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アスリートの社会課題の発信と連帯

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こんにちは。いつもコラムをご覧いただきありがとうございます。S.C.P. Japanの野口(@noguchiaya)です。今週はアスリートの社会課題に関する発信について書きたいと思います。

山本敦久氏のポスト・スポーツの時代の中で、アスリートのソーシャルな可能性について語られている章があります。

アスリートの社会課題の発信は、現代になって盛んになってきたアスリートのアクティビズムではありません。アスリートのアクティビズムが容認されるようになってきたからこそ、最近はポジティブに受け入れられるようになってきましたが、従前よりアスリートたちは自身のメッセージを発信し、差別や不平等と戦ってきました。

1968年のメキシコシティオリンピックのブラックパワー・サリュートは有名な出来事です。スポーツを勉強している学生は必ず授業で勉強する出来事かと思います。当時のアメリカの黒人差別に対して、選手生命を賭けて、命を懸けて、黒人の人権を訴えたこの出来事はあまりにも有名です。

ブラックパワー・サリュートを含め、昔から人種差別、性差差別など、特定の課題に対して声をあげるアスリートは存在していました。

テニスのビリー・ジーン・キングはスポーツ界における性差別に対して戦い、アメリカの女性のスポーツ参加を促進する女性スポーツ財団(Women Sport Founation)も設立しています。ビリー・ジーン・キング氏の実話をもとにした映画も出ています。

アスリートの社会課題に対する発信は、2016年のアメリカで相次いで起きた白人警官による黒人射殺事件に対するコリン・キャパニック選手の抗議をきっかけに、ミーガン・ラピーノ選手を中心とするアメリカ女子サッカー代表選手たちによる女性の地位向上(イコールペイムーブメント)やLGBTQムーブメント、大阪なおみ選手の「Black Lives Matter」の主張へと繋がり、SNSの発展も後押しし、それぞれの個別課題がアスリートを通じて結びつき、多様な人々が多様なままでいられる社会を訴えかけるうねりとなって現代社会に復活したと山本氏は述べています。

こういったアスリートのアクティビズムのうねりを受け、アメリカオリンピック委員会は、2020年12月に政治的な発信をするアスリートに対して処分をしないことを決定した。

一方で、国際オリンピック委員会はオリンピック憲章の規則50を遵守することを2021年4月21日に発表しています。IOCアスリート委員会はアスリートに対して意識調査を実施し、今もなお、多くのアスリートがオリンピック競技大会は政治的にクリーンな大会であることを望んでいるという結果を明らかにしました。IOCの理事会はアスリート委員会のこの提案をサポートすることを決定しました。

冷戦の代理戦争として、ナショナリズム醸成の機会として、オリンピック競技大会といった大規模スポーツ競技大会の場でアスリート達の身体が政治的に利用されきた歴史を考えるのであれば、アスリートの政治的発信を認めることで、どのような課題が出てくるのか慎重になる必要がありそうです。

1. IOC 理事会が例外として許可する場合を除き、 オリンピック用地の一部とみなされるスタジアム、 競技会場、 その他の競技区域内とその上空は、 いかなる形態の広告、 またはその他の宣伝も許可されない。 スタジアム、 競技会場、 またはその他の競技グラウンドでは、 商業目的の設備、 広告標示は許可されない。

2. オリンピックの用地、競技会場、またはその他の区域では、いかなる種類のデモンストレーションも、 あるいは政治的、 宗教的、 人種的プロパガンダも許可されない。

「オリンピック憲章より」
https://www.joc.or.jp/olympism/charter/pdf/olympiccharter2020.pdf

ベネディクト・アンダーソンは「想像の共同体(Imagined Communities)」という著書の中で、メディアが国家を作ったと述べています。

国民とはイメージとして心に描かれた創造の政治的共同体である。
(ベネディクト・アンダーソン)

印刷技術が発達する前、人々は情報を得るために集いました。印刷技術が発達し、遠くにいても情報が得られるようになりました。印刷される言語が統一され、その言語から情報を得る人々がやがて国家という形態に発展していきました。

一方で、遠くにいても情報が得られるようになったために、人々が集う必要性がなくなり、群衆は解体され、より社会は「個人」化していきました。また、電子メディア、ネットメディアが発達して、情報は一瞬にして世界中に届くようになった中で、社会はますます「個人」化しています。

言語を届けるメディアの発達により、統一言語を使用する人々が基盤となって国家ができたのであれば、テクノロジーの発展で瞬く間にローカル言語に翻訳されてどんな情報でもリアルタイムに享受でいる時代である現代において、国家は実質上解体に向かっている予感もします。

そんな時代の中で、私たちは何を持って連帯し、共同体を築くのでしょうか?「多様性」という旗の下にSNSを通じて連帯するアスリートたちに、新しい個々人の結びつきのあり方のヒントが隠れている気がします。

ここから有料記事となりますが、多くの人に発信するほどではないけど、「細々と思う小さく短い一言」を有料部分に記載しています。内容自体は無料部分で全てカバーされています。本記事を読んで、「新しい視点を得られた」、「S.C.P. Japanの活動を少し応援したい」、と思っていただけたら、有料記事を購入いただけますと幸いです。よろしくお願いします。

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