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ACT.22『九州グランドスラム 2 風と出会いと祭典の入口』

急速な食事

 唐津駅でそのまま昼食の時間を過ごした。乗換時間は筑肥線→唐津線で唐津線の乗車列車が12時36分発。下車した筑肥線の列車が唐津に12時11分着。この間で駅構内にあるラーメンを食した。
 昼時の時間であり。そしてまた多くの人々が食卓に集っている時間であった為、店は大盛況だった。自分はカウンター席に通され、そのまま食券を買って待機する。
 麺の硬さは九州滞在中だったので「バリカタ」を選択。福岡のPayPayドームで前日に野球を見た際、「バリカタくん」というキャラクターが居たので
「九州おるなら食って帰れよ」
とお告げされた気分になりながら注文。
 そのまま提供された…のは豚骨スープの効いたラーメンだった。何年か前にはホークスのセットアッパー投手として名を馳せている「モイネロ」投手が「豚骨ラーメンを食しているのさ」とメディアで発言して話題になっていたが、この味を口に含むとすっかり九州に来た感覚になる。この大地ではこのラーメンの味こそが標準になってくるのだろうか、と思いながら箸を進めていった。
 ちなみに海苔に乗っている赤味噌のようなものは辛味を調整する調味料であり、スープに混ぜるとほんのり赤くなりスープが辛くなった。
 そして、このラーメン屋でラーメンを注文すると必ず串に刺さった焼豚がラーメンの中に入って提供される。赤味噌の辛さと串に刺さった肉の甘みの組み合わせが印象的だった。串に刺した肉を提供しているとだけあって、この店にはちゃんと「串入れ」を店のテーブルに配置している。オプションなのが面白い。
 しかし食事の時間はそこまで味わって食せるものではなく、時間を気にしてばかりで全く味わう事には考えが及ばなかった。次回再訪するか。
「ありがとうございましたー。」
完飲出来なかった罪悪感残る…(健康は??)

西九州への到達

 唐津から唐津線に乗車する。西唐津からも唐津線の路線ではあるが、西唐津〜唐津は実質筑肥線の電車の方が入線割合が高い為「唐津線」の一部としての感覚はそこまで感じられないのが実情だ。
 ここからは唐津線のキハ47形に乗車する。
 西唐津〜唐津で103系。唐津〜佐賀でキハ47形とは、一体いつの時代になるのだろうか。しかし前回記事のようにこの103系は201系世代の103系として製造されている為、そこまでの車齢を感じさせない。乗換えた時点で既に
「昭和やん…この組み合わせってさ」
と何か溜息や笑いの様なモノが溢れてくる。
 しかし、このまま列車を見過ごすと次は14時台近辺までない。どんな閑散区間なのだろう。

 なお。唐津線にはキハ125形という単行車両の気動車も入線してくる。こちらの車両に関しては今回、唐津線では乗車が出来なかったが九州のワンマン非電化路線では他にも走行線区がある模様だ。写真は唐津線の西唐津行きと唐津線・伊万里行きのキハ125形が並んでいるシーン。1両から長編成まで、様々な編成に対応した気動車だ。
 唐津線の車両は写真のようにロマンシング佐賀のラッピングがされているが、一部の車両には県を挙げて盛り上げているTVアニメ・ゾンビランドサガのラッピング車両も存在している(いた?)。佐賀県の為に人肌脱ぎ、地元の広告塔としても活躍しているローカルな気動車なのである。

 唐津線・キハ47形では車端部のボックスシートに着座できたのでそのまま腰掛けて佐賀まで乗車していく事にする。
 通常、福岡市内から佐賀県までなら高速バスを込みにして様々な選択肢が存在すると思うがこうして地下鉄線からそのままJRを玄界灘沿いに走り続け、そして最後には気動車でゆったりと景色を見たりレールの音に自分を委ねて眠る…など、こうしたスローな移動をする人はまぁマニアではない限りしないのではないだろうか。
 実際、こうしたルートは直通方式が理解出来ていなければしない裏ルートのようなモノ…だろうし。自分も路線図で発見して
「いつかやってみたいし、103系の存在まであるのだからこの区間は福岡市営地下鉄の延長で制してみたい」
と考えたところ案外早く叶った形だ。
 新緑を掻き分け、風に揺れ。キハ47形が走っていく。電車とは違う、グイグイ削っていくような音が車内に響き渡っている。

