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ACT.16『混在ガレージ』

昼食を終えて

 昼食を胃に収めてこの後、後半を始める事にした。写真は前回掲載した600系D04編成と7700系TQ12編成の接近面だ。午後になってもコレらの編成は多くの多彩な表示を掲出していたが、自分がD04編成の特殊表示を撮影して帰ったのは前回掲載の「石津」とこの「美濃松山」だけだった。
 確か、美濃松山行きの列車は実際に設定があったような記憶がある。しかも終電間際…と記憶しているが、実際今も走っているかは何ともこの時点では覚えていなかった。
 だが、現在も見返して思うのはひと段落とはいえ東急の電車と近鉄の電車が向き合うシュールな環境の違和感が拭えない事だ。東急の電車が近鉄の世界に足を踏んだようにも見えるし、近鉄の電車が東京に進出したようにも感じてしまう。

塗装の由来はなんでしょう

 このD04編成。近鉄の電車である事実は勿論…なのだが、塗装の由来は全く異なるものになっている。
 実は、このD04編成の赤一色に白線入りの塗装は「京急」をイメージした塗装であり、養老鉄道と京急の創業者が同じ「立川勇次郎」という共通点から来たものとなっている。
「名鉄にも見えるねぇ」
なんて笑っている方も居たが、何となく遠回りな塗装だと思ってしまう。未だにこの塗装の意図や存在の感覚が自分ではしっくりと慣れる事が出来ず、感覚を掴む事が出来ない。折角なら近鉄由来の色やもっと違う岐阜県由来な色に出来なかったものなのだろうか。
 折角なら、ファン投票とか。個人的にはこの京急塗装以前のD04編成に施行されていた「センロク塗装」が大好きだったのだが、そんなセンロクの渋いクリームと青帯のあの色も今では「懐かしい」の語り草になってしまった。あの時期の養老鉄道が好きだったんだけどなぁ…(端的に言うと馴染みがある)

車庫に目を向ける昭和

 車庫に目を向けると、何となくそこには「現場の人にしか知らない味」や「残された昭和」などが存在している。ここ、養老鉄道の西大垣にもそんな昭和の表記が残っており、先ずはこの「行き止まり」看板であった。
 思わず看板の色褪せや書体などの観察具合でシャッターを切ってしまった逸品だったが、なんとも叙情的に…と言うのだろう。町工場のような空気を感じる事ができる。
 ちなみに背後の池には金魚が何故か生息していて、ひたすらに「どうしてなのだろう」という疑問ばかりが浮かんでしまった。
 この直前に開催された近鉄五位堂の鉄道まつりではスナックカーの行先表示を活用した「台車洗浄点検…?」のようなヶ所もあり、案外こうした昭和というのだろうか。廃車部品にまで手を入れたノスタルジックさが今にも残っているのは非常に嬉しい。
 養老鉄道は看板にペンキ塗り、そして漢字が少し汚れているだけの状態ではあるがこの年季がある風味も訪れた時に何かを感じ取っていただきたいものだ。


 コチラはTQ12編成と接続されているステップ付近に観測された看板。
 単に錆びて年季が入った仕様になっているだけ…という実に単純な仕様になってはいるが、実に多くの車両や多くの乗務員を横付けしてきた頼もしい味方のような存在なのだろう。
 何気ない注意表記のように感じとれて、そこには大きな意味というか遍歴があるように感じられてしまう。そして、このような看板たちが乗務員や作業員の安全を守っているからこそ我々の鉄道生活の基礎があるのだと感じるのもまた一興だ。車庫内の看板は、乗務や鉄道安全の心臓と言っても過言ではないのかもしれない。
 今回は先ほども表記したように、先の五位堂公開(近鉄鉄道まつり春・2023)でのスナックカー行先表示再利用の件があっての車庫内看板観察に目を向ける事ができた。非常にあの投稿には感謝したい。
 皆さんも機会があれば車庫や慣れない鉄道施設に入れた際、車両の慣れない部分だけではなく設備などにも着目してみるのはどうだろうか。

