鬱症状の1週間を経て思ったこと。

 それはある朝、突然やってきた。

 体の上に何かが乗っている。何かな、と考えて、これは鉛だ、と思った。鉛が乗っている。私の上に。なんで鉛が?
 そう思った途端、涙がぼろぼろとこぼれた。ぼろぼろ、ぼろぼろ、ぼろぼろ。止まらない。涙が、感情が、止まらない。
 なんで、なんで、なんで、ばかりが頭の中を駆け回る。
 まるで私の体が私を拒絶してるみたいだった。

 泣くことしかできない私に家族は誰も気付かない。
 このままじゃ怒られちゃう、と思った。心の底から。それが真実であると疑わなかった。
 家族、元の家族ではなく、今の、変わってきた夫と、可愛くも生意気盛りの子供たちに。何やってるの、と。ママとしてちゃんとやってよ、と。

 無理だ、と、頑張らなきゃ、が、ぐるぐる回って、それが涙に変わっていくみたいだった。私の中のなにがそれに溶けているのかは分からないまま、ただ、塩水だけが私から逃げ出していく。
 私は、私から逃げ出せないのに、私だけが、逃げ出せないのに、私こそが、逃げ出したいのに、

 そんな中、夫が部屋にやってきた。あ、と思考が停止した。だめだ、おわった、と。
 いってきます、という絶望の合言葉だけを残して、私のことに気付いたとしても、めんどくさいと言われておわり、私も説明できなくておわり、ああ、おわった、おわったな、が、一瞬で頭の中を占拠した。
「どうしたの?」
 夫の一言に、どうにか首を横に振った。
 起きられる?と聞かれたのか、大丈夫?と聞かれたのか、両方聞かれたのか、もうそれすら覚えていない。けれど、一緒に過ごしてきた中で一等優しくて不安そうな声だったのは分かった。私は全てに否定を示した。もう言葉を絞り出すこともできなかったから。
「頓服飲もう、どこにある? いつものケースに入ってる?」
 ほんの少しだけ、首を縦に動かすことができた。肯定することがとても息苦しいことのように思えて、それは私の思惑の外にあると感じていた。

 薬のケースを抱えて、夫は戻ってきた。
「この中にある? 飲める?」
 私は黙って受け取って、中身を一つ一つ取り出した。とても重くて、拘束されているような体を動かすのは苦痛で仕方なかった。それでもどうにか取り出し、並べて、飲む、と思った時に、再び体が言うことを聞かなくなった。拒んでいたのかもしれない、自分を楽にすることを。楽になることを。
 一粒ずつ、ぷち、ぷち、と錠剤を出して、手のひらに並べて、逡巡。
 夫が見守っている、見限られたくない、ここで飲まないと全部ダメになるかもしれない。それだけが私の行動を支えていた。

 薬を飲んでも気持ちは晴れなかったが、話せるようにはなった。言葉が頭の中に戻ってきた、と思った。それまでどこに隠れてたのか、さっぱり分からなかったけれど。

 一週間。今回の鬱症状の出た期間だ。
 とにかく、普段ならなんてことのない作業や家事、会話ができなかった。毎朝体に鉛が乗っていて、日中も一つ一つの行動に時間がかかった。配信などでどうにか意識を保っていたけれど、眠くて眠くて仕方がなかった。イライラの回数も増えて、その分泣くことも増えた。毎朝と毎晩、死ぬことばかり考えた。自傷衝動と一日中戦った。炊事がとにかくできなかった。食事に興味がなくなった。お風呂に入ることもできなかった。洗濯物だけが溜まっていって、自分には何の価値も無くなったかもしれない、という恐怖が付き纏っていた。子供との喧嘩も増えた。音に過敏になった。楽しんでいたことが全く楽しめなくなって、全ての人間関係を断ち切りたい衝動とも戦った。SNSの全てを黙って解消することも何度留まったか分からない。孤独感が増したのと比例するように、憎悪も増した。世界全部が憎いような気がして、でもすぐにまた、自分が酷く汚くて醜い人間であると認識しては自殺願望が強まった。

 そんな一週間を過ごして、どうにか、どうにか、やり過ごした。もらった頓服を1日3回飲んで。死にたい欲求を抑えて。自傷の欲求を耐え抜いて。

 金曜日。夕方。
 それでも洗濯物の山を前に、どうやって今まで洗濯してきたのか分からなくなって、喚いて、泣いて、子供たちに言葉で当たってしまった。後悔しながら泣いて、泣いて、泣いて、夫が子供たちと離れた部屋に食事を用意して、一緒に食べてくれた。それだけでも救われて、一緒にデザートにチーズケーキまで食べた。おいしい、と久しぶりに思えた。配信アプリを開いてる夫の横で、あっという間に寝落ちて、何度か嫌な夢は見ながら、それでも再び何度も眠って、

