見出し画像

手放す先にある月夜の愛

こんにちは。ヨガインストラクターの吉田紗弥です。11月に入りましたが、ポカポカ陽気が続いてますが皆様いかがお過ごしでしょうか。

今日もヨガのお話から入っていきます。
今から約2000 年前に成立されたとされるヨガの根本経典「ヨーガスートラ」には私たちの生活をより良くしていく賢者の教えが記されております。
その中から一説ご紹介いたします。

「アパリグラハが確立された時自らの誕生の様相と根拠について全き知恵がもたらされる。」

これは「ア」は否定を表す接頭語、そして「パリグラハ」は「貪る」という意味になります。ですのでこの教えは“ 不貪 ” という意味になります。何かを必要以上に求めて苦しくなった時にこの教えは役立ちます。

私たちは、高い目標がありそれに向かって進む時、ゴールに向かって頑張りますが、「もっと早く、もっと多く」と必要以上に求めてしまう時があります。
十分な美貌を手にしているのに「もっと美しくなりたい」と求めたりお腹がいっぱいなのに「もっと食べたい」といった私たちのこの貪欲さは時として、視野を狭くしてしまいます。

この視野を狭くしてしまうフィルターがかかっている時「自分が本当に必要なもの」とそうでないものの見分けがつかなくなります。
その結果、本来求めていたゴールから遠ざかってしまう時があります。

必要以上に「もっと美しくなりたい」と思って厚化粧をしたら肌が荒れた、
また必要以上に「もっと食べたい」と思って食べまくったらお腹を壊した、

など私たちは時としてこの「必要以上に何かを求めること」が自分の本来の至福感から遠ざかり本末転倒してしまう、ということを覚えておかないといけません。

そのためには、必要以上に求めてしまっている時、それに気づき、「必要以上に求めていないだろうか?」「これは一体なんのためなの?」と自分に問いかけをしてみてください。
本当の必要な理由が見つからない時は、思い切って、その離さなかった執着心を手放すことができた時、私たちは「自分の本来の幸せ」に向かって進んでいけるはずなのです。


私のお話になるのですが、私は8月の終わり頃から、食欲の秋、芸術の秋、読書の秋、そしてスポーツの秋と次第にフットワークが軽くなり、「いろんなことがしたい」と予定を詰めるようになりました。

予定としては、
プライベートでは、親戚同士のお食事会、知り合いが出ている演劇鑑賞、また、職場の先輩の誘いでサザンオールスターズのライブの音漏れを聞く、ということで茅ヶ崎ビーチへ遊びに行く予定をたてたり。
またおすすめされた自己啓発や小説などの本を読むなど。

また仕事の方でもたくさんのアポイントメントを入れて仕事量もどんどん増やしていきました。

1日の予定は、朝はアーサナプラクティスは絶対!と起きる時間を早め、朝は仕事、移動時間に仕事で使う資料などを作成したり、夕方から夜にかけては家事と作業に追われ、気づけば毎日予定がぎっしりで疲れが次第に溜まり始めていました。

忙しさを理由に、何かがなおざりになってしまってはいけないと、何かと「時間がもっとあったら」「あっという間に時間が過ぎる」などが口癖になっており、何するにも、「もうこんな時間だ」というようになります。

何をつけても「ながら」作業になり、食事中も美味しい食事に集中できず携帯を見ながらの食事、友人や家族と話をしても仕事のことを考えたり。
私のこの「もっと時間がほしい」という執着心は次第に焦りと不安が付き纏うようになりました。

そしてある日、忙しさで忙殺されている私をみて夫が休みの日にお昼ご飯を作ってくれたのです。
「ありがとう」と言いながらも心は何だかそこにあらず、「明日は〜もやって、〜もやらなきゃいけない、もう1週間経っちゃった!」とぶつぶつ言うと、
「そうやって忙しいとか、もう1週間経ったとか言わないほうがいいよ」と言われ、はっと気づいたものの、余裕がなかった私は「少しは応援してくれてもいいんじゃない?」とイライラしてしまいまし、夫と気まずい空気になりながらその場を過ごしたのです。

そしてそうバタバタ過ごしていた矢先、夫から
「今度結婚の報告ができていなかった叔母に挨拶を一緒にしに行こう」と食事に誘われました。正直な気持ち、
「結婚式はもう3年前に終わっていて、お手紙などで報告や連絡をしていたので今更なのか」と
忙しさの余裕のなさからあまり気乗りがせず、また自分の余裕のなさにも呆れだしました。

その次の日は次の日もレッスンが1日に3個朝からあり、かつ自分の別の作業もしたいと約束の日までバタバタしていました。

そしてその当日でも食事会ギリギリの車の中でも終わっていない作業に追われ、夫の会話が適当になっていました。

そしてそのおばさんにお会いし、自分達の結婚式のムービーをみせながらお話、食事をしていると、
「とても立派な結婚式で素晴らしいねぇ」とその90歳になるおばあちゃんがとても喜んでくれたのです。喜んでいるおばあちゃんと画面ではたくさんの友人やカゴくが笑い喜んでくれている、幸せそうな夫と自分の笑顔・・。
そしてその時あらためて、最近自分はこんな笑顔を家族や友人に向けていただろうか、と気づいたのです。

この90歳まで元気で生きているおばあちゃんみたいにいつも笑顔で優しく、隣にいる夫と周りの家族や友人と幸せになることが、本来の人生の目的ではないのか?

目の前の人たちにヨガで幸せなってほしいと思っているのに、自分の今の余裕のなさで、周りの人を悲しませてるんじゃないか、と。

そう気づいた瞬間、
私は次の日の3本のレッスン以外は何もしないという時間を作り、これと決めていた自分の予定を手放そうと決めたのです。

そして次の日、2本のレッスンを終え、最後1日の終わりのレッスンの前に自宅のソファーで2時間も昼寝をしたのです!!!
昼寝ごときで...と思うのですが、この時間を作ったことで頭がクリアになり、何かがリセットされ冷静になっていくのを感じたのです。

夕方からのレッスンへの足取りが軽く感じ、その日はムーンヨガという満月の日のイベントでしたが、歩く道のり、大きな満月が綺麗に浮かび美しく、輝いて、
私を包み込んでくれるような明るい光に感動し、

「こんな綺麗な満月を見たのはいつぶりだろうか」と自分の中の執着が解かれる気持ちになったのです。

そして満月の下で行われたレッスンに参加してくれた皆様とも仲良く身体を動かすことができ、会話もたくさんでき、つながりが深くなるのを感じたのです。

そしてその感動的にレッスンを終え、またその美しい満月を見ながら家に帰ると、夫がお風呂を掃除してくれて温かいお風呂を入れてくれていました。

夫の優しさに気づき、自分の執着が家族や友人に寂しさ、厭わしさを与えてしまっていたかもしれないと、ここで改めて感謝に気持ちで、今回は心から「ありがとう」と言えることができたのです。

今回、自分が本当に求めているのは、私の人生は自分を含め、おばあちゃんや夫など家族や、友人が笑顔で過ごすことだと気づくとこのアパリグラハの教えをきっかけに本当に大切なものは?と気づいた一つの大きな経験となりました。

時に私たちは、自分のゴールに向かい進む時、「もっと多く」「もっと早く」とその貪欲さから視野が狭くなり、苦しくなってしまう時があります。

けれどもその握って離さなかったその何かを手放すことができた時、愛を持って人生の可能性を開いていくことができるはずです。
まるで月の光を浴びて、泥の中から美しい花を咲かせる睡蓮のように、私たちも、自分の執着を手放し、自分自身の人生の可能性を広げていきましょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?