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血沸き肉躍る反撃は、自分という存在がよみがえるかのよう

大事なものや人を侮辱されて、黙ってるわけないだろ。


PM6時。A市の喫茶店。

僕は計画の最終確認をしていた。今から実行する「反撃」の計画だ。


詳しい経緯は複雑なので省くけど、要は学校とか職場とか趣味の場所とか、そういう場所に依存した人間関係って、持続した小規模な友人グループと比べて、悪い人が紛れ込みやすい。

そういう人は、だいたい他の人にも迷惑をかけている。

この前読んだ「僕たちはガンダムのジムである」って本にも、パワハラする人とセクハラする人は同じ人物であることが多いって書いてあった。

こういうの、許せない。ただ現実には、やり口が巧妙で他の人にはわからなかったり、人間関係のパワーバランスを勘案して反撃しにくいような程度に調節して行われていたりするので、難しい。

僕も昔、上司に人気のないところに連れていかれ、壁に叩きつけられ、胸ぐらをつかまれて恫喝及び脅迫を受けたことがある。そしてこういう奴は表では良い顔をしていたりする。


今回の「反撃」の件も、そういう感じの話だ。


少し話がわき道に逸れるけど、この本はとても良い本で、「みんなスキルアップとキャリアアップにアップアップしている」という名言が印象的だった。( #推薦図書 #買ってよかったもの

確かに、凡人はいくら努力したところで限界がある。

ガンダム(並外れた性能を持つ主人公機。劇中で無双の活躍を見せる)でないことを理解して、
ジム(たくさんいる量産機)がガンダムになろうとするのではなく、
ジムカスタム(ジムの改良機)くらいでいい。

ジムにはガンダムとしての活躍は求められていないし、そもそも不可能だ。というのがこの本の論旨だと理解した。


2018年の自分にとても関係のある話だと思った。


そしてこの国には、ジムに自らをガンダムだと錯覚させようとする言葉や歌があふれすぎている、という指摘もあった。

ファースト・ガンダムが放映された頃、自分はまだ生まれていなかったけど楽しく読めた。


確かに自分はジムだ。誰と向かい合っても楽勝とはいかない。周りを自分の味方でがっちり固めたリーダーでもない。

今回の話に戻ると、だからといって、大事なものや人を侮辱されて黙ってるわけにはいかない。ジムならジムなりのやり方で反撃する必要があるのだ。攻撃は最大の防御。


反撃せずにやられっぱなしで我慢していると、心に"毒素"が蓄積される

この「毒素」については、前からずっとしようと思っていた話だ。

これは内田樹(村上春樹の批評本で知った)がよく話す「邪悪なもの」から着想を得たものだけど、そこから自分の中で時間をかけて熟成されていった捉え方なので、彼のそれとは結構違っているのだろうと思う。