 何故か珍駅名にならないよな〜、と思いながら撮影。というか「お家」って冗談で電車ごっことかで遊んではしゃいでますけど本当にあるんだなって感じで撮影したのがこの記録。
 ついつい笑ってしまうというか、なんというか。車窓からこんなの見つけるのも楽しいのでは?というローカル線の醍醐味です。
 しかしそんな事を言っていても自分はこの唐津線の区間。殆どの時間を寝ている時間に充てていた記憶が濃く、窓を開けて国鉄車の気分に浸っていたはいいものの肝心のアクティビティをそんなに楽しめていなかったという実情。もう少し楽しめって。
 気がついた時には鍋島の貨物駅の敷地が見え、いつものように交流電気がコンテナやフォークリフトと共に顔を覗かせていた。鍋島付近では多くの学生たちが乗車し、一瞬だけではあったが車内に活気が入る。汽車の支えは学生が担う…という少し田舎っぽい景色を見てしまったのだった。
 事実、唐津線や筑肥線の撮影された先人の写真を見返して見たところかつては蒸気機関車が主力、また貨物列車も走り本当に現在の状況とは様変わりしている感覚を感じてしまった。石炭の煙が線路を彩った時代、というのは一体どのようなものだったのか思いを寄せて、この先を目指す。

 佐賀に到着した。再び列車は西唐津へと折り返していくようだ。時刻は既に昼過ぎになろうとしていたが、この時間から唐津方面に向かうと地下鉄直通の電車ともそんなに向こうでは時間が重ならないのだろうか。
「気動車の西唐津幕って違和感だなぁ」
とこうして今では思うのが感想というか。
 実はこの車両関係の話で語ってしまうと、キハ47の唐津線・ロマンシングサガラッピングの車両が関西に帰郷した際にTOMIXからNゲージでの製品化として発表が告知されたのだった。
 こうして旅に出る癖が続いてしまうと、何か乗車した車両はどうしても欲しくなってしまう。Nゲージ鉄道模型という趣味嗜好品ではあるが、自分の旅を飾ってくれた車両であり佐賀駅を飾るランドマークの存在だと思う同車の存在は、何か製品化がアナウンスされた際に「他人事」とは思えない気持ちになったのである。
 というか唐津線のキハ47に関しては大概がロマンシングサガのラッピングをしているイメージがあるのだが、間違っていないだろうか。

 オマケに。佐賀県に到達すると、テレビアニメ・ゾンビランドサガのパネルやお土産の販売を受けこういった駄洒落?的な面から
「佐賀に自分は居るのだなぁ」
といった感覚を受けてしまった。
 ここだけの余談だが、佐賀駅を離れる前に世話になった知人への土産として伊万里浪漫と記されたゾンビランドサガのおつまみ土産を買って帰る事にした。偶々知人が好きだった…縁もあり、非常に喜ばれたのはここだけの話である。
 作品に関しての出会いは、大学生の頃に大阪の下宿でサンテレビの再放送を見ようとして以来の再会となる。主人公が確か不慮の交通事故で死んでしまったところをゾンビとして転生し、その後の生涯をアイドル活動に捧げる…というようなアニメだったかというのは鈍く1話で記憶している範囲だ。
 しかし、大学の生活が徐々に失速していくにつれ、録画機器の操作を忘れるにつれ…と徐々にサンテレの再放送からは遠ざかってしまった。今となってはこうした大阪での下宿生活とアニメに彩られていた日々も懐かしく感じられ、ゾンビランドサガはその折の彩ってくれた1つの記憶として残っている。
 しかし、友人や知人の多くには視聴済み・ないし作品のファンという人が多い。実際にこの作品がどうこうというのは置いておくとして、面白いアニメなのだろうか。

賑わいの1つを見かける

 佐賀駅に到着し、少しだけ列車の撮影や駅の観察に時間を使っていた。列車のラッピングがロマンシングサガ、なら駅名標もロマンシングサガになっており、作品への適合を十分に見せた格好になっている。
 しかし、国鉄の気動車にはかなり派手すぎるデザインかもしれない…が、逆にキャラクターのドット絵がシュールで惹かれる魅力を持っているような気がする。
 元々、九州標準塗装が白基調になっているだけなのもあって少しキャンバスっぽく見えラッピングのデザインが綺麗に際立っている。派手な事には派手…だが、確かなる芯を掴んでいるのが素晴らしい。
 TOMIXの商品宣伝写真を見かけても、主張しすぎているのはフォントだけでありキャラクターのラッピングに関してはそこまで大きな主張をしていなかったように感じる。
 フォントに関して言えば、コレは格ゲーのアイデンティティだから仕方ないのだろうか。