有利な時間になりましたか

 オークションの落札発表まで少し時間があったので、その会場付近でTQ12編成の行先表示を試行錯誤して撮影してみる事にした。
 やはりこの形式は「遠景・ズーム」でようやく表示が判明する。そして画質は粗めにした方が良いかもしれないという観測結果が得られた。昨今の画質や画素を上げて機材の良さに幅を効かせる…手法も充分サマになっていてアリだとは感じるが、そのような方法でこの形式の行先表示と向き合っても通用しない感覚さえ残った。
 という訳で残ったのは東急イケタマ時代の「五反田」表示。会場に居た人の何割がこの「五反田」・「蒲田」・「渋谷」を出せる事に縁があると分かっているのだろうか。

 続いて、「養老」の表示。自社線内完結行先だってお手のもので掲出可能だ。
 そしてアングルの都合上。背後のD04編成を併結した状態で映り込んでしまうのは非常に難しい所であったがコレばかりはカバーが難しく、一部の記録ではカバーが効かなかった。しかし、「東急+京急」という謎接点併結に感じられる記録も全然アリではないかと記録を返せば感じるところもあり、後で感じると少し笑ってしまう記録になった。

 遠景の撮影ではこんなものも。「婚活」という表示が掲出された。養老鉄道まつり記事第1部でも記したようにこのTQ12編成の表示は1巡をしており、この表示も何度も展開された。
 養老鉄道では時々、東急車導入以前から「ねこカフェ」や「薬膳列車」などのイベント貸切を仕立てている。その際の一環。男女同士の婚活促進を鉄道ツアーを通して実施する「婚活列車」の表示が掲出された時のものだ。
 自分は養老鉄道内で「婚活列車」のイベントについて聞いた事はないが、今後の規制緩和された時代に伴ってイベントが盛んになるにつれ。こうした特殊列車の需要も増してくるのだろうか。
 その際には東急車の変幻自在な表記にも期待をしたい。

 TQ12編成、オマケでこんなものも。
 養老鉄道の車両が検査を受けに行く際の場所、「塩浜研修車庫」の場所である「塩浜」を表示した様子である。
 実際には塩浜周辺に1,067mの線路がない事はないのだが…当然そこに自走して向かう事は出来ない。この表示は車両の中に隠されたギミックなのである。
 実際、この車両が「塩浜」駅に向かう為には大垣駅から側線で機関車に引き出してもらって…と無茶な手続きをしてもらう必要はなく、西大垣から桑名駅付近の東方操車場まで自走。そして東方操車場から電動貨車に併結されて『深夜帯』に走行しなければ塩浜に到達するのは不可能なのである。
 コレには「東急」の車両だからこその問題が存在しており、近鉄と東急の電車の車両幅規格が適合しない(東急の方が若干拡幅)事が関係している。
 その為、安全確認も兼ねて深夜帯の貨車併結走行となってしまうのだが、いくらなんでもこの表示ギミックは無理があるのではないだろうか。
 もし仮に「近鉄鉄道まつり塩浜」でこの東急車が入場していたとしても近鉄と規格が適合しない状態で仮台車で電気は通電しないだろうしこの「塩浜」表示は不可能に近そうだし。
 記事を書きつつ思ってしまったのだが、責めて自走範囲の限界である「東方操車場」くらいを出すのが関の山ではなかったのかと思ってしまう。一体何の意図があってこの表示が挿入されたのだろうか。

