見出し画像

ACT.37『2度目に賭けて』

挫けず小樽を見据えて

 自宅に一時帰宅してからは、食料の再管理や宿の調整、そして再び日程をどうするか…などの様々な行程の調整にも追われており、マンガと睡眠で完結している状況とも偏に言えなかった状況だったのである。
 と、再び身支度して亀岡から同経路・同列車にて再び東舞鶴に向かう。東舞鶴付近で京都丹後鉄道の旅をして時間の経過を見過ごしても良かったのだが、それだと只々金銭を浪費してしまう羽目になってしまうと自分に蹴りを付ける為に一時帰宅していたのだった。
 からの、同経路、改めて、事故や災害に遭遇しないかの緊張で一杯だった。
「コレなら京都駅から高速バスに乗るか、大阪方面から連絡バスに乗車した方が選択肢的に良かったかもしれへんなぁ…」
と暗がりの亀岡駅でボヤいてしまった。
 が、列車は無事に到着した。
 特急『まいづる13号』。今度の列車は京都丹後鉄道の気動車での運転ではなく、JR西日本の287系電車であった。
 太秦から再び嵯峨嵐山・亀岡へと向かって小樽港を目指すまでの特急列車でここまで緊張するとは思わなかったが、いよいよ北海道への旅が始まろうとしている。

帰還?東舞鶴

 正直な話をすると、今回に関しては園部を発車した時点で自分の気持ちの引っかかった糸というのだろうか。そういったものが「プチっ」と音を立てて切れた感覚になった。
「よっしゃぁぁああああ!」
と孤独なガッツポーズでもしてしまいそうな感覚になる。こんなにも園部から北に向かって定時で発車出来た事に喜びを感じられる日が来ようとは。
 到着した時には、横に223系電車の舞鶴線普通電車が停車していた。まだこの時間でも舞鶴線は営業しているようで、昨日の終電間際の雰囲気とは打って変わった状況になっていたのだった。
 自分以外にもこの東舞鶴で下車した乗客はいたのだが、写真をこうして撮影しているのは自分だけだった。
 しかし、何故かこうして再び同じ場所に立っている事に不思議な違和感を感じてしまう。
「あれ?俺って帰ってきたんだっけ?」
君は今から北海道に行くんだろう。

 しばらくすると、287系の幕回しが始まる。
 この時間を楽しみにして自分はこの場所に待機していたのだった。
 自分がカメラを構えた瞬間には白幕の状態だったが、既に廃止済みになっている(この場合は統合だったろうか)文殊の列車名が確認でき、
「しまったぁ!!」
と後悔の声が出そうになった。しかし、ここから先に関してはかなり内容の濃い幕が撮影できたのでこの場所で公開していこう。

 列車名が設定されない、または非常時に設定された場合などに表示される『特急』の表示だ。この車両(287系)自体にも様々な特急列車の愛称や列車名が挿入されているが、これらの表示類で対応できない場合はこの黒地の『特急』で代用している。
 ただ、この特急の2文字に関しては使用している事例などを全く見た事が無いのだが。

 次に幕を捲っていくと、『急行』の表示が確認できる。
 『急行』という種別自体が既に時代の彼方に消え去ってしまった種別ではあるが、時刻表の巻頭に掲載される感じの不定期種別として現在はJRでも何件か運転の事例が存在している。
 個人的には、287系による急行列車の運転があれば乗車してみたいという感覚になるのだが果たしてそんな日はやってくるのだろうか。

 更に捲っていくと(方向幕なので巻いていくが正しいのか)、快速の表示が出現する。
 快速の表示なんて必要なのか?
と思ってしまうのだが、何故かJR西日本に所属している殆どの旅客車両がこの表示を保有している。
 しかしながら、JR西日本の斜体種別表示というのは非常に格好の良いものだ。