 駅で発車標を眺めていると、見慣れない列車名が登場しているのに気が付いた。
 『有田陶器市号』という臨時快速列車であり、GW期間の有田陶器市期間にのみだけ運転される臨時列車だ。しかも、停車駅は特急列車並み…の設定なのに、車両は通勤・近郊型電車が使用される実質的な『乗り得』列車なのである。少し停車時間を見守ってみる事にした。

 先にリレーかもめが入線する。
 緩和されたGWとだけあって、多くの乗客が利用しているのを感じた。そして、西九州新幹線効果にも火がついているのか特急列車は大盛況だ。
 長崎方面の特急列車に関しては、新たな『新幹線連絡』の使命を背負ってはじめて迎える大型連休となる。滑り出しは上々のようだ。

 有田陶器市号が入線してきた…が、自分の期待をかなり裏切られた姿での入線だった。
「これじゃただの鳥栖行きじゃないか」
後に知人の方から御教授を頂いたが、この場合は復路、佐世保方面からの折返しとしての設定で既に行先が存在している為『快速・鳥栖』で既に行先が完結してしまうのだという。結果的に自分の想像は絵に描いた餅…というか取らぬ狸の皮算用というか、何も食えない状態で終わってしまった。復路はせめてヘッドマークの掲出くらいして欲しかったが。

 側面行先に関しては『快速・鳥栖』が既に設定表示として掲出されており、準備は万端といった状態であった。
 自分が描いていた理想…というか、九州鉄道展示物として眺めていた『有田陶器市号』の幕はどういった条件で見る事が出来るのだろう。本格的に気になってきた。
 しかし、この行先表示で「有田陶器市号を見れまして」と土産話にするには何か惜しすぎる気がした。
「この後大町に行けば…?」
と自分の行程を先読みしてみたが、果たして遭遇は叶ったのだろうか。先を読んでください。

 有田陶器市号は消えていった。そのまま鳥栖方面へと向かう…ようだったが、どうやらこの列車、行き先として復路は固定されていないようで時刻表を検索しても『南福岡行き』や『鳥栖行き』などが出現していた。結局この列車は何だったのだろう。
 調べてみると、九州の鉄道ファンには1つのGW1大イベントとしてカウントされているようでかなりの認知度があるようだった。また、
「昔はこんな陶器市号が…」
と415系や421系などで派手にHMを装着して走る過去の写真もこの日のTwitterには掲載されており、連休の風物詩として西九州を沸かせていたのだった。
「もう少し勉学が必要だった…」
と後悔したが、それは本当に遅すぎる話。
 また、この先に遭遇する『有田陶器市号』の充当車両に関しては逃した魚の大きさを感じてしまう天然の結果、その思いを痛烈に打たれて関西に戻る結果になってしまうのであった。いくら後悔しても本当に遅くなるのは…後半を読んでいただいてもめいはくすぎなお話。

D51-206 佐賀市役所前

 この佐賀駅で下車した本来の目的に向かう事にした。この佐賀駅から少し行った先には、D51形機関車が保存されているのだ。しかしながら保存機観察もいつぶりなのだろう。
 駅近だと聞いていたが、自信がなく駅付近の観光案内所へ。
「すいません。佐賀市役所のSL見たいんですけど」
「市役所ですね?市役所は駅の裏を行っていただき…」
「ありがとうございます。この道を行けば良い感じですか?あとはこうして裏の道を…」
「そうですね。そうしますと見えてきますハズです。」
親切な案内を授かって市役所に向かう事にした。油性ペン付きの地図を持って暑い街に繰り出していく。不意に慣れない場所から鉄の物体が登場する。公園のD51とは常にこんな圧力を放っているのだ。この出逢えた瞬間が毎回楽しい。

 D51-206の近くには足場が存在している。
 しかし、この足場の周辺には柵が囲まれており接近ができない。また、この構造のおかげでキャブ内に入っての中を見る事も不可能な状態になっている。キャブの状態に関しては良さそう…な感じだったが、垂れ錆等も見えている手前そろそろ修復が必要な時期だろうか。
  しかしカラフルな足場だ。SLをイメージしたかのような装飾が散らされ、周囲を埋め尽くしている。青色に模られたのは正に公園の遊具と一体化せんばかりの雰囲気を放っていた。