 オマケ、2。
 実は東急車限定にて優等列車に充当が可能な仕様になっている。(決してこのような運転はできない)
 この表示はあくまでも今回のような「イベント時」限定で作成されたようであり、実際の使用はほとんど見越していない模様だった。
 実際、養老鉄道での優等列車運転には関門が幾つか存在しているようでそのうちの1つが設備面(主に信号関係だった?)にあるのだそうだ。
 この関係で列車は全駅に停車する事が義務付けられ、折角の東急車に取り付けた急行表示も夢の幻にて空中分解に近い状態となってしまった。
 近鉄の特殊路線(この場合は近鉄も込みとする)では例に挙げて新石切の待避設備も挙げられるが、養老鉄道・養老駅の待避設備のような島型形状のホームも優等列車の運転やその名残を見越して造られたモノなのだろうか。
 時々、養老鉄道では貸切列車などがこの線路を活用して追い抜きや待避等を行っている。コレを見るに養老鉄道では実際に活用して急行運転実現への近道は設備改良のみ…だけになりそうだが、けいはんな線の新石切は未だに謎なままだ。(急に引き合いに出して申し訳ない)

撮影車両、曇りの部

 ひと段落して会場も落ち着いた辺りで、車両撮影に専念する事にした。再び、午前下りに遊び回したTQ01編成の前に跪く。(言い方)
 この時間は雲が良い感じに覆ってくれた。表示で遊んでくれるならこの時間が1番鮮度を感じられるかもしれない。ちなみにこの時の表示は死ぬほど見にくい状態になっているが、「初詣臨時」になっている。結局曇っても、試行錯誤しなければ何も見えない状態で終わる歯痒い電車なのは辛すぎる。

 構図改造で少し改善へ。今度は東急イケタマ時代の「蒲田」を表示していた。つい最近まで7000系列の主戦場だったイケタマの地。このままこの記録を眺めていると、TQ01という電車ではなく7700系の第1編成という認識にさえ錯視してしまう。
 今回は先に(見える段階で)書いておくが、車両内に入っている標識灯を試行錯誤の上で点灯させる事に成功させたらしい。
 非常にこの取組みは車両に良い命が入った…というか、車両に往年の光彩を刺す素晴らしい試みではなかったかと感じられる。現在では不可能に近い行事ではあるが、機会があればまた養老鉄道内での復活を楽しみにしたい試みだ。
 こうして最近は有志を中心に昭和・往年の時代の再現にと手を取って近づける試みがあるのは非常に嬉しい。かく言う自分も東急の7000系列の時代はそこまで知らない…が、こうして往年の時代に少しでも近付き先人にあの日を解説して頂ける経験だけでもありがたい事である。

 曇ってしまったので「チャンス」と思い屈み気味に撮影。そして記録できた…となったが、どうやら標識も少し目立たないし肝心の「初詣」の赤い表示も曇りに溶けてしまった感覚さえある。
「初詣臨時にすると優等列車っぽくて良いよねぇ」
と知人さんも仰っていたのだが、やはりそれは肉眼で捕捉するからこその感覚になれるモノであって撮影して感じるものはまた異なるのであった。
 今でこそデジタルでどうにかしてしまえるが、昔はフィルム1発だったからこそ撮って刷るまで分からないという鮮度戦だったのは先人にしか分からない恐怖…なのだろうか。
 屈みつつ煽ったアングルで優等表示
という自分では内心自信のあった1枚だけに、少々落ち込みを感じてしまった。後で少しいじってみようか。

 婚活、に引き続いて先述した「ねこカフェ」の表示である。キッチリとネコの表示もLEDに反映され、特別列車としての識別を分かり易くしている。
 そしてまた、知人さんの仰って下さったように「標識」の点灯が特殊列車感を良い具合に演出できていて素晴らしい。
 東急からの継承時に既に標識の電源は切ってしまった…との事が悔やまれてしまうが、本当にこのヶ所が復活していたなら様々な使い道が存在していたのではないだろうか。
 今になってそう思ってしまう。そして標識灯での識別文化は私鉄が育み形成してきたモノ…というイメージが強い自分にとって、どのような形態の列車であれ標識がないのは少々の違和感なのである。そういった点でも、「イベントの開催」というヨソユキな演出とはいえこのような展開になったのは非常に嬉しいものであった。

