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ACT.98『楽園を目指して』

甲府で春を感じる

 甲府の駅に到着し、しばらくの時間を過ごした。
 普段なら宿に向かうまでの時間は車両を撮影したり地元の駅周辺をグルグル回ったり。そして列車の本数の都合があれば下車印の収集をしてから向かったり…と多岐に用事を挟んでから宿泊先に向かうのだが今回は異なった。
『宿に向かう事を目的』
にしている以上、滅茶苦茶早い体勢で宿に向かう準備を整えたのだ。
 として、写真は夕食に食べた『ほうとう』の序でに駅内ショッピングモールを観察し、序でに買い物に向かっている際の写真。
 ショッピングモールには書店やスーパー、スイーツ関係の店などが入居し、県の中心駅を彩っていた。
「おぉ〜、まさかこんな美しい夕日が見れるなんて、ツイてるもんだねぇ…」
何か風流に気取って、甲府の駅前から夕焼けを見守る。
 春を感じる要素が、まさかの日照時間という、まさかなスタートであった。
 こうして遠征した場所で春を感じるとは予想外だったが…嬉しい誤算だった。
 しかし、実は列車の乗車予定に関しては数分ほど過ぎている。
 遅れた分はラストスパートもそんなにないので、ゆったりと寛いでから出発を決めた。
 コンビニに入店すると、入口付近のスポーツ新聞が山梨学院高のセンバツ敗退を伝える一面の記事を発見した。
「そういや、今回の旅は山梨学院高の巡り合わせなんだった」
と思ってしまうと、自然に記録商品として購入してしまう。
 この他に、抹茶味のチョコレートを購入した。
 コンビニで少しだけのラフな買い物を済ませると、再び改札に向かって長いエスカレーターを移動する。
 ちなみに。
 山梨学院高と戦った健大高崎高に関してはこの記事に掲載された試合でセンバツベスト4への進出を決め、そしてこのセンバツで優勝したのであった。
 連覇の夢ならずであった山梨学院高だったが、その夢は健大高崎高の
『群馬県勢初のセンバツ優勝』
に繋がっていったのであった。

 山梨交通だったか…バス営業所の付近にはこの小さな石碑が建立されている。
 かつて山梨県にて路線を張り巡らせた小さな私鉄、『山梨交通』の電車の施設跡のようである。
 現在はバス事業だけである山梨交通であるが、かつては県内で鉄道事業を営んでいた。
 そうしたかつての鉄道の栄華を偲び。そしてこの地が甲府駅の発展に繋がり現代の交付中心の基礎になった事を示す『はじまりの地』としてこの石碑は建てられているようである。
 ちなみに、山梨交通の電車線の愛称は『ボロ電』であったそうな。車両は新しく、電車の営業していた時代は十分な最新鋭の設備・車両で運転されていたのにも関わらずこうした愛称を授かったところには、
『設備や施設がボロかったから』
という理由があるとされている。
 そんな『ボロ電』であったが、この石碑付近の『甲府駅前』から『甲府青柳』までの20キロ近い路線を運転していた。
 昭和5年に開業し、駅数は28駅。
 最盛期には年間利用客数が300万人を計上したが、道路交通の発展には勝てず昭和37年に惜しくも廃線となった。
 現在は車両が富士川町の方に保存されているのだが、詳細についての解説はその際までのお楽しみにしよう。
 ちなみにこの石碑の横には石碑訪問記念?としての山梨交通の『鉄印』が販売されており、自動販売機で飲料と共に鎮座している。
 キンキンに冷えた状態の鉄印とオマケに入る当時の山梨交通電車線の切符が飲料の冷却で瓶に詰められ自動販売機からずり落ちる様は、見ていて実に面白…いのだろうが、自分は購入していない。(そこは買わんかい

こんにちは、山梨

 いよいよ旅のメインになった山梨県を本格的に旅していく。
 乗車前にホームにて自販機で水ゼリーを買って、適当なボックス座席に座り込んだ。
「何回か水ゼリーは飲んだけど、レモンって初だなぁ…」
そう思って購入したこの商品であったが、味に関しては個人的にイマイチだったような感じ。ガムのように口の中に突き抜ける香りが残ってくるので、それが自分の中ではマイナスポイントであった。
 適当なボックス席が空いていたので、腰掛けて車窓にもたれ掛かる。
「いやぁ、こうして乗車すると甲信越に来たって感じるもんなんだよねぇ…」
青色の帯を巻いた銀色の通勤電車が、この地域では地元客の生命線である。
 車内のボックスはある程度埋まり、そして通勤通学の乗客で車内は少しだけ賑やかな空気を背負っている。
 家路に向かう乗客たちの活気で、何処か和やかにも感じられる。
 発車メロディが鳴った。
 甲府駅はJR東日本の管轄であり、中央本線だけは東京近郊でよく耳にするJR東日本の発車メロディが発車時には車掌によって鳴動する。
「なんか全く人混みを感じたわけではないのに、すんごく東京を感じてしまうなぁ…」
そう思うのも束の間、列車はゆったりと鈍い音で加速し、山梨県を歩んでいく。
 大月行きの普通列車が、今日のラストランナーだ。

