前向きになるということ

 最近とても前向きだと感じる。感じることに戸惑っている。
 ずっと後ろ向きだった自分。何も自分のことを許せない自分。世界の全てが憎らしくて羨ましくて惨めに思えていた自分。そういうマイナスな自分が小さくなったと感じている。それがいいことだとはまだ思えないけれど、でも、周りに話すといいことだと言われる。だから困っている。

 私の背後にはたくさんの私の欠片が立っていて、それらにずっと文句を言われ、罵倒され、許してもらえずにここまで生きてきた。99対1で自分が世界一の敵状態だった。それが最近は支持率30%ぐらいまで上がっている感じで、とても居心地が悪い。とても落ち着かない。
 原因は1つだけ。お薬の変更。それだけ。
 たったそれだけで世界が変わったような感じがしてる。今までぎゅうぎゅうになっていた小さな植木鉢から、急に広い植木鉢に植え替えられた植物のような戸惑いに振り回されている。植物の気持ちなんて分かったことないけれど。大きな植木鉢の居心地がいいことが不安で仕方ない。急に緩やかな場所に移されて動揺している、そんな気持ち。
 でもその代わり、副作用で1ヶ月で10kg増えたけど。死活問題である。でも、前までの私なら、5kg増えただけで死にたくなってたはずなのに、太ったことへの動揺はそこまでない。それが怖い。

 日常が緩やかに、でも快適に進む心地良さ。それに対する恐怖。だから私はこの生温さに慣れる必要があるみたいで、次の修行が見つかったことにわくわくしてもいる。そう、怖いから頑張ろう、頑張りたいからやってみよう、っていう恐怖や不安を原動力にして今までだってやってきたんだ。そこだけは前と変わっていないんだ。焦ることで頑張ってきたんだ。
 でもちょっとだけ毛色が違うから怖い気持ちが今までよりも大きいのかもしれない。カウンセラーさんと話してるとそう思った。

 前向きなのは私じゃないと思ってた。でも元気じゃないのは私じゃないから元気でいなきゃと思ってた。矛盾。前を見ることは怖くて、元気じゃないのも怖くて、私は後ろ歩きしながら本当は怖い癖にそれを隠してはしゃぐ子供みたいだったと今なら思う。それが私にとっての普通だった。でも、それを辞めなきゃいけなくなった。前を向いて、はしゃがずに、可もなく不可もなく、普通に歩くことの難しさを痛感してる、いや、難しくはない、みんなやってることを私もやるだけ、当たり前にできることを当たり前にやってみるだけ、普通の人間のように歩いていくだけ、それはとてもつまらないことで、でも、とても柔らかいことだと知った。
 私も「普通」になれるんだな、と思って、それを少し残念に思った。

 「普通」に笑うことのできる自分。それはきっと悲劇のヒロインなんかじゃない。私はあくまでも主人公なんかじゃない。それでも歩いていかなくちゃならない、みんなと同じように前を向いて。

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