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ひとは死ぬ時ひとりじゃなきゃダメなのか

東京の祖父が亡くなった。妻である祖母は、我が実家の近くの施設で、なんでこんなところにわたしはいるのかと繰り返しているという。

昨年の11月に自宅で転んで頭を打ち、硬膜外出血で手術を数回した。急性期でリハビリをし、起き上がる・食事をするなどの回復を見せたが、回復期の病院に転院後常時拘束、コロナに罹患し肺炎に。その後、誤嚥性肺炎などを繰り返し、ほぼほぼ寝たきりの生活がしばらく続き、廃用性症候群となってからは、起き上がる筋力もなく。

高齢だとリハビリにそこまで力を入れてもらえない。年齢的にもうここまでで当然だと判断される。筋力もないし、病室内で転んで頭を打たれても責任がとれないので、家族が「そこでなにがあっても責任は問わないよ」と署名したうえで、ベッドに括り付けられるわけだ。でも医療が必要だから、家には帰れない。で、筋力はさらに失われる。

多くの人には、これが高齢で事故って入院しているひとの大半であると知っておいてほしい。自分か、または祖父母か、親か…誰しもに起こりうる、生きてる意味を見出すことが、生きようという意志を持ち続けることが困難な、そんな生活になる。

本来なら病室へ家族が行き、内緒で甘いものをこっそり食べたり(だめだけど!)、一緒に頑張ろうとその辺を散歩して運動させたりできる。なにより「会える」。それは退院まで頑張るための生きがいになりうる。でも今はそれができない。会えない。危篤になるまで会わせてもらえない。死ぬ直前だけしか会わせてもらえない。

なんなら祖父は誰にも会えなかった。危篤から15分で亡くなったからだ。連絡を受けて走ったけど、誰も間に合わなかった。

この時代に入院しているすべてのひとに、時代が悪いからしょうがないねって国はいうけど、そうかな。じゃあなんで、この先いくらでも楽しむチャンスがある若者は旅行へ行けるんだろう。アイドルのライブに行って、好きな人に会って。それは明日でもできるのに。明日があるのに。

みんなが我慢すれば満足か?ってそうじゃない。もう先が長くない親の手を握りたい子供がいる。家族に一目会えるだけでまだもう少し頑張ろうって思える患者がいる。偽善的に聞こえるだろうか。でも本当に、病院に出向いているにも関わらず月にたった1回10分間のZOOMだけを生きがいに、みんなはどれだけ生きていける?もう死にたいって思わない?

人間はけっこう気力で生きれるし、なんなら最後は気力なんだよ。なんとかその気力をつなぎとめようと家族が頑張りたくても、声も届けられないのにどうすればいいのか。


みんな知っていてね。病院は「厚生労働省が決めたことですので」の一点張りだからね。あと関係ないけど差額ベッド代は支払うな、サインするな。厚生労働省の通達印刷して見せてね、支払い義務無いからね。
厚生労働省がしてる通達はバレなきゃお金は取るくせに、死にかけの家族に会いたい情は一切汲まないからね。

クラスターが出たら責任とれるのか勢は家から一歩も出ずに生活してから言ってね。まあその場合も家から一歩も出ずに介護の必要もなく暮らしていけるんだから、黙っててほしいけど。

お世話になった病院はたぶん悪い病院じゃなかった。いや、転々としたうちの一個は最低だったからマジでおすすめしないけど。


祖父は口が悪くて、天邪鬼で、それでいて家族を愛する人だった。祖母に会いたかっただろうと思う。

葬儀には、わたしの家族と叔母の家族が主だった。

口の悪い祖父と政治的な見解の相違で喧嘩し、クソジジイと捨て吐いてから疎遠になった姉が通夜の少し前に来て、盛大に棺桶に縋って泣いて参列せずに帰った。ここまできても、姉はできることより自分の気持ちを素直に優先する。素直なひとだ。すごいと思う。