 乗車した大月行きの普通列車は、甲府を出ると酒折に停車し、その次に石和温泉(いさわおんせん)に停車した。
 この石和温泉が今回の宿の最寄駅である。
 この駅から今回宿泊予定の宿に行くのを、どれだけ心待ちにしていた事か。降車した時点でもうワクワクが止まらなかった。
 石和温泉は2面の対向式ホームによって構成されている駅である。
 駅前にはショッピングモールなどがあり、駅としては中核都市に分類されるのだろうか。しかし19時頃に到着した中では、駅前は盛り上がっている様子が少なかった。
 写真は降車してスグ。向かい側に特急列車が入線してきたので撮影したものになる。
 甲府まであと一息となる、新宿からの特急列車・かいじ43号がやってきた。
 石和温泉は郊外の駅になるが、帰宅需要や通勤需要などを見込んでなのか、一部の特急列車が停車する。車両はJR東日本の中央本線に投入された平成27年製の新型特急、E353系だ。高運転台特急の系譜を引き継いだE351系の置換えとして現在はこの路線に君臨している。
 昭和36年、武田信玄の軍出陣の様子を描いた三橋美智也による演歌…の武田節をアレンジした発車メロディが響く。家路に向かう乗客たちを乗せたE353系・特急/かいじ43号は甲府へ向けた残り短い旅に向かっていった。

温泉駅?都心の駅?

 石和温泉に下車すると、ガラス張りの綺麗な駅舎が目をひく。この駅舎は平成28年にリニューアルされ建設されたもので、この駅舎の建設と同時に石和温泉の発車メロディは先ほどの演歌・武田節となった。
 駅は改札を出るとJR東日本の標準的なコンビニであるNEWDAYSが、そしてあとは特急停車駅とは思えないくらいの静けさが目をひく。下車した時にはピアノの音色が聞こえ、駅に設置されているストリートピアノの美しい旋律が耳に入ってきた。
 今回宿泊する宿は、この石和温泉からここまで乗車した中央本線の線路沿いにある。
 宿としてはとにかく全面に推された『鉄道』がコンセプトであり、今回はもう完全にそこに惹かれて。そのヶ所に魅了されて予約したようなものであった。
 しかし、駅の周辺は先ほども記したように『温泉街』と思えるような盛り上がりを感じない。どちらかといえば、都市圏の中でも外れた郊外の駅のように感じられる。
「はじめて下車はしたもんやが、あまりにも静かなのちょっと不気味だなぁ…」
そうして駅のエスカレーターを出て、宿に向かう為の道を歩く。
 としかし。ここで最初に道に迷い、完全な失策を生み出してしまった。
「暗いからわかりづらいなぁ…」
一応ではあるものの、Apple map(端末の中に入っている地図)で情報を手繰りつつ中央本線を踏切で跨いで、宿に向かって歩く。
 初見だと街灯があまりない道の上。そして線路と付かず離れずになる状況で分かり辛いと思う。宿に行くなら少し準備をして、日没手前くらいに向かうのが良さそうだ。

 道路は暗がりになっているので『歩きにくい』というより、車道の方が割りかし広いので安全に気を遣ってしまうイメージだった。交通に配慮しつつの綱渡りのようにして歩き、曲がりくねる道の途上に開けた学校の校舎を発見する。
 春日居中学校だ。この学校が宿に向かう際の目印になる最寄施設である。
「よ、ようやくかぁ…」
歩き疲れた、というよりかはどちらかと言えば安堵になるイメージが強かった。
 ゴールがはっきり見通せた事に対して、一定の安心感というかなんというか。メンタルの余裕ができた。
 そして、この春日居中に沿った裏道のような場所に入ると、石和温泉駅以来の中央本線の線路を目に入れる。
「よ、ようやく来た…!」
楽園がすぐそこに迫っているという事への鼓動の高鳴りが、踏切の発見と同時に胸を打った。
 丁度、踏切に差し掛かったタイミングで踏切が鳴動した。
 急ぎめにしてカメラを出し、記録体制に入る。
 通過していったのは特急列車だった。
 E353系による特急あずさ…?らしき列車が、風切りの音も高々に静かな田園の近くを疾走していった。
 踏切が開くといよいよ楽園の前だ。看板を目にした瞬間の最高潮は忘れられない。

パラダイス!!!