 柵からカメラを伸ばしてキャブに近づけてみる。キャブの中は思ったより…な感じだろうか。特別綺麗でもなければ、そんなに汚損されている雰囲気もない。と。
 窓の鉄線は気になってしまうが、公園保存な時点では仕方のない措置なのだろうかと思うとコレも余生のうちの1つだろうか。ナンバープレートの美しさもこうして眺めると感じる事が出来、国鉄の創り出した美しい機械美に浸る事が出来た。
 そしてこのD51には区名札などが刺さっていない。佐賀駅に関して調べようと動いてみたが、佐賀県にある機関区…佐賀県に存在した機関区は『西唐津』・『鳥栖』のみ。また、この市役所付近にもかつては駅敷地が伸びていたようだが、その際の機関区機能は更に先の早岐駅付近に移転し、『早岐機関区』へと転換されている。
 早岐機関区は門司鉄道管理局による管轄で運営され、スイッチバック機能で早岐〜佐世保をC11形の小型蒸気が特急『さくら』を牽引する花形の大役を任ぜられた機関区でもあった。たった10キロ程度の走行距離ではあったが、小回りの効く小さなマシンに長大な特急列車の組合せはファンの人気を誘う組合せだったという。
 また、早岐機関区は昭和44年秋に長崎国体でお召し列車の担当を任されている。こうした国の1大事業にも抜擢されていたのだ。
 早岐機関区から蒸気機関車が去っていったのは昭和47年3月13日の『さよなら列車』での出来事。コレを機に蒸気機関車は早岐の町から撤退した。
 ちなみに。このD51に早岐機関区の区名札が刺さっているとすれば『早』のマークが入るが、何も入っていない。
 また、早岐機関区に所属していた機関車や出入りした機関車について調べてみたところD51の出入りはなく、C11や C57といった旅客向けの機関車の出入りが多かった。

 足元の方へと目を向けてみよう。
 春から夏へと向かって足取りを進めている時期だったが故…なのか、D51の足元は草だらけだった。しかも青々と夏草が茂っており、少々自然感が増している格好である。
 ランボードにも白線がなく、車体は完全に黒々としている…正に『くろがね』が似合う真っ黒な車体。だが、動輪部分を繋いでいるロッドに関しては赤く塗装がされており、この部分は何か装飾というか個性を感じてしまった。
 各地のD51を巡って自分は様々な場所へ行ったが、多くの人は
「同じ機関車じゃあないか」
と思われる事が大概かもしれない。
 しかし、D51に関しては現役時代の個性…を超越した個性が自治体による維持管理で生み出され、結果的に国鉄時代ではあり得なかった組み合わせや塗装の醍醐味を体感する事も可能になっている。こうした観察をしていくのも、D51の楽しさなのだ。

 D51-206の周辺を後方から覗いてみよう。
 奇しくも訪問時だった14時〜15時の時間帯ではこちらの後方側…テンダー側の方が順光線になっており、少し残念な格好になってしまった。
 しかし、テンダー側のライト欠損もなく尾灯の欠損もない。また、太陽光線で照らしてみても全く荒れた様子を感じない。黒々とした車体が、春遅き陽光に輝いていた。
 また、柵の横には踏切の警報器部分が設置されている。このギミックに関しては一体何の意図が存在して設置されたのか非常に気になってしまうのが仕方ない…のだが。
 保存されている看板には、
「このD51が載る線路はかつての長崎本線なのです」
との表記があり、その際はこの場所に踏切や踏切の渡板があった事を語っている装備なのだろうか。
 横には信号が鎮座している。信号もD51に負けず黒さを際立たせている様で、ゼブラ色の警戒色でもなくただD51と同じ色で不動直立なのが面白い。
 訪問した時間帯は車の通りもそこまでなければ、人の出入りも盛んではなかった。遊んでいる親子が居たわけでもないし、非常に静かな時間を過ごしていた。鉄の巨体が静かに転寝をする…というそんな言葉が似合う情景が夏を思わせる深緑の間に広がっていた。

 D51-206を側面からじっくり眺めてみよう。真っ黒で形態は非常に平凡な…というかそこまで大きく派生した様は感じないD51である。
 このD51-206は昭和12〜14年の間に国鉄・浜松工場にて製造され、かつては東北本線を走行していた。新製配置は郡山機関区である。
 九州に渡ったのは昭和20年の事である。その際には長崎にて配属され、そこからは廃車まで一貫して北九州での生活が続いていくのであった。
 九州では鹿児島本線・長崎本線・日豊本線・筑豊本線にて尽力したといわれる。九州では、長崎にて生活を始めて以降直方→出水→若松と渡り歩いたとされている。
 昭和49年に廃車され、D51-206はその生涯を閉じたのであった。