他人から嫌なことをされると、そのぶん心(と身体)に"毒素"がたまる。

特別に受け流す能力が高い人もいれば、毒素の消化能力が高い人もいる。

ただ、普通の人は心に毒素がたまっていく。なら、それをどこかに排出しなければならない。

そのままにしておくと、自分を責めて傷つけるか、いつもイライラして仕方ないような状態になる。


じゃあどこに排出するのか。

その毒素は放っておくと、自分より弱い立場の人間へと向かう性質がある。暴力的な攻撃として。無意識的に。あるいは意識的に。

事が行われるのは、いつも外から見えにくい密室のような場所だ。そこにはまるで何かの犯行現場かのような、特有の瘴気も漂っているかもしれない。


相手は自分の子どもかもしれないし、知人や恋人かもしれない。

生徒かもしれないし、部下であるかもしれない。ネット上の見知らぬ他人かもしれない。

イライラするのは、本当にその相手が悪いのか。それとも自らが発散したいがために、その人の悪いところを強引に見出そうとしているのか。

人間は誰しも完璧ではない。


気づけば、罪のない存在を傷つけるような行動を取ってしまう。それは理性でコントロールしきれるものではない。

容易には避けられない。毒素というのは目に見えないけど、確かに蓄積されていくものだから。

ストレスとは少し違う。一過性のものではなく、借金のように返済しなければなかなか減っていかない。


"毒素"を処理するための方法

話を戻すと、罪のない存在を攻撃せずに毒素を排出し、穏やかな気持ちになるための方法は少なくとも二つあると思っている。

他にもあると思うけど、自分が使うのは主にこの二つ。


一つは、嫌なことをしてきた奴にやり返すこと。反撃して、毒素をお返しすること。

可能ならば、これが最もコスパが良い。勝手に借金みたいなもん押し付けてくんな。自分で解決しろや返すぞ、ってこと。


もう一つは、その嫌なことを何らかの形にして表現すること。

このnoteのように文章にしてもいいし、それ以外の形態でもいい。仲の良い友達に話すとかでもいい。同じような境遇の人の話を聞くのもいい。


後者の(二つ目の)方法は、個人のスキル等に大きく依存しているし、あまりうまく出来ない人もたくさんいる。得意な人もいるが、そういう人ほどそもそもダメージを受けやすかったりもする。

そしてたいていの場合、より安全だが比較的コスパは悪いし、現実の状況やパワーバランスは変化していない。可能ならば、前者の方法で根本に働きかけるのがやはり王道だと思っている。可能ならば。


天才的なロック・ミュージシャンとかだと、表現したその作品によって同時に地位とお金を手に入れるものだけど、ほとんどの人はそううまくはいかない。

だとしても、他の同じような境遇の人の毒素の消化を助ける効果は期待できると思っている。この話もよくしてるけど、自分自身も助けられてきたから。


あまりにも膨大な毒素を抱えていると、逆にその毒素が増えるような行動をとってしまうこともある。人間って、いうほど理性的でも合理的でもない。

かくいう自分もそうだったし、現在もその毒素を消化するための作業をしている。

それがこのnoteでもあり、特にシーズン1(スタート ~ 2018年10月)にはその傾向が強い。とても強い。ただ効果は実感できた。癒されている。( #noteでよかったこと


全く資本主義的な観点ではないけど、
自分(及び各々の表現をしている人達)は社会の毒素の総量を減らす作業をしているのに、その報酬を十分に受け取れていないのは社会システムの不備だと思っている。押し付けていった奴が得をする仕組みってどうなの?



血沸き肉躍る反撃は、自分という存在がよみがえるかのよう

胸が高鳴る。心臓が脈打つ。

PM6時。A市の喫茶店。計画は最終段階を迎えた。やっとこの時が来た。この瞬間を待っていたんだ。


反撃するといっても考えなしに行うのでは、その反撃を相手の攻めの起点に逆用されてしまう可能性もある。なので計画的に行う必要がある。

相手を本気で潰すつもりなら、燃え盛る赤い炎のような感情的な怒りだけじゃ、まだ足りない。

更に温度を上げる必要がある。非日常な高温まで。そうすると炎は青く、澄み始める。感情と理性の両方をはらみ、冷徹さを持ち始める。

敵を焼き尽くすための思考が、一つずつ着実に積み上げられていく。逃がさない。


さぁ、始めようか。店内に流れるBGMが妙に明るい。

立ち上がると、もう一人の自分も同時に立ち上がった。ここの壁は鏡張りになっていたのか。

なんとなく気になって、鏡に映ったその顔を眺めてみる。

悪い顔つきをしている。それはいつもよりずっと、頼もしく思えた。面構えでこんなに、印象って変わるんだ。

この男になら重要な仕事を任せてもいい、いやむしろ、こいつほどの適任はいないだろう。ぜひ今後も俺の右腕として働いてほしい。


胸が高鳴る。心臓が脈打つ。

狩りのようだ、と思った。獣をしとめるため、今は静かに息を潜めている。敵の弱点を見極め、追いかけ回し、消耗させ、罠を仕掛けた場所へと誘い込んだ。

全身が期待に満ちている。暴力的な愉悦に身が震える。獲物を射るための毒矢は、すでに番えられている。

自分の呼吸の音が大きく聴こえる。思考は澄んでいる。

鼓動の度に、血液が駆け巡る。その一度一度によって、身体中の細胞が息を吹き返していくかのよう。

自分という存在が、よみがえっていくかのよう。

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