 石和温泉付近、線路沿いの近くに宿を構えるゲストハウスがある。
 鉄道に特化し、鉄道ファンたちの憩いの場になり。そして未来の鉄道オタクを養成するべく(決してそうではない)少年たちにも愛されるゲストハウス『鐵の家』だ。
 この宿に宿泊する事を、どれだけ楽しみにした事か。本当に嬉しかった。各ゲストハウスに配架されていたフライヤーなどを見て、この宿に宿泊する事を夢にまで思ったくらいである。
 まず入館すると、QRコードで予約した個人情報を打ち込む。そして、カウンターで予約内容をスタッフと確認して料金の支払い。宿の中には温泉が引かれているので(温泉ってその表現で良いのか)、宿泊に追加して入湯税を支払う。
 そして今回は、鉄オタ向け?の完全なプランを追加してこの宿での時間を心ゆくまで…という事にした。今から楽しみが止まらない。
 なお、ここでは少し変わった温泉のルールがある。
「お時間は何時にされますか?」
カウンターで鍵を受け取り、支払いを終わらせこうした質問を受けた。
「そうですね、取り敢えず夜だけで20時30分に…」
「分かりました。先に温泉ですね〜」
そう。この宿では、温泉を併設していても『予約制』となっており、時間毎に宿泊者の利用が分割されている状態となっている。
 申告した時間から制限時間まで…と少々狭い状態にはなってくるが、温泉を心ゆくまで楽しめるのだ。
 再び温泉に関しては記すところだが、こうした時間利用制限付きの温泉になっている所がこの宿のまた良いポイントだった。ゆっくりとプライベートに温泉を吟味できる。それが本当に居心地の良いものだった。
 写真は宿に入った通路の一部である。
 貼られているポスターは、鉄道模型の新製品案内。そして、鉄道アメニティの販売である。
 この宿では至る場所で鉄道商品や鉄道アイテムなどを販売しており、土産物として購入し持ち帰る事が可能だ。

 荷物を置いて、フリースペースに。使用したモバイルバッテリーと端末の充電をしている間に、宿の様々なヶ所を見て回る事にした。
 本当に鉄道だらけだ。自分の鉄オタ…歴は誇れるものではないとして少なくとも10年以上は経過している。オタク、になったのはというかオタクの地位に行ったのはいつの事だか放置して。
 写真で見ても分かるように、至る場所に鉄道の要素が散らされており見ているだけで無限の時間が溶かされていく。
 今回は身延線の旅の途上の中に…といった感じでの訪問になってしまったが、いずれかはこの場所の為だけに山梨に訪問しないと細かい点に関しては見逃してしまいそうだ。
 ちなみに。
 山梨県に関する展示としては前回記事でも記した身延方面を聖地としたTVアニメ『ゆるキャン△』に関する品々の展示。そして宿から見える富士山に関してのコーナーもあった。しっかりと山梨を満喫できるというのも…忘れてはならない。
 そして、宿の中では軽食に飲料も販売している。最寄の食料補給点として春日居中付近のセブンイレブンがあるが、宿内でも『信玄餅クレープ』にカップ麺などの食品が補給可能である。
 石和温泉から汲み上げる直の温泉に浸かった後に食するアイスの美味さと言ったら、最高ではないだろうか。