 そして、廃車後は佐賀にやって来た。現役時代に通過したであろう長崎本線の線路も、この地域を通っている。現在はこうして、佐賀県県民のアイスとされている『ブラックモンブラン』の看板を背後に見守られて佐賀県のランドマークとしての写真も撮影が可能になっている。こうした『ご当地』性を混ぜた保存機の写真撮影も自分にとってはまた楽しいイベントなのである。
 なお、ブラックモンブランというアイスに関しては佐賀県での普及は勿論…との事佐賀駅でのお土産販売の方へ質問を送ってみたところ
「山口県までは見たことがある」
との事。探してみるか、と自分もこの時は思い立ってみたが、結局佐賀県内の滞在時間など折り合いが付かず全く有り付けていない。
 佐賀駅のお土産販売店では、このブラックモンブランを元にした『チョコクランチ』の販売も行っていた。
「コレを買って食べた気になってもなぁ」
と自分では何か違うものを見た気分になってしまったので、コレに関しては見逃し。そして、
「佐賀に行きました」
と自分が食してもいない食品を土産にするのも躊躇ったので、買う事なく去ってしまった。次回こそ、必ず。
 そしてD51の話になる…が、このD51-206に関しては勘づいた人のみしか分からない違和感として「やたらとナンバープレートが高い位置にあるのでは?」
と思った人が若干数いるかもしれない。
 実はこのD51-206に関して調べている際、幸運な事にも現役時代の写真が発掘されたのだがどうやらこの位置でナンバーは固定になっているようだった。そして、その現役の写真にも
「ナンバーがやたらと高い位置にある」
と記されており、
「やはり思うのだな」
と自分なりにも笑ってしまったのはここだけの話だ。自分でも訪問後の写真…いや、訪問中の写真を見た際から違和感があり、この違和感の正体はと突き詰めた結果がナンバープレートの位置だった。意外にこの部分は気にしていないようで結構視覚効果を与えてくる部品ではないかと思ってしまう。

 側面写真でも…と横の位置から記録したが、保存場所を残しておきたいと更に引き離した位置からD51-206を記録しておく。
 眺めてみると、佐賀市役所の建物と綺麗な空が纏まって良い感じに仕上がった記録だと感じる。
 そして、木々の青々としている雰囲気も良き味わいを出していてこれが素晴らしい。我ながら悪くない時期に訪問したなと感じさせられた。
 だが、少々気になったのはこの機関車の知名度だろうか。保存場所の関係とはいえ、場所としては少々裏路地な感覚に保存されている事からそこまで人が賑わっている訳でもないし、目につくような機関車でもなかった。コレが結果的に、綺麗に撮影できた事への裏返しなのだが…
 もう少し知名度があれば、となる気持ちや旧・佐賀駅の語り部としての存在の認知…などこの機関車には多くの可能性を感じる。少し殺風景なのが、自分では気持ち良くも妙に感じた。
 そして、自分はこのD51-206のいる佐賀市役所を後にする。車が走る中。暑い中。ジリジリと照る道を、長崎本線の高架橋を見つめながら次の目的地に向かう事にした。
 途中、佐賀市役所の公園にいる際にED76だろうか貨物列車を見かけた。
「しまった、鍋島の駅があるから貨物列車も通過するんだった。時刻も調べておけばな…」
と後悔にまた後ろを振り向くのだった。しかし、そんな事を考えている時にはもう自分の足は佐賀駅構内付近のバスターミナルまで到達していた。見慣れない土地の名前や、ここでしか広がっていないであろうネットワークのバス停名に思いを寄せて出発だ。

所以・祭典・出会い

 そのまま佐賀駅の高架に戻ってきた。ここから先は長崎本線に乗車し、前回の長崎遠征と同じく武雄温泉方面を目指して進んでいく。
 写真は佐賀駅で特急列車を待避する普通列車から撮影した記録だ。乗車している普通列車も革張り座席が特徴の817系…とラフな電車になり、順次閑散とした区間に進んでいくのが分かる。
 そしてココで、少し『グランドスラム』という単語を用いた所以について記しておこう。この言葉は、全てを達成する…野球用語では満塁ホームランを達成した暁に使用されているワードだが、今回は九州全県を制覇はしていないもののここから先にて『長崎本線』に乗車した為、この長崎本線の『長崎』を少し借りて制覇…とは行かないまでも『グランドスラム』と言葉を用いて長旅を演出する事にした。また、奇しくもこの記事を書いている際に自分事ではあるがオリックスの新人選手・茶野篤正選手が満塁の通称・グランドスラムホームランを放ち勝手な縁を感じてしまうなど。本当にどうでも良いですね。
 ここから先に乗車していく817系電車は、前回も登場…した電車でもあるが、革張りの室内が特徴のクロスシートの電車だ。関西・関東都市圏で乗車しているような布敷きの座席の電車とは異なって座席の座り心地は御世辞にも良い…現状ではない為、自分は場合によっては補助席を開いて座っている。今回も補助席を開いて座った。