半面、そんなに泣くほどの情があるならなんで割り切って顔を見せてやらなかったのか、なんでワクチン打った人間の救い方を知らないとか言っちゃうのか、そこまで来ておいて意地でも参列しないで帰るその優先したあなたの気持ちってそんなに最重要ですか。

目も合わせなかった。受付だったから、この度は恐れ入ります。ご芳名をお願いいたします。お帰りの際に、心ばかりの返礼の品との引き換えをお願いいたします。とだけ言葉を交わした。そうしなければ、通夜をぶち壊して怒鳴ったと思う。「何もできなかったと泣くのなら、今からでもできることを教えてやるよ」「参列しろ、悼め」「今度は泣かなくて済むように、政治とかの前に親に孫の顔見せてやれ」って。

孫の顔を見せにこないのは、実家の近くの持ち家に引っ越すのをわたしが全力で拒否したことにブチギレてるせいだから、そんなこと言ったらお前が言うなってさらにブチギレられそうだけど。

それはそれとして、それでも見せてやれよとは思うけど、嫌なことは無理してしないのが姉だからしょうがない。嫌でも無理でもそれで納得する誰かがいて、それがわたしにできることであればやっておきたいわたしとは正反対。合わねえね。

でもわたしは、この葬儀でその生き方が、自分が正しいと思ってきたことが、正しかったと思えた。ありがとう祖父。あなたの憎まれ口に泣きながら帰っても、二度と行くかと思っても、どんなにムカついても、捨て台詞は吐かずに外面だけは「またね」って毎週通ったあの日々のおかげでわたしは、何もできなかったと棺桶に縋って泣かなくて済んだ。

あなたの好きなものを副葬品に入れてあげることができて、みんなにいい表情だと褒められる遺影も用意してあげられた。

報われたと思っていい。あの時たったひとりで、行きたくないこのまま寝てたい!って内心だだをこねてたわたしは、自信をもって正しかった。

なんで姉も叔母も遺影が用意できなかったか、副葬品が思い浮かばなかったか教えてあげる。気持ちが行動になってないからだよ。生きてるうちに接した時間、天邪鬼な祖父の言葉から好きなものしてほしいこと、いい表情の瞬間。撮っておこうという気持ち。なかったよね。気持ちはあるっていう人はたくさんいるけど、言わなきゃ伝わらないし、行動しなきゃ結果にでない。

叔母も姉も自分の気持ちに素直で、叔母はさらに楽なことが好きで。2人とも毎週祖父母の家に通って、休みの日を潰して認知症の祖母が腐らせた大量の生ごみを持ち帰るわたしに同じことを言ったことがあって。
「今を生きなよ」
心底わたしの人生を心配してくれた発言だろうと素直に思うけど、老眼で賞味期限が見えなくて、ボケてて何食べたか覚えてなくて、出されたものしか食べない昔ながらの祖父が、あの魔窟の冷蔵庫のものを誤って食べてないかなって心配にならないわけがないのに、代わりに行ってくれるわけでもない。

2人がそんな簡単に「別に行かなくたって大丈夫だよ」とまるで優しい言葉がわたしにかけられるのは、鬱になった祖母とご飯が用意されなくてお腹を空かせた祖父のあのとある梅雨のいちばんひどかった時の惨状を見たことがないからだ。

今でもあの虚な祖父母を思い出すことがある。時々、死体の第一発見者になるのではないかとすら思っていたほどだ。

だから毎週、なにか真新しいものと話題をなんとか捻り出して用意して通った。その日々をたぶんわたしは自慢していい。

今、たぶん、最後を病院で迎える可能性があるひとたちは、ひとりで死んでいく可能性が多分にある。最期はどうしたって、もっとああすればこうすればと泣くことになるだろうけど、その後悔のなかに、でもやれたこともあったよねって言える方がわたしはいいと思う。

悔いのないように、は思ってても難しいけど、それでも、悔いのないように。選択できればいいなと思う。
病院の面会制限の緩和を切に願う。