 そして、土曜の朝。

 突然、体が軽くなった。何でもできる気がして、でも、少しだけ虚な気持ちがして、だけど、体の軽さに心も軽くなった気がした。前日に子供たちを怒って泣いてしまったことも謝って、私はすっかり元気になったんだ!! と思えた。

 そこでふと、思い出した。ここ最近ずっと勉強していた、躁鬱病、双極性障害の特徴を。

 今までの私は、やっといつもの自分に戻ったぜ、いえーい!!、で復活したと思って、その元気の出た日から、フル稼働して、夜も元気で、衝動のみで生き抜いてきたんじゃないだろうか、と。
 双極性障害、躁の状態と鬱の状態を行き来してしまう病。私の今までの人生、ずっとそうだったのではないか、と。

 元気を出し続けないといけなかった。そしたら同級生の人には「悩みなんてなさそうだよね」「いつも元気だよね」なんて言われてただけだった。親からも「丈夫なだけが取り柄」「酷く怒られた後でもヘラヘラしてられる神経が分からん」「いいよね、いつも調子良さそうで」なんて言われていた。
 それをずっと信じてきた。
 私は元気な人間だ。元気じゃない私は私じゃない。私はそれだけが許されてる生きる道なんだから。

 そう、ずっと、信じていた、のに。

 本に似たようなことが書かれていたのを思い出して、ゾッとした。32まで、気付かずにきてしまったことが、あまりにも大きな大きな、損害なのかもしれない、と思って。今まで信じてきたことが、薄々崩れてはいたけれど、それでも、『元気な私』を基調に生きてきたのに。
 ここから先、どこを基準にしたらいいんだろう、と、少しだけ呆然とした。突然、手元に握っていた方位磁石が消えてしまったみたいな、不安と孤独。絶望、まではまだ行かないけれど、確かな喪失感が、ここに、手のひらにあった。握り締めて、潰してやろうか、と思った。けれど、それでは今までと同じことの繰り返しになってしまう、という自制心もあった。
 だからその自戒も兼ねて、今回は鬱症状に襲われていた一週間を簡易的に、そして、多分もう躁転してしまっていることも同時に書き記しておこうと思った。
 どんなタイミングで鬱と躁が来るのか、予兆はないのか、あるとしたら何なのか、その時にどう対策をすればいいのか。
 そういうこともこの先、少しずつでも、まとめていけたらいいな、と思っている。

 今までと違うことが一つ。エビリファイ、そして、ビペリデンの存在だ。
 躁状態までいってはいないかもしれない、絶妙なプチハイテンションが昼間にあって、夜、絶好調になっていく。テンションがエスカレートしていくような気がしている。
 今までだったら、それが朝からハイテンションで、かつ、夜もずっと続いていて、睡眠薬を飲むタイミングも逃してきた。そこは明らかに異なる点だと思う。
 それに、病識を得た、のも大きかったかもしれない。きちんと知識として知っておくことで、私は思考し、試行する。それが私の持っている最大の武器、みたいだから、人に言ってもらえることだから、きちんと使っていくんだ。その能力を。知識と思考をフル活用して、切り抜いてきた今までの私にプラスして、頼ってもいい場所を正しく活用していく大切さも知った。友人やネットの世界の人たちからのプラスの言葉も、一度は受け止めて、正しい場所に保管できる癖もついた。
 ああ、どうしてこんなに恵まれてしまったんだろう。私、生きるしかないじゃないか。

 生き抜くのなら。どうせ、この世界に立ち続けるのなら。

 私はもっと強くなりたい。誰よりも強く。誰よりも、根気強く。粘って粘って、これでもか、と力を振り絞って、力尽きるまで戦い抜きたい。
 それを見て、誰かが、生き抜く勇気を持ってくれたら、それより嬉しいことはないかもしれない、なんて。そんな、夢を見てしまうくらいには、私は本当に恵まれていると思う。
 1mmでもいい。この世界に生きている理由、生まれてしまった理由を、家族ではなく、他者との関わりの中に見い出したい。贅沢だな、なんて鼻で笑う幻聴もまだあるけども、それとも戦っていってやるつもりだ。いつまでもへこたれてるなんて、私らしくない。今まではそうやって否定してきた。これからは、へこたれてる私も私だ、と言えるようになれたなら。今すぐには無理でも。

 誰かに言われた、やりたいことリスト1000個作ろう、に挑戦したいと思う。今まで無視し続けてきた自分からの声も聞いてあげてもいいかな、とも思う。

 だって、結局、私は、私でしか、ないのだから。
 私は私にしかなれなくて、私以外の誰かでは、私にはなれないのだから。

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