見出し画像

モヤモヤがあったら紙に書く

頭の中にモヤモヤしたものがあったら、どう対処すればいいだろう。誰かに聞いてもらうのがベターだけど、誰にも話せない、話したくない場合もある。じゃあ気晴らしにふける? ゲーム、ドカ食い、飲酒とか …。それは対処ではない気がする。

誰かがいなくてもすぐにできて、お金もかからない方法がある。それは「書くこと」だ。紙とペンを使って今思っていること、考えていること、頭の中にあることを書き出す。そうすることでいくらか、いや、かなりモヤモヤが軽減される。まるで霧が晴れていくように。

なぜ書くことがいいのか。頭の中にあるモヤモヤは、何かしらの形を与えてやることでモヤモヤではなくなる。なので、言葉という形を与えてやれば、つまり言語化してやればいい。そうやって言葉に落とし込むことで、いくらか余計な感情が抜けて、客観的かつ論理的に見ることができるようになる。


僕自身、5年ほど前からモヤモヤしたら書くことを続けている。厳密に言えば、毎日何かしらは書いていて、モヤモヤしている日はそのモヤモヤについて書くようにしている。例えば、人間関係のいざこざとか、大事なことがある前の日の右往左往する心の状態とかエトセトラ。書くことで、気持ちが楽になることを実感している。


実際に僕が書いているもの。A5の紙にシャーペンで書いている。内容以前に字が汚いのでぼかしてます。

書くことは過去のトラウマ的なものへの対処法にもなる、と個人的には思っている。そういうものは大抵思い出したくないものだ。でも、確実に頭の中には存在していて、それこそがモヤモヤの発生源の可能性もある。なので、思い切って思い出したくないものにフォーカスを当てて書いてみる。文字に起こしてみる。すると、どうにか折り合いがつけられるようになる。もちろん個人差はあるだろうけど。


書く時にはひとつ注意点がある。誰にも見せない前提で書くことだ。誰かに見せるつもりで書くと、どうしても純度(本音の度合い)が下がる。noteの題材にしたくなるかもしれないが、一度は誰にも見せないつもりで書く。あくまで自分に向けて書く。そのほうがぶちまけやすい。

「ぶちまける」と言ったが、紙に書くことは吐くことに似ている。汚い例えになるが、書いて楽になることは、酔っぱらって気分が悪くなった時にトイレで吐くと楽になることに近い。(僕は吐くまで飲んだことはないけど)。

吐き出したものをそのままネットに流すのも別にいいのだけど、個人的にはそういうものを見たくないなと思う。この文脈でいうとそれは吐しゃ物のようなだからというニュアンスになってしまうが、まぁ遠くはない。

とはいえ、ネットの世界にはそういうものがたくさん漂っている。さながら受動喫煙のように、あまり健康にはよろしくない成分を吸ってしまっている気がしないでもない。
だから、ありのままのぶちまけた思いをまずは紙に書いてみて、それを練り直したものをネットに書くといい。その方が見栄えもいい。

ともかく、モヤモヤしたものがあるのなら、一度紙に書いてみようという話。どうすればうまく言語化できるかはまた別の話で、僕もそれが知りたいですよ。

この記事が参加している募集

習慣にしていること

最後までお読み頂き、ありがとうございます。 サポートは書籍代に吸収されます。