鍋島の象徴的風景・鍋島貨物ターミナル。※2022年秋撮影

 途中、佐賀駅を出てスグの駅。鍋島に差し掛かるとこのような風景に遭遇する。
 鍋島には貨物ターミナルが存在し、西九州方面に向かう貨物列車はこの駅までの運転となっているのだ。調べてみると…この貨物駅機能は旧・佐賀駅の貨物ヤード機能から健在で働いているようで、旧・佐賀駅から移転してこの鍋島に移管されたようだ。
 電車に乗車していると、丁寧に積み上げられたコンテナとそれを規律よく動かしているフォークリフトを見かける事がある。そして、その車窓の中には車窓のアクセントのように休息を取っている赤い電気機関車が居るのも忘れてはならない。
 赤色の電気機関車の場合は交流電化区間のみに対応したED76形。青色の電気機関車の場合は交流電化・直流電化両区間に対応したEF81形である。
 今回は写真を撮影できなかったので、過去写真を用いての掲載とした。途中下車して貨物列車の裏側を除き、またその合間を特急列車の通過撮影に充てる時間は非常に楽しい時間だ。
 旅客駅から貨物駅の姿を眺め、そしてその所作をずーっと眺める時間は中々ないもの。少し懐かしい…というよりは先人たちの撮影してきたヤード式の古き貨物駅の様子が恋しくなってしまい、ついつい憧れて眺めてしまうものが存在している。自分にとっては癖になる時間だったのを、鍋島の途中下車の感覚では記憶している。

かつて江北駅は肥前山口駅だった※2022年秋撮影

 佐賀から乗車してきた列車は江北にて長崎本線の肥前浜方面に向かう列車だったので、この駅で下車する。
 …としかしこの駅でも写真のデータを取り込んでいなかったので過去のデータから。この江北駅は西九州新幹線開業で駅名が変更され、それまでの駅名を『肥前山口』と名乗った。
 その際、この『肥前山口』駅は(当時名)は最長片道切符の旅路の終着点であり、多くの旅人を魅了した駅だったのである。しかし、駅名を『江北』に改称したのと同じくして最長片道切符の旅路はルート変更でゴールが長崎県・新大村駅に変更された。旅の一石を投じた駅だったのである。
 さて、この駅で発車標を眺めていると再びあの列車名が。『有田陶器市号』が出現した。再びその姿が見られる…との事で何とか胸を撫で下ろした。次は往路・下り方面であった。

 停車しているのは、先ほどと同じ811系だった。側面の表示器はLED表示器に更新されており、車両は更新工事を受けたタイプであったと判った。そして、この駅で長時間の停車をしているという事…で後に知ったのだが、この江北の駅が始発だったようだ。
 幾つかの有田陶器市号は最遠で博多からの運用も設定されていたが、この運用は短距離のものだった。そして、奇しくも往路最終便の有田陶器市号だったらしい。ギリギリにして間に合った。

 車両は長時間停車でずっと待機している。車掌が通りかかったので
「この電車で大町に行きたいんですが停車します?」
とダメ元で質問した。
「止まらないですね」
と車掌の返答。仕方なかったので、この列車に乗車して先の駅に向かい折返し列車を拾ってから目的地の大町へ向かう事にした。
 しかし、この811系は更新車両の811系である…事以外にある特徴を持っている811系である事に自分は全くこの時気がついていない。しかもその事実に判明したのは京都に戻ってからで、本当に遅い事実だった。それはこの列車を下車してから。
 曇り空の中、車掌に宣告された発車時間まで有田陶器市号の車内で待機する事にした。しかし、この列車の発車時刻である15時47分になっても一向に動く気配がない。車掌からの一報が入った。
「発車時刻となりましたが、先行予定の特急列車が遅れております為この列車。発車時間が遅れます。ご了承ください。」
車掌から、待ち合わせ予定の特急列車が10分程度遅れて走行しているという知らせが入ってきた。その影響で、有田陶器市号も発車を遅らせて出発だという。しかし、この鳥栖・江北からの往路の有田陶器市号では全く人影がなくロングシートにも乗客が腰掛けていなかった。座っているのは自分と若干数の乗客のみ。
 今回は偶々の機会だ。少しだけ…になってしまうが、有田陶器市号、乗り得快速列車の走りを体感して九州を満喫しようではないか。