 試運転表示も登場。皆様何故かこの表示が好きなようですね。
 今にも乗務員・係員の添乗がありそうな様子での記録…としてこの記録では知人と近いようなアングルに梯子を混ぜてみた。
 背後のビル群と混ざって都会感のする演出が感じられ、今にも雰囲気だけの里帰りが叶ったように感じられるTQ01編成。少しだけ何かをアトラクション…というか小技的に仕組んでみる事で何か刺激のある1枚に生まれ変わるモノなんだと感じてしまう記録であった。

 そして、TQ01編成でも急行表示。試運転表示よりもこの「急行」サプライズの方が個人的にはかなり嬉しい演出ではないかと感じてしまう。(人の個性は万別ですが)
 近鉄装備品を隠して写してしまえばもうそれは単純な「東急7000系列」の復活であり、東急伝統の正統派電車の返り咲きを感じるに相応しい記録を楽しむ事が出来る。
 そして、何度も…になってしまうがこの標識電球の点灯を思いついた社の方には盛大なる賛辞と拍手を贈らなくてはと感じてしまう。素晴らしい演出だった。機材の調整などではかなり手こずってしまったが、それでも車両の良さを引き立てるのには充分な演出だったと感じている。また来年の機会…や西大垣の車庫公開のチャンスがあれば、こうして車両の個性に触れられる時間を大事にしたい。

おまけ
 今回は「新生・養老鉄道」を体感すべく養老鉄道に新たに新設された猫キャラ(ヨーローセブンキャッツ?)をイメージした団子がある、との事で、大垣市をイメージした「大垣シロ」の団子を食す事にした。
 白の色は白桃ベースの白餡になっており、それが玄米団子の上にかかっている。
 味は爽やかでサーっと溶けていくような感触が非常に良かった。玄米団子との組合せも非常にナイスな組合せである。
 この団子は養老町のブースで販売されていたが、機会があれば養老鉄道の沿線和菓子屋での委託販売などにも漕ぎ着けて欲しい。そうすれば、沿線や駅に行った記念に購入して記念に食す…なんて斬新な経験にもなるはずだ。
 というか、養老鉄道に来るスパンが毎回毎回広すぎてほぼ「新生・養老鉄道」とばかり言っているような気がする。一体、いつになれば自分のイメージと養老鉄道は追いついて来るのだろうか。

 そして沿線市町村のブースがあるという事は。
 沿線市町村のキャラクターも来ます。
 この方は池田町のちゃちゃまる。何となく主婦のような感じ…というかこう、こんもり丸い感じが可愛くて良いですよね。
 他にも沿線市町村のキャラクター、そしてブースの売り込みは多かったが自分はそこまで寄らず、そして課金したのはセブンキャッツ団子だけだった。またしっかり市町村に電車で訪問して、その土地の良さに貢献する事が恩返しになる…のかもしれない。
 ちゃちゃまる。あなたの住む池田町にも行きますからね。(多分コイツ更に先だぞ)

最後は名車でお別れを

 イベントを後にする事にした。最後の光景にはこんな光景を西大垣構内踏切から観察する事が出来た。
 東急池上線・多摩川線での代表的な塗装として親しまれ、現在は岐阜県の象徴となった7700系TQ14編成の「歌舞伎電車」(東急時代そのままの赤)。
 そして、近鉄6000系列からの流れを汲み今年の1月には還暦の60歳を迎えた高加減速の象徴・600系D06編成ラビットカー。
 歌舞伎電車は関東は東京の名車として。ラビットかーは関西・大阪の名車としてそれぞれの昭和を歩んできた。その両雄が岐阜県で肩を組み並ぶ。
 鉄道ファンにとっては心を打たれる共演がそこには広がっていた。
 東急から7700系が導入・譲受と聞いて真っ先に感じたのはこの「歌舞伎塗装の維持」だったのだが、こうして維持がされそのままラビットカーという関西の名車と並ぶ姿は違和感というより最早時代や何か壁を乗り越えた共演のようなモノを感じてしまう。コレも余生暮らしの車両を様々に飼い込む事になる老老介護状態な地方私鉄の織りなす光景とでも言おうか。

