょう?」と言い返してやりたいくらいに腹が立つし、気にするな!てかそもそもありのままの自分を好きになってくれない人なんてこっちから願い下げじゃ!くらい言ってやれ!とかつての自分にアドバイスしたいくらいだが、当時のわたしは、本気で自分が悪いのだと思っていた。

最初はかすり傷程度だった傷も、時を経るごとにだんだん深くなっていって、当時好きだった人から選んでもらえなかったことも相まって、自分には女子としての魅力なんて一ミリもなくて、そして選んでもらえないことはその価値のなさの証明なのだ、と本気で思っていたのだ。そして彼らの理想とするいわゆる「女子らしい」女の子たちと自分を比べて、自己否定の無限ループ。毎日、男の子に生まれればよかったのかな、と思っていた。いやあ、いま振り返ると結構きつい時期だった。自分で自分を好きになれないのは、地獄だ。

それでもこちらにきてからは、そんなセリフを誰からも言われないから、正直本当にほっとする。中高という人格形成の大切な時期を、女子校という性別のない世界で生きてきてしまったので、性別による押し付けのない人と関わっている方が、ずっと安心できるのだ。みんな、「女子はこうであるべき」といったものを一切押し付けず、人としてわたしと関わり合ってくれているように見える。(まぁそれでも可愛いとか言われたりお洋服褒められたり女子扱いされたりするとめちゃめちゃ嬉しいんですけどネ!)そもそも「◯◯は××であるべき」といった、「べき」な考え方があまりないのだと思う。わたしがアウトサイダーだから気がついてないだけという可能性もあるが…。

こちらに来て一ヶ月半くらい経ったある日、「あれ?わたし最近、なんだか楽だな?」と気がついて、その「押しつけ」がないからなのだと思い当たった。そして同時に、日本にいたときに自分が苦しかったのだな、ということにも初めて気がついた。自分が苦しかったことにも気がつけないくらいその価値観に染まりかけていたという事実に、少しゾッとした。ここで気づけてよかった。

以上からわかる通り、わたしはこちらに来てからとても生きやすい。語学力はそんなに向上していないが(結構ガチでまずいけど)、それでもこちらで出会えた人たちのことを思うと、本当に来てよかったなあ、と思う毎日だ。

最後に

ヨーロッパを盲目的に礼賛するつもりはない。ストとかデモとかテロとか移民問題とか、こちらで暮らして見えてくる不便さや問題点もたくさんあるし、日本の便利さや細やかなおもてなしが恋しくなることだってたくさんある。日本に残して来たたくさんの大好きな友達のことを思って寂しくなる日だってある。それでも、根本的な空気感が合っているのは確かだ。(余談ですが、留学にくる直前にノリで行った手相占いで、ヨーロッパ型の手相だからはよ海外行け、って言われたのを思い出しました)

正直、わたしが日本にいたときに苦しいな、と感じていたポイントは、日本社会の中では今後も変わらないし、もし変わるとしても相当な時間を要するのではないかと思う。だからわたしはいわゆる伝統的な日本社会にわたしを受け入れろ!とごねるつもりはまったくない。

わたしが言いたいのは、合わないと思う場所に無理に身をおく必要はないということ。この世界のどこかには、必ず自分を受け止めてくれる場所があって、自分と合う人がいるということ。

留学をしているわたしが言うと、国を超えた大げさな話に聞こえてくるかもしれないが、これは学校とか部活とか、そういう居場所の問題でも言えることであると思う。「合わない」と感じる環境からは、逃げ出していいのだ。そしてその選択が「社会」の価値観から外れたものであっても、わたしはその選択を尊重し、その勇気を讃えたい。

そして、「自由に生きていい」ということを肌で教えてくれる環境に6年も身をおけたことは、本当にわたしの財産だと思っているし、日本に帰ったらすぐに母校に遊びに行こう、と思うのだった。

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