 改めて、『有田陶器市』と表示されたLED表示を眺めてみよう。
 非常によく再現できているのではないかと自分では思ってしまう。幕をはじめて見た瞬間に思ったあの少し不気味で怖い感触をLEDでは完全再現とは行かないまでも、LEDでの継承で下地、文字色まで再現され往時と同じ空気になったのは素晴らしい事だと思う。
 中々快速列車が走らない区間だけにこうして愛称単独の設定にされているようだが、最初は『有田陶器市号』⇄『快速・佐世保』と表示が阪急の京とれいん雅洛のように秒ごとで転換するのかと思いきやそうではなく、意外に単調な表示だった。
 関西に慣れた自分の感触でしかないが、個人的に思った捉えではこのLED。北急や能勢電鉄に通じる血を感じてしまう。絶対にブランドは別モノな気がするのだが。
 そうしているうちに、時間がやってきた。有田陶器市号、発車の時間だ。思いがけない列車に出会えた時間。乗車して満喫しておこう。

ぼくは初心者〜気付かぬ幸運〜

 有田陶器市号に乗車し、一時的にではあるが上有田駅で下車をした。この上有田から目的地となる大町まで折返し乗車をして戻る事にし、一旦この駅で列車を待機する。
 この日の上有田駅は有田陶器市の開催に伴って駅員が配置され大変な賑わいになっていた。そして乗客の移動も忙しない。自分はこの時、ただ単に『有田陶器市へようこそ』という看板と列車を合わせて旅の気分を演出できていた…だけだと思っていたが、この時には分からなかったある真実が判明する。車両がとんでもない事に乗車中・撮影遭遇前は全く気が付かなかったのだ。
 列車の走り心地は…というと、乗客もそこまで乗車していないロングシートの通勤電車による特急電車並みの走行が非常に楽しく痛快なモノだった。本命の駅を通過されてしまった歯痒さは一旦据え置いておくとして。
 停車駅は、江北を出ると武雄温泉・上有田・有田の順に停車していく流れであった。通勤形・近郊形ではこのような瞬足は滅多に見せずこのような臨時列車でしか乗車できないため、貴重な時間であった。
 しかし。そんな時間も束の間で自分が上有田で一旦折返しの為に下車をした…ところ一気に早岐・長崎方面への乗客が大量に押し寄せ車内は大混雑と化してしまった。有田陶器市の喧騒を感じた一瞬である。


 ところで、車両が「とんでもない」車両だと気づいたのはこの写真を関西で見返してからだった。明らかに普通の811系更新車とロゴの顔付きが全然違う。そして、この写真を自らのTwitterにて投稿したところ
「なんとレアな」や「運が良すぎる!」
などの反響が次々と到来していた。どうやら九州の鉄道ファンでもこの車両による『有田陶器市号』を撮影できる事は滅多にないらしく、自分は非常に運が良い場面に遭遇してしまったという事になるのだろうか。
 後に調べてこの車両の正体が判明した。『811系更新車・PM8105編成 RED EYE』と言うようだ。
 この車両のロゴは、通常の811系更新車と全く異なる顔をしている。それもそのはずであり、通常の811系更新車と比較して差別化を図っているのだ。

811系更新車通常の姿。青を基調にした姿が特徴である

 通常の811系更新車の写真を比較用に見てみよう。その違いは、車両の運転台下部に配された『811 commuter train』のロゴ。そして、貫通扉に配置された811系更新車ならではの『CT』のロゴが通常の811系更新車では青色なのに対して、『RED  EYE』は赤色になっているのだ。そして、運転台下部のロゴも全く異なったモノになっており『811 commuter train  RED EYE』と表記されているのが異なる。
 では、811系更新車異端の存在。『RED EYE』とは何者なのか。

