ババは引くまでわからない
今話題の「JOKER」。公開初日にこの映画を観たから、随分と感想を書くのに時間がかかってしまったけれど、思ったことをここに書きます。(ネタバレはしません。)
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人の感情はわかるもの?
表情や仕草や声色から人は、人の心をわかると思っています。
ぼくも思っています。
相対する人の表情がひどい剣幕だったとき、怒っているなと感じるし、俯き気味に涙を流していたら悲しいのだなと感じます。微妙なニュアンスの表情や仕草にセンサーを張り巡らせて情報を収集し、相手の感情を読み取ろうとします。
また、場にふさわしい状態というのもあって、
例えば昨日のラグビー。勝利に際しては、喜んだり、笑ったり、泣いたりは適切なものに思えますが、あの場面で怒っている人がいたら「ちょっとこの人おかしいな」と思ってしまいます。
対一人であれ、対複数人であれ、感情の読み取りの結果を出すのに必要なのは、過去の情報データとの照らし合わせです。この場面ならこう、あの場面ならこうというように、今まで自分が出会ってきた表情等と比較して近いモノを結論に持ってきます。
また、自分の表情による感情の現出は自分では見えないので、自分が思っているほど、その感情の表情にうまくなっていません。
ぼ高校の文化祭で演劇をした時に驚きだったのですが、文脈からして自分が演じるキャラクターは悲しい、喜んでるということを頭でわかっていても、それを顔や仕草に表現することがすごく難しかったのです。正確にはうまく伝わらなかったのです。
鏡を見ながら、顔の筋肉をこういう風に動かすと笑顔に見える、こういうふうに動かすと悲しんでいるように見えるというように自覚的にならないと、案外自分では、「出来ている」、「自然となっている」と思っていても、観ている人には伝わらなかったのです。
だから、「よくつまらそうな顔していると言われるけど心は笑ってるからね」とありきたりな言い訳っぽいセリフは、ただその人が本当に表情として感情を表現しきれていないことに由来するかもしれないのです。(本当につまらなくて愛想笑いもできない状況って可能性もあります。笑)
ここではじめて映画の話
主人公のジョーカーは脳の障害から、感情が高まったときにどんな感情を抱いていても笑ってしまいます。
彼自身は悲しかったり、嬉しかったり、途方に暮れていたり、怒ったり、緊張していたりするのですが、それらの感情をすべて笑うことでしか表現が出来ません。
このとき、それを受けた他者が何を思うかというと、純粋に「不快」と「苛立ち」なんですよね。理解ができないからです。自分の今までの過去のデータベースを探っても、どこにもこの状況に笑顔がマッチしない。人間にとって「未知」なものはストレスを起こします。
そして、未知なものがおそらく自分よりも“弱いもの”と判断した時、人はその未知を力で押さえつけます。逆に自分よりも“強いもの”であると判断した時、「恐怖」します。
ここで赤ちゃんを考えると、彼らも感情の表現手段はかなり限定されていて、基本的に「泣く」ことしかできません。
そうすると、なんで泣いているの?という未知の感情は、やがてそれを力で押さえつけようという感情に変わってしまうことがあります。それは怒鳴って黙らせたり様々ですが…。
しかし、マッチョなおじさんが笑って騒いでいたらどうでしょう。
怖いですよね。なんで笑ってるかわからないし、なんか怖い。自分が襲われてしまうような気持ちすら覚えます。ぼくだったらとりあえず近付かないです。
話を映画に戻します。
ジョーカーは社会的に貧困層のいわゆる“弱者”であったため、「笑う」しかできないことであらゆる攻撃を受けます。これらのシーンは本当に見ていて苦しくてこっちも辛くなります。でも、彼は笑っています。その笑顔は全く理解ができません。
今の笑顔は本当に嬉しいの?本当は苦しいの?悲しいの?
しかし、その時は来ます。
彼の笑顔が、おそらく心からの笑顔であると視聴者が確信をもてる時、観ていたぼくはすごくエクスタシーな気持ちになりました。未知が未知でなくなる瞬間は気持ちいいです。X=?の答えがついに出たような、なかなかどこにハマるかわからなかったパズルがピタッとハマるようなそんな感触。
そして、その笑顔が通常はタブーな笑顔なのかもしれないけれど、彼個人の内なる感情をゆっくり時間をかけて追った時にロジカルなような気がして、共感できてしまう。
このストーリーテーリングや演出は、とんでもないなとぼくは思いました。
だからこそ、この映画の感想をレビューサイト等で見ると、「自分もジョーカーになってしまうかも知れないと感じた。」っていう感想が多いのかなと感じます。
総括
話をまとめるために、佐渡島さんが言っている「情動」と「感情」の話を少しします。下記記事にも書いてありますが、
「情動」とは、生理的反応で他者が見ても判断できるものです。
一方で、「感情」は主観的な意識の体験で、他者によって観測することはできません。
『JOKER』はまさに、“笑顔”という「情動」を、不思議に不快に恐怖に感じることから始まり、彼の笑顔に裏にある「感情」を理解する物語だったと思います。
だから、ぼくがこの映画を観て思ったのは、
こんな社会状況や境遇だったら自分もこういうふうになってしまうということよりも、「感情」は恐ろしいほどにその人だけのものだなということです。
加えて、人の「感情」を知ることはこんなにも難しいのかということです。
でも、だからこそ、
映画や小説といった物語が表現し、人に伝える「感情」は魅力的で、人を引き付けて止まなく、ぼくはそんな物語が大好きだなぁと思いました。
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