「ダメ人間」にずっと救われてきた。彼らは、働かずに好き勝手していることで一つの重要な役割を全うしている。そんなダメ人間の良さを徹底考察する。
この前の投稿では、前向きな人とかやさしい人を肯定するようなニュアンスで書いたし、それは実際そうだと思ってる。
でも、ダメ人間(言い方悪いけど他に思い浮かばなかった)も好きだし、とても救われてきたなと書いた後に思いました。ならこちらにも触れないわけにはいかない。
// この前の投稿 → noteに真剣に取り組むということは、青春だ。
諦めと不満が場を支配している、匿名掲示板や配信サイトをどうしても見てしまう自分
みんながみんな立派で真面目だと、それはそれでうまくいかない。
どうしようもないことがたくさん書いてある匿名掲示板とか、ニコニコ生放送でやってるような暴言が飛び交う後ろ向きな配信をよく見ています。
(もともと自分のことをそっち側の人間だと認識しています。心のふるさと。その中でも変に真面目だから注意してないと浮くんだけど)
そこには建設的なものはたぶんほとんどなくて、諦めと不満が場を支配しています。週刊誌のごとく叩けそうな人間をとにかく叩いてストレスを発散しようとする、みたいな感じの文化圏です。
(他の娯楽的要素が混在している場所も多い。さすがに失礼な言い方になっちゃったかな)
でも見ちゃうんだよなー。
とくに、自分が何かに失敗したり、プレッシャーを感じたり、うまくいってないときに見たくなります。
それはなぜか?
弱くて立派じゃない人間が救われる場所
そういう場所って、弱くてぜんぜん立派じゃない人間が唯一救われる場所なんですよ。
外に出て立派で有能な人の姿を見ると、ひたすら劣等感を刺激させられている人間が、汚らしい無能として扱われている人間が、やっとほっとできる場所。
これって、むかしは宗教的なものが担ってきた役割を果たしているんじゃないかとまで思うことすらあります。
ダメ人間が周りの人にもたらしているもの
人柄にもよるけど、すぐ怒るし、他人を顧みずにひたすら自分の都合だけを主張する人、そういう人がただそこにいるということに救われたりもします。
ここまで着目してきた匿名掲示板とか配信サイトって、そういう「ダメ人間」あるいは「ダメ人間にに救われている同じようなダメさを持った人」の集いでもあるんですよ。
もちろん、場所によっても雰囲気がぜんぜん違っていて、優れた有名人に対して強い憎悪を持っている人(本当のアンチ)が集まってる場合もあったりするんだけど。
少なくとも自分がふだん見ているところには、そういうものとは別の(表面上は似ているけど)良い一面もあるということです。
ダメさをもっている多くの人間が、それをオープンにしているリーダー的なダメ人間に救われているという構図。
表面上は、大勢でそのリーダー的だったり目立つ存在を叩いたり見下すような言動をとりつつも、救われている。励まされている。
(なじみのない人にはうまく伝わっていないかもしれないけど……以下の具大抵を見てね)
良い「ダメ人間」の具体例
例を挙げると、少しお腹が出ている若い女の人の配信者がいます。その人は働いていません。恋人もいません。
でもすごく愛嬌があって、その人がただパソコンの前で自分の姿をカメラで映しながら、ただそこにいるのを見るだけでどこか安心します。そして話がおもしろい(何もかもめちゃくちゃオープン)ので楽しくもなります。
「かわいい」ってコメントが一つあるだけで、すごくうれしそうな顔になります。嫌なことがあると怒ります。感情表現がとてもストレートです。また、自分の失敗をすぐ人のせいにします。
そして、ここぞというときに服をめくって、わざわざこちらに向かってたるんだお腹を見せてきます。
そうするとリスナー達は「太り過ぎww」とか「でっぶwww」ってコメントします。
そう叩きながらも、みんなとても喜んでいます。それを配信している側も理解していて、ここぞというときの必殺技みたいになっています。
そんな感じです。現代版ジャンヌ・ダルクかよ。
正しいダメ人間であるがための条件
ただ、上述のダメ人間の条件にあてはまっていても、すごく好感の持てる人と、ただただ不快に感じられる人がいる。
それを分かつのは何なんだろう、と少し考えてみた。
一つは、その人がその人らしくあるかどうかだと思った。
根っからのダメ人間がそのダメさを発揮しているとき、それは人に迷惑をかけているようで、実は周囲を安心させているように思います。
そういう人がただそこにいて自分勝手に振る舞うということで、自分の中にあるダメさが肯定されたような気分になるんですよね。
二つ目は、自分との共通点が多くて、本来的なあり方を見せてくれるか。