811系更新車 RED EYE。真ん中の『CT』ロゴは赤色になっており、運転台下部にも車両愛称の『RED  EYE』を冠しているのが特徴だ。

 では、改めて今回の『有田陶器市号』にて乗車した811系 『RED EYE』編成を見てみよう。上有田まで乗車前、江北での写真に一時的に戻して解説だ。
 車両編成はPM8105編成である。車両更新前の編成記号はPM105編成と名乗っていた。更新の際に編成を改め、PM8105編成を冠した。
 この『RED  EYE』には屋根上にカメラシステムが搭載されている。令和2年から採用されており、架線検測に使用している。簡単に言えば、ドクターイエローが屋根上に搭載しているモノと全く同じものを搭載しているのだ。このカメラ装置は編成内中間車のトイレスペースを機器室に改造し、その屋根上に投光器とカメラ設備を設置。カメラ画質は国内電気検測車初の4K画質にされているという画期的なお墨付きだ。
 そして、列車の前面には『列車巡視支援システム』を搭載している。列車動揺の確認や線路の沿線環境に関して状態を自動判定する事が可能になった装置で、鉄道総合技術研究所とNECグループの支援が入った特別な技術だ。使用開始後は線路周りの保守点検の精度・安全性の向上に役立っているという。画像解析の技術向上にも一役買うことが出来た。
 また、PM8105編成(今回乗車した編成)のみ限定だが日立グループ協力の下で電車線路モニタリング装置を搭載した。
 この『RED  EYE』の登場で検測作業・線路の保守作業はかなりの短縮化・機械化を実現する事が可能になり人の手をかなり削減する事にも成功した。鉄道検測の更なる向上。そして明日へと向かう鉄道の礎を日々支えている、特別な電車なのである。

 しばらくして、上有田駅に特急列車がやってきた。有田陶器市開催に伴っての臨時停車である。通常は行き違いでの停車のみを実施しているこの駅も、特急は客扱いで停車。また、この期間のために臨時特急も臨時快速同様に運転されており、佐賀県の一大イベントに向けた強い気合いを感じる。
 …と行違いが成立し、811系更新車・RED EYEが去って行った。背後からでもよく見れば赤い色の『CT』ロゴは非常に目立っている。言われなければ気が付かなかった特徴だが、どうして気がつかなったのだろう。こんな違い、ポケモンの色違いと同じくらい目立っているだろうに。
 停車中、ずーっと車内で腰掛けて発つ時間を待っていた自分やこの列車に関して車掌に天然な問いをしていた自分が改めて恥ずかしくなってしまう。そしてどうしてこの電車をキッチリ撮影していなかったのだろう。検測機能を保持しているならば、異なる機能は外面からでも十分わかったろうに。そしてしかも閑散な時間での停車中…というこの事象で乗車記念前の写真だけ撮影しかしていない事が尚更悔やまれる事態でしかない。本当にこの事態に関してはというか、この車両を逃した後悔は関西に戻ってかなり自分を刺激してしまう結果になってしまったのである。
 まぁ、皆さん。九州で811系のRED EYEを見かけたら本当にポケモンの色違いが来たな位の気持ちで彼を労ってやってください。そして見えない功績を讃えてあげてください。非常に喜ぶと思います。ドクターイエローよりは目立たないと思うし。
 そうして、この上有田駅に自分の目的を探しに降りる事にした。実はこの駅にも目的があったのだ。本当に展開としてはこじつけのようなモノでしかないが、自分にとっては運のような出会いがまた1つあったのである。

次へ向けて・おまけの話

 今回は珍しい電車に乗車して上有田に到着した…のは良しとして。駅舎は到着時点でこのようになっていた。非日常の盛り上がりに向けて十分な盛り上がりである。
 そして、この上有田駅周辺のある施設が自分にとって人生に関わる大きな岐路のような出会いとなるのである。その様子は次回に…
 と予定文字数よりもまだ少し余裕があるので後少しだけ…
 実は今回のように乗車した『旅客車と検測車の機能を足した電車』という電車に関して、だが調べると全国にはまだ何件か存在している事が判明した。古くは国鉄時代から実施されていた事例が存在しているようで、現在では私鉄でも営業時間と検測時間を足して行う…のか『屋根上に検測設備を設置した電車を営業時間に運転して検測データ採集』という事が行われているようだった。
 国鉄時代に営業と並行して行われていたのは、現在九州は熊本で現役のマヤ34形。このマヤ34形を長距離急行列車や夜行列車に併結して、検測データなどの採集を行なっていた事例が『営業+検測』の合理化の先駆けのような感覚に思われる。
 今回、江北→上有田にて乗車した811系 PM8105編成に関してはその発展系であり、電車にもその『営業機能に架線検測・線路観測機能が搭載された』という事例だろう。そしてこの事例は大きく普及し、同様のように『線路モニタリング』や『架線検測』の装置を搭載した山手線向け・E235系がJR東日本に登場。過密ダイヤで検測車や事業用電車が入線できない鉄道事情の負担軽減に一役買っている状態だ。
 今回の『RED  EYE偶然遭遇』という事象に関して少しづつ自分の中で知識見識を進めていく中でこのような事例がある事が分かってきたが、日常の中でも何気ない裏役者と表役者を兼任した、変わった鉄道車両に遭遇する事が皆さんもあるかもしれない。そういった時には先ほどではないが、労いの目や少しだけの関心を捧げてみてはどうだろうか。
 今回の締めの言葉である。
 (あとがきのようななにか)

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