私の子供時代は「大人」だった
以前ある方とお話をしたとき、「柴巳さんは考えが大人すぎますね」と冗談っぽく言われたことがある。
このとき私は、うまい返しだなと思うのと同時に、「そうか、大人すぎても不正解なのか」と少し考えてしまった。
昔はもっと正解がわかったのに、なんで最近はうまくいかないんだろう。
二十歳を超えてから、子供に戻る大人をよく目にするようになった。
お酒を飲んで日にちが変わるくらいまで騒ぐ。
「実は大変なことの方が多いよ」と正直に悩みを打ち明ける。
普段はあらゆる好奇心も素直さも、都合よく調整して忘れようとして、「大人だからね私は」と言い聞かせて鞭打って立つ。
子どもの頃、大人になれば何かが変わり、今知らないことを沢山知って情緒も安定して過ごしていけるんだと勝手に想像していた。
だから、あまり子供ぶらないようにした。ピーターパンのように永遠に子どもでいたいと思いながらも。
それに、大人のいうことを聞けば、大人に反論があっても困らせるようなことを何も言わなければ、平穏に暮らせるものだとも。
だけど実際は、全然そんなことない。
本当にちいさい時とは違って、少し大きくなれば大人の間違いは間違いだとはっきり伝えないと叱られることだってあるし、「無責任だ」と不公平に言いつけられることだってあるのだ。
感情をぶちまけたり大げさに物事を話したり、気づけば私はまだまだ子どもだった。
それを認めたくなくて、幼稚園のときから人前で泣かないようにしているし、頼まれたわけでもないのに執拗に我慢する性格になってしまった。
人は変わることができるらしい。
急に180度変えることはできないけど、今日から5度ずつ変えるのは大アリだ。
21歳。あと半年もせずに22歳になる。
思い返せば、テイラースウィフトの歌う22歳はまだやんちゃ坊主だったな。
あまりに頑固で、過去のことばかり書いている自分はあまり好きじゃない。
ついでに、本当はもうかわいそうなふりだってしたくない。
何をしても、自分は子どもなんだと胸を張って伝えているかのようで、嫌になるときもある。
だけど、ただの考えすぎでもなんでもなく、今ここで気持ちを全世界に向けて吐露できるのはやっぱりこの考えすぎのおかげなのであって。
自分を好きと言えない日があってもいい。それがふつうだ。
ふつうなんてない、というのも当たり前だ。
だから、もっと子どもを満喫して、背伸びをしすぎたらかかとをくすぐってでもありのままの目線を自分に楽しませてみて。
そこには、あなただからこそ見える景色が広がっているから。
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