 600系D06編成はノスタルジアな踏切表示を背に、山深い線路へ向け快走していった。既に南大阪の大地を走っていた時期より、この濃飛の大地を飛び跳ねた時期の方が長そうだ。軽快な足取りで、来てくれた多くのお客に手を振るような走りだった。

さらば西大垣

 西大垣の木造駅舎の中に入った。「車内マナーご協力ありがとうございました」の表示や、近鉄譲りの優先座席表示。この近辺については養老鉄道が近鉄という括りから脱出しても未だに何か変化していない味というのだろうか。老舗の空気感やクオリティにウットリと浸る事が出来る。特に近鉄譲りの楕円形な「優先座席」の表記は垂涎ものだ。
 こうした表記類に目を吸われてしまうのも、良い醍醐味ではないだろうか。

 車庫内で対面する600系D04編成と東急車。思えばスッカリこの角度から見ると、イベントの空気感は感じなくなってしまう。
 普段、西大垣に遊びに撮った時と何も変わらないようなアングルだ。しかし何かこう、楽しかった空気感が車庫の奥というか見えない壁越しに伝わってくる。この感覚もまた良いなぁ…と撮影してからしばらく浸ってしまった。列車までは少し時間がある。

 帰りの電車が迎えに来た。西大垣〜大垣は室駅経由でも全然歩いて向かえる距離ではあるが、やはり電車に乗ってしまいたい気持ちが毎回勝ってしまう。
 行きは家族連れ。そして戻る時には多くの高校生連れで賑わう電車だった。
 車両は620系D24編成だ。車両としては普通の旧式近鉄車な空気を出しているが、最近になって前照灯表示をLEDライトに交換してしまった事が特筆される。
 この事も自分では「未だに追い付けない」領域なのだが、果たして運転士や業務に携わる皆さんはこの変化にしっかりと適合できているのだろうか。何となく変化に対しては自分以外そこが不安になってしまう。プロならば自分で到達させているか…

 ここもまた、大垣に行き違った歌舞伎電車との行き違い。歌舞伎電車に関して言えば自分はもう完全に慣れが来ている方で、近鉄との共演については東西の私鉄ハーフな環境を半ば笑って楽しんでいる状況でさえあるのが現状だ。

 大垣到着。アクアシティとかヤマダ寺院に向かっている間に時間が経過したらしく、時間がスッカリ日の暮れた時間に。
 SDカードの替えなんかもズブ濡れでようやく買えたりもしまし…とそんな中でコチラはLED前照灯になった東急の車両。
 そういえば今更の表記になる、と言うかそんな感じなのではありますが、養老鉄道ってさり気に東急車投入前夜から緑のイメージがあった気が。特にアテンダントのジャケットが緑だったからなんでしょうか。そのイメージがそっくりそのまま反映…とは倣わなかった?モノの、こうして「緑」が車両の塗装にまで昇格して来るのは正直な話1番ビックリ。
 そしてそんな緑を融合した緑歌舞伎の電車(記事内登場のTQ12編成)も登場するとは…アレが本当にビックリで。
 そしてコレも東急の車両の話になってしまったので追記に。東急の車両には、近鉄の車両と異なってワイパー付近にウォッシャーの液体が入っているそう。この液体を荒天・雨天時に刺して運転出来るのが非常に養老鉄道の車両史でも大きな変化になっているのだそうだ。

 そして、ラビットカーと共演。
 そしてこの後に米原方面へのシャトル系列車に乗車して滋賀県に戻り、別の行程へ…。
 その際のお話は、次回。

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