 こんなものまで入っている。
 JR西日本の特急車両は幕を回していくと新快速の表示が登場する
 というのは噂程度にしか聞いていなかったが、実際に車両が表示したのは初見ではじめて確認した。
「ホンマにあるんか…」
と一瞬だけだが、感嘆の息が漏れてしまう。
 223系たちのアクシデントが発生した際にはこういった車両たちの代行輸送で凌ぎを…という感覚でこの表示を挿入しているのかもしれないが、しかしこの表示に関しては一向に使う気配が感じられない。
 実際に使用するとしたらどんな場面なのだろうか。

 そして、JR西日本の斜体文字にてこうした『普通』の種別表示も完備済みだ。
 特急車両に関しては
『一部区間を普通列車として運転』
という事情があって、こうした背景を持つ車両なら入れていても…と思うのだが、少なくとも287系でそれを入れている要素が個人的にはあまり感じられない。
 しかし、車両不足や故障の事態になった際にはこうしてこの表示が必要になってくるのだろうか。
 そんな事まで考えてしまう表示だ。

 あとは、車両の出場検査などを終えての際に使用する『試運転』の表示がある。この幕が登場したという事は、表示予定の幕まであと少しの状況なのだろう。
 事実、この後に『臨時』・『団体』が出現し、この後ある幕が登場して287系の種別幕は『回送』の幕に固定された。

 自分としてはあまり見かけなかった、『JR』の企業ロゴマークだ。
 少なくとも新車として登場した際の僅かな時期…などか、一部の時くらいでしか使用していないのではないだろうか。
 しかし、車両の特秘感というか格好良さを上げている表示で、自分としては非常に面白い表示だと思っている。
 この幕が表示され、『回送』が出現してそのまま列車は引き上げていった。
 自分も287系の幕回しを堪能したので、そろそろ新日本海フェリーの舞鶴港に向かって歩いていこう。
「16時以降に再び」
と言われても、少し長く待たせすぎたかもしれない。

舞鶴の夜に

 いよいよ、北海道行きへの気持ちが高鳴ってきた。
 遂に自分は北の大地へと進軍していくのだ。
 改札へ下ると、そこには『艦隊これくしょん』のキャラクターと思しき宣伝の出迎えがあった。全く知らないのだが、日本海軍に精通したかの友なら、この装飾の真意が分かるのではないだろうか。自分はそうした思いを抱えながら、改札を出て(と言っても駅は無人なのだが)舞鶴港を目指していく。
 駅前のケーズデンキでは、若者たちが駐車場でスケボーに興じていた。この時間帯だとまだ舞鶴市にも人の息吹が通っているようだ。
 前日の最終特急で来てしまったあの不気味さとは異なり、少し不良っぽい人や若者のたむろがあっても
「人の息があって安心した」
と安堵の方が勝ってしまう。そんな中、自分は北への大地へ向かう緊張感と北海道へ行ける安心感で万感の思いになっていた。
 しかし、駅前を出てからはしばらく暗い道を歩き続けねばならない。安全を惜しむならタクシーに課金した方がコレはきっと賢明な判断になるのだろうか。
 しかも、信号も少ない中を徒歩で歩いていったので非常に心許ない空間であった。あの少し寂しい閉塞感は非常にどうとも言えない風情がある。

 少しジグザグした道を歩き。そして、舞鶴警察署の近くだったろうか。車道が広がり、トラックの通りも多くなるとレンガの建物に遭遇する。
「あぁ、申し訳ない程度の舞鶴観光かな」
と思いながら、少し撮影する。
 信号のランプとトラックの軌道が重なり、レンガの建物は見えない状況になっているが舞鶴のノスタルジックというのだろうか。歴史的なレンガの建造物は、海での旅立ちを迎える者にとっては非常に感慨深い感動を与えてくれた。
 これから大海原に乗って、20時間近い旅に向かうのだと。
 個人的な話になるが、父が舞鶴…というか東郷平八郎に関するドラマや小説をよく読んでおり、父から何度か話を聞いた事がある。
 舞鶴に立ち寄り、軍港やレンガの建造物を見ていると父が話してくれた東郷平八郎とバルチック艦隊の偉業について考える、少し気持ちに熱が入る特別な場所なのだ。