ただ共通点があるというだけでなく、自分の中の未開発な可能性を刺激してくれるというか、本当はこういうのが自分の本来的なあり方なんだ、って気づかせてくれるような感じ。同じタイプでありながらも先を行っている人、みたいな。
「なんだこの人頭おかしいでしょww」って思いながら見始めたら、自分の中にも同じ種類の"頭のおかしさ"があったことに後で気づかされたりもする。
貢献する気がないゆえの貢献
これって立派で真面目な人にはできないタイプの貢献だと思います。
貢献する気がないゆえの貢献。そういうものがすごく好きで、これまでにめちゃくちゃ支えられてきました。
自分にはそういうめちゃくちゃ支えられてきた配信者が何人かいるんだけど、今までに合計1万円以上は投げ銭してきてます(ぜんぜんお金持ちというわけじゃないです。むしろお金ない方です)。
note的にはかなり多い投げ銭額に見えるかもしれないけど、自分の感覚としてはこれでも相手の貢献に見合った額ではない。ぜんぜん足りない。
もし宝くじとかが当たったら、100万円分くらい投げ銭したいくらいの貢献を感じています。出会ってなかったらたぶんもう死んでると思う。オーバーな表現でなく。
誰もが前向きになれとか真面目にやれって言うから、
(自分の中では我慢に我慢を重ねて、ずっとそうしてきたつもりなんだけどね。どんなに訴えても理解されなかったけど)
もうどこにも行き場がなくなってた。その中での唯一の救いだった。
それまでは、自分を殺すような巨大な譲歩をして相手の価値観に合わせるという条件付きの関係の人しかいなくて(どんなに探しても)、
じゃあこの世には一人も味方がいないじゃん、って思ってた。
今でもそう思ってるとこあるけど。
// 味方がいなかったということについて詳しくは → 死にそうだったけど、noteを通じて信頼できる人と出会えて安心した。歩いていけそうだ…と思えるまでの道のりの話。(最も病んでた頃の紙の日記も公開…!!)
そういう配信者ってお金がない人を相手にしていることが多いので、収益を上げることはなかなか難しそうに見えるし、でも救っている相手に叩かれていたりしてても続けていて、まさに現代の菩薩だなって思ってます。
表面的にはただのダメ人間だから、ろくに感謝も尊敬もされてないし。あるいは犠牲になったキリストかよ。
ダメ人間であるという才能
ダメさにも種類があると思うんですよ。
ある人が本来的で自然なあり方ができずに無理しているがゆえに、にじみ出てきてしまっているようなダメさは、不快に感じられることが多い気がします。
また、ダメ人間の才能がない人はうまくダメ人間になれないし、そうあり続けることができないんだと思います。これも一つのスキルであって。
最後に:このnoteを書こうと思ったモチベーション
自分の視点では、noteにいる人って立派な人が多いし、ほとんどの人が前向きですごく真面目に見えています。
(noteという場にそういう力が働いているのかもしれないけど)
その中で、自分みたいな奴がここにいていいのかって気持ちになることもあります。
とくに、
この前はじめた「友達に話すことみたいな個人的な話をするマガジン」を購読してくれる人が思ったよりも多くて(本当にありがとうございます!!)、
でも自分がそういう人達に貢献できることって何なんだろう、って考えずにはいられなかった。だからマガジン用の記事を書いてる途中で、いったんこの記事を書かずにはいられなかった。
でもさ、ここまで書いてきた気づいたことがあって。
ああそうか、
自分は弱くて立派じゃない、
ダメ人間側の視点から語っていけばいいんだ、
って。
今回の記事だって、立派で前向きな人には、暴言が飛び交う匿名掲示板や配信サイトの良い面とか、真の効用なんて理解しにくいんじゃないかな……?
というわけで、変に方向性を変えたり真面目になると、逆に貢献できる度合いが下がると思ってるので、引き続き自分が語りたいことを好きに語って、ダメさ加減をさらしていこうと思いまーす↑↑
▼というわけで、作ったばかりの秘密基地(マガジン)をよろしく
(思ったより好評で多くの方に購読して頂けてます。今なら買い切り250円)
▼その中に含まれる一つ目の記事(自信作!)
// このマガジンを始めて感じたこと → noteに真剣に取り組むということは、青春だ。
じゃあまたね~~。次はたぶん秘密基地(マガジン)に書きます~~。
頂いたサポートは無駄遣いします。 修学旅行先で買って、以後ほこりをかぶっている木刀くらいのものに使いたい。でもその木刀を3年くらい経ってから夜の公園で素振りしてみたい。そしたらまた詩が生まれそうだ。 ツイッター → https://twitter.com/sdw_konoha