タイムカプセル〜蓄積の過去〜

 宿のフリースペース内に関しては、様々な品々を見ているだけで無限の時間が溶ける…と記したが、その中でも圧倒されるのが膨大な数の書籍類である。
 本棚を探っていくうちに
「うっわ!!懐かしっ!!」
などの声が少しだけ漏れそうになる。
 入山瀬の図書館で見かけた写真の絵本もそうだが、まさか自分の鉄道ファンになる原点に2つも遭遇してしまうとは。これ以上に嬉しい点はない。
 書籍に関しては、交友社の発行する雑誌『鉄道ファン』に、交通新聞社による『鉄道ジャーナル』、TOMYTECの発行するNゲージカタログ、など。多くの書籍が目を引いた。
 この図書たちに囲まれての生活となれば、鉄道に関する文書などの作成であれば余裕で缶詰生活も可能なのではないかという勢いであった。
 中には…
「そうそう、これ欲しかったんだよねぇ…」
自分の形成というに相応しいような書籍もあった。
 幼少期、というか小学生くらい。思春期の男子が欲しがるとは思えないような書籍を、自分は欲しがっていたのである。
 今を思えば、周囲のクラスを共にした人たちは「角川つばさ文庫の〇〇が欲しい!」
だったり、
「ONE PIECEの最新刊!!」
だったり、児童書や漫画の洗礼で成長していく中、自分はただ1人。
「サイドビュー図鑑が欲しい!」
だったり
「私鉄〇〇形式集、買って!」
と親にせがむような少年だった。そうした人間だったから孤立してしまったのかもしれないけど。
 児童書として、名探偵コナンの小説版やマジックツリーハウスなども読んでいたが、やはり鉄道関係書籍に関しては並々ならぬ欲望を発揮したような。
 しかし、我が家では1,000円を超えての書籍は購入しないというルールがあり、いつもねだっては
「図書館に置かれるのを待ちなさい」
ばかりだった。何冊かは家族が折れて購入してくれたが、やはり自分の中ではこうした鉄道書籍は
『図書館で借りるもの』
というイメージで育った。実際に配架されているのを発見すればすぐに借りたし、とにかく読み込んだ思い出がある。
 しかし、ネットにスマートフォンの発達した今ではそうしたコンテンツに夢中になる精神は大半ないだろうか。
「本なんて図書館で借りなさい、図書館に置かれるでしょ」
という言葉はようやく身に染みる時代になった。というか今では、借りてスグに格安コピーして返却、な事までしているくらいだから相当書籍に対する重さは減っているような。
 そうした中で、自分の鉄道知識の基礎を形成したようなこの書籍の山は非常に嬉しかった。
「懐かしいです…これらを読んで育ったので…」
思わずスタッフにもそう話してしまった。
 昔の自分、見てるか?
 最高の環境に君はいるんだよ!

 本棚の中には、ちょっとした鉄道小物も配置されている。
 ミニミニ方向幕…というアイテムだ。
 行き先好き・方向幕ファンの自分にはたまらないアイテムで、既に数個ほどコレクションしているアイテムだ。
 写真は、近鉄9020系のフルカラー版。
 ミニミニ方向幕の良さ…というのは写真のようにして、独自の行き先を自作で作成できる事にある。
 ネタ幕、として鉄道車両の中には
「おい、いつ使うねんそんなん!!」
と思わずお笑い芸人の勢いでツッコミそうなモノが入っている。そうしたコンテンツは、イベントや撮影会でしか触れられない。
 そうしたコンテンツ、そして幕を回していく…という普段は折返しや種別変更の折でしか見れないような一瞬が、このミニミニ方向幕では凝縮されている。
 写真の区間快速/天理
に関しては、面白さで完全に生み出したもの。
 この中には『竹田』や『萩の台』も挿入されており、近鉄の行き先レパートリーの多様さを物語っている。
 ちなみに。
「区間快速ってなんやねん?」
な為に説明するのだが、近鉄に於ける区間快速はあくまでも『略称の1つ』である。
 区間快速…は区間快速急行であり、近鉄では大阪線で運転されていた。平成24年に廃止され、大阪線の区間準急新設と同時にバトンタッチする形で廃止になった幻…伝説の種別である。語り草の方が正しいのやら。
 写真は近鉄だが、中にはJR東海のミニミニ方向幕もあった。

※今回、甲府まで乗車した身延線でも活躍している373系。前面のトレインマークを模ったミニグッズが宿内にあった。(想像図)

 1つは、373系のトレインマークのミニミニ方向幕。
 373系はJR東海のユーティリティプレイヤーのようなものであり、その仕事は多岐に渡っていた。
 現在でも特急・急行(臨)・普通と八艘六臂の大活躍をしているがその中には当然、愛称を冠した列車にも抜擢されている。
 かつての青春18きっぷの象徴である東京からの大垣夜行に愛称を取り付け、夜行快速としてに昇格させた『ムーンライトながら』もその1つであった。
 現在では急行列車として期間限定で飯田線の秘境駅観光を楽しむ急行/『飯田線秘境駅号』の役目を背負っているが、373系に関して言えばその中に『万が一』を想定した『新快速』や『快速』も挿入されている。
 実際はそうした役目など絶対にないのだが、あくまでも313系の兄弟分としての挿入だろう。
 373系のミニミニトレインマーク、非常に面白かったのだが記念撮影を忘れたので今回は実車から…
「あ、こんな感じのがミニマムになったんだな」
くらいの想定をしていただければです。