 2〜30分掛け歩いただろうか。
 東舞鶴から、フェリーターミナルに到着した。積み込みの自動車、そしてトラックにバイクと様々な乗り物が行き交っており、夜にも関わらず非常に喧騒に包まれた空間になっていた。
 周辺の安全に気を付けつつ、乗船手続きをするカウンターに向かった。遂に旅の本格的な始まりを迎えたのだった。

21時間の船旅

 今回のフェリー乗船時間は、自分にとって最も長い乗り物の旅になる。
 今までは関西から九州までのフェリーに乗船経験があったが、北海道に向かうフェリーは初の乗船になる。九州に関しては10時間近くだったが、北海道は何と21時間かけての旅路になる。自分としてもここまで乗り物に費やすのは初の経験だ。
 ちなみに。乗船前。
「予約した者ですけど」
「はい」
「昨日、列車の事故で変更したんですが…」
「あぁ、◯○さんですね。次回から手数料発生しますのでお気を付けて」
 しかも、自分の本名まで間違えられていた始末。挙句の果てに恥をかいたのは当然だが、帰りの日程も同時に変更手続きで出港した。
 待ち時間は殆ど家族との連絡をしなかったが、乗船後には
「乗れたよ」
「うわー、こんな船乗った事ないわ」
との数少ない連絡で京都府を後にするのであった。

 船内で宿泊したのは、寝台列車のように僅かな寝るスペースだけの部屋であった。
 その他にも、この船には多くの客室がありグレードも様々。しかし、自分の場合は障害者割引(精神3級)の適用関係などが左右しており、そういった事情でこの寝台列車風のスペースにしたのである。
 写真は、起床後に撮影したゲームコーナーだ。船内にはレトロゲームを置くゲームコーナーや、北海道・日本海名物を扱う売店、飲食自販機などを扱う区画と多かったがそこまで金銭を使う時間などは無かった記憶である。
 自分が船内の売店、自販機で金銭を使ったのは売店で買ったポテチと自販機の炭酸飲料だけであった。しかし、この炭酸飲料も地上で購入するのとは桁違いな値段で、とんでもない価格には絶叫寸前の感情を覚えるのである。
 そして、自室となった寝台区画では出港寸前までオリックスvs千葉ロッテの神戸での試合をアーカイブで視聴していた。(この時はライブ配信されていた)投手が金子千尋という自分でも懐かしさを感じる時代であり、帽子のマークが『Bs』な憧れを詰めたオリックスナインの活躍に背中を押されつつ、自分の海上旅行は始まったのである。

途切れた世界

 21時間の船旅のうち、半分近くは時間が…というより電波が途切れた世界の中を過ごしていた。
 こうした状況というのは、『デジタルデトックス』として携帯電話や電波環境から遠ざけてくれる点で現代人には効果的なのかもしれないが、乗船中の人間たちには酷な状況でもあった。
 特に、今回の新日本海フェリーでは福知山清美・明徳義塾などの名だたる高校がインターハイの為に北海道を目指していたようであり、そういった青少年たちには酷だったのも酷だったかもしれない。
 以前、関西から九州までの航路…大阪南港から別府までのフェリーからの下船後、
『携帯に通知が来た瞬間は下界に降りた気分』
だと記したが、今回もまた似たような状況になっている。
 今回の場合は、携帯の通じていない状況に関していうとさしづめ
『タイムトンネルを通過している状況』
なのかもしれない。
 きっと、ドラえもんの作中でのび太君の机を開くとこうして電波も圏外、何も通じない世界になっているのだろうかと勝手に考えてしまった。

 さて、そんな電波が通じない世界の中で羅針盤となっているのがこの地図だ。
「もうこんな場所まで来てるんだ〜」
との声や、
「早いねぇ」
と言っている観光客の姿もまた見え、船のアトラクションのようになっている表示だった。
 電波もなく、環境が一定謝絶された空間の海上では些細な事がアトラクションと化す。
 さて、次回はこの海上旅行の後半を…というか海上の少し詳細なところ、海上の筆者の経過について詳しく記していこう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?