※写真撮影していません。想像図としてご覧ください。こんな感じのが縮小されたとして。実車とコマ数や挿入数は違いますが、プラスチックで両端を止め、実車のように回転するのが特徴。鉄道ファンのコレクターアイテムになっている。

 もう1つあったのは、現在在籍のJR東海通勤電車で唯一の国鉄時代を経験した211系のミニミニ方向幕グッズであった。
 このミニミニ方向幕には、隠しコマンドとして
『新快速』
の種別単体表示が入っていたのに驚愕した。
「えぇ…そんなんあるんかいな…」
 中には、中央本線の『快速/中津川』であったり、関西本線の『四日市』が挿入されているなど、自分の中で知る懐かしい211系の姿が収まっていた。
「そうそう、中学の時はJRで亀山まで行くと、211系が名古屋行きの表示出して停ってたんだよなぁ…」
そんな事も考えつつ、幕を仕切るツマミをグルグル。
 最後は実車のように
『回送』
に回して終了とした。
 現在は静岡方面の東海道本線で僅かな仲間たちが活躍している211系だが、このほど一部引退した車両が第2の活躍を三岐鉄道に改め、西武車と活躍を共にする事が発表された。
 15両が活躍の地を東海地区の三重県…いなべ市に改め、第二の生涯を歩み始める。
 会社は異なって私鉄になったが、再び自分の生活圏の方に近い三重県は北勢地区で見られるのは非常に嬉しい。今後を応援したい車両だ。

宿横の役者たち

 列車の走行する音が耳に入る。
 中央本線を行く様々な…と言っても種類は多くないが、普通列車・特急列車・貨物列車と何パターンかは分かれているので音も面白い。
 少し鈍い感じの重いモーターが遠ざかる音が消えていけば、
「あ、コレは211系だな…」
として外を眺めると電球色の通勤電車が宿の外を走る姿が見える。
 流石に夜も更けてきたこの19時頃、もう上下共に乗車している乗客の数はそこまで多くなかった。
 時々、高速で
「カシャカシャカシャン…っ」
と消えていくような走行音が聞こえる。
 窓を眺めると、白色の室内灯に紫色の側面が踏切の灯り、宿の灯りによって照らされ流れてゆく。
「おぉ、E353だぁ…」
特急列車の通過。夜の遅い時間になっても、中央本線の特急列車は休まない。通勤客を乗せ、山梨と首都圏を結ぶ為。全速力で駆け抜ける。
 時々聞こえる、ゆらりと重く唸り声のような走行音が聞こえる…のだが、コレに関してはスグにわかった。スタッフとも話したが、
「あの重々しいモーターの音ってブルサン(愛称)ですよね?」
「ん〜?どうでしょう…そこまで意識しないからなぁ…」
実際にその音の列車が、ユラユラと再び地面を震わすようにやってきた。何か巨大なマシンが足を踏み締め近づいてきたようにのそりのそりと通過する。
「ウヴァぁぁぁぁぁん…タタッ、タタッ、タタタタっ…」
その音の正体は予想通りだった。

※夜中なので撮影はしていませんが想像図で過去の写真をどうぞ。こんな感じの貨物列車が通過します。

 青い2車体繋げた重量のある機関車が、荷物を大量に従え通過していった。やはりだった。
「おぉ…ブルサンだぁ…」
EH200形。国内有数の2車体連接で構成された電気機関車で、重量級の貨物列車の牽引に力を尽くしている。愛称は、『ブルーサンダー』。鉄道ファンからはこの名称を略して『ブルサン』と呼ばれている。
 ユラユラ、そして時に鳴き声を発する生物のように近づく機関車の走行音…貨物列車の足取りは何処か儚く、時に意気揚々と我が家に帰るように軽い感覚もあった。ブルサンが牽引する荷物は、コンテナ…時に首都圏方面の石油を運ぶタンク車である。
 宿のフリースペースでスタッフと
「ブルサンだけはどうしても反応しますね…大阪の方はどうしても来ないし、H級の機関車走らないですから。」
なんて話すと
「やっぱブルサンは関東とか信越の方になりますよね〜」
と地域差の話になった。
 どうしてこうした牽引力を発揮できる2車体連接の機関車…通称、H級機関車の活躍がないかに関してはまた折を見ての掲載としよう。
 山梨県の夜はブルサンと共に、そして国鉄からJRへの転換期を見た211系。首都圏と山梨を結び走るE353系と、多岐に、多種多様な車両たちと過ごす事になった。
 楽園のよう一夜はまだまだこれから。
 山梨最初の宿は、鉄道と過ごし。自分の懐かしい風景に囲まれて朝を待つ事になった。

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