三島由紀夫VS東大全共闘 鑑賞レポ

 2020年の5月24日。暑い日だった。新京極通を歩く私の脇の下には、じっとりとした汗が潜んでいた。些か遅々とした歩調で進む友人と私はこの日、ある映画を見るためにわざわざやってきたのだ。
 『三島由紀夫VS東大全共闘』。とてもはたちを過ぎたばかり、華の女子大生が連れだって見に行くようなものではなかった。
 世はコロナコロナと騒がしい中だが、京都府の緊急事態宣言が解除されたならばいいだろうと、私たちは少々焦りながら映画の予定をたてた。それは早く見なければ上映が終了してしまうと思ったからであり、つまり、私たちはこれを見逃したくなかったのだ。その考えがふたりの間に共通していることを知った時、私は本当に良い友と出会ったものだ、と思った。
 映画館は予想よりも人が多かった。ただ、旬の映画が軒並み上映中止しており、その代わりに昔の映画の再上映をしているためか、年齢層は高めだ。子供連れなどは無論、私たちのような若者も殆ど見かけなかった。友人が窓口でチケットを取ってくれる。余談だが、この時友人は「三島由紀夫のやつ、2枚」と言ってチケットを取ったそうだ。私ももしかすると同じような言い方をしていたかもしれないが、とにかくそれがあんまり関西人らしいので笑ってしまった。閑話休題。隣同士の席は取れなかった。私はそんなに人気があるのか、とへの字口に驚いてしまったのだが、どうやらコロナ対策らしい。3席あけて座らなければならないのだという。ふうん、と言いながら同じ列の席をふたつとった。
 劇場に入ると、客は見事に中年男性ばかりだった。そらそうか、と内心に苦笑する。かれらからすれば、派手なメイクに派手な服を纏い、さらには明るい髪色でイヤリングをぶらさげる若い女の二人組が来たので、シアターを間違えたのではないだろうかというような気持ちになっただろう。私が中年男性のひとりなら確実にそう思っていただろうし、「三島由紀夫の映画を頭の悪そうな女子大生ふたりが見に来ている」とSNSに書くか家に帰ってから家族に話していたと思う。それはさておき、上映時間が訪れて、私は3席あけて座っている友人を横目で見ながら、映画が始まるのを待った。
 始まる前から、友人と「寝るかもしれん」などと冗談ぽく言っていた。それはもちろん冗談なのだが、本当に眠くなってしまったらどうしよう、と本気で心配していたのもまた事実だった。なぜなら、眠くなってしまう、ということはつまり、私の感情とはかけ離れた脳の部分が「興味ない」と三島、或いは東大全共闘を捨て置いてしまうというこの上ない恐怖にほかならないからだ。ノーベル文学賞を川端と三島で争った時に川端がとってくれて本当に良かったと川端康成に信者めいた感情を持つ私ではあるが、それは比較したときに川端を選ぶだけであって、三島のことだって愛していないわけではない。近頃はめっきり三島文学を摂取することもなくなったが、その昔は私のなかの「好きな小説家ランキング」で1、2を争うほど好きだったのだ。今はもう、圏外もいいところであるが。とにかく、その三島の論を前にして、私の知能がそれを拒否することは悲しく不甲斐ないのである。だから上映前は、私自身がこの映画にのめり込むことをせつなく祈ったのだった。
 結果から言うと、寝るなんてことはあり得なかった。それどころか三島の声を聞くたび、その言葉が脳髄に浸透するたびに、私の全身を流れる血潮は熱く滾ったものだった。あの日、東大900番教室の熱意! 私は不思議な高揚感に自身が奮い立つのを感じた。三島と東大全共闘の舌戦のなかにある、形容しがたい空気。スクリーンの前でその熱にあてられて、私は呼吸が荒くなるほどだったのだ。
 映画の内容に関しては、割愛。到底「あらすじ」のようなもので表せる内容ではないし、議論のレベルがあまりに高いのでその本質的な部分をすべて理解できたわけではないからだ。それに、どの部分を抽出するか、とても決められたものではない。あれは起承転結など、場面ごとに優先順位をつけられない。はじめからおわりまで、すべて頂点なのである。しかしそのうえでひとつ、内容について言及できるとすれば、序盤の映像に登場した川端康成大先生のお姿のなんと愛らしいことか。
 映画が終わって、劇場が明るくなって、友人とそこを出る。その間、私はずっとどうした言葉でこれを語るべきか考えていた。ことわってお手洗いに行って、それからエスカレーターに乗った時に、私はようやくひとこと、「思ったよりおもろかった」と言った。しかしこのひとことは、会話の切り口のために出したもので、私の頭の中にはおもしろいとか、おもしろくないとか、そういう次元を超えた感想が渦巻いていた。
 その後、再び新京極通りを歩きながら、私と友人は実に内容の濃い感想戦を繰り広げたと思う。その姿は今京都市で一番深いところに思考があるのではないだろうかと本気で思ってしまうほどだった。私は近代文学に傾倒するほか、教育課程を履修しているので、時折現代の教育と文学に絡めつつ、友人は演劇人であるので、芝居の芸術という観点に重きを置いて、互いに感情あふれるまま様々なことを話した。それは感情的なものであるから、ある意味詭弁であったし、一貫性などなかった。それでも、私たちにとっては本当に意味のある時間になった。
 ふたりの間に共通する感情として、まず「悔しい」が存在した。これはエスカレーターを降りて隣のゲームセンターの太鼓の達人が喧しいのを聞きながらはじめに互いの口から出た言葉でもあった。それは簡単にいえば「私たちがあと50年はやく生まれていれば」の悔しさであり、「現代においてこの熱はどうして失われてしまったのか」の悔しさであった。私たちはどうにも、スクリーンのなかの三島や東大全共闘の人間たちに同調できないのが悔しいのであった。あまりに時代が違いすぎた。どれほどかれらに思いを馳せようと蚊帳の外、なにか意見を述べようと「ガヤ」でしかない。50年前も生きていた人がこの世にはまだたくさん存在していて、その人たちが三島について話せばそれは当事者であり、同じ時代を生きた重みのあるのがまた、途方もなく悔しいのであった。
 それから、私たちは映画館を出てからこの2020年があまりにつまらないことにも辟易したのだった。この時代に、900番教室の熱量は存在しない。あれがどこにでも溢れている50年前が羨ましかった。今の人間にあれほどの熱意があるか。命をかけられるものがあるか。闘争心があるか。崇高な思想があるか。敬意を持って立ち向かえる言葉の戦いがあるか。見栄えばかりを気にして、意見と言えば感情論の一辺倒。議論を嫌い、政治的な対立だって幼稚なけなし合いばかりではないか。人間が廃れている。しかしそれは見下した考えではなく、私たち自身も、そういう人間のひとりだと痛いほどに理解しているのだった。私は文学のために死ねないし、自分が芯のある人間だとはとても思わない。現代人と言えば聞こえはいいが、つまりは軽薄でつまらない脱力的な若者集団のひとりだということだ。しかしどうすればそれを脱却できるのか、かれらのような人間(これは強い思想を持つという意味でなく、太い芯のある人間という意味だ)になれるのか、わからない。きっとなれないのだろう。現代に生まれて、現代に生きてしまっているから。それもまた悔しかった。
 そういう話をずっとしていた。話せば話すほど、三島が生き、死んだ時代と自分たちが生きて死んでゆく時代のギャップが悲しいほどに浮き彫りになった。そこには大きな隔たりがあって、私たちがかれらを完全に理解することなど到底無理に思われた。私も友人も、かれらの話す思想、例えば右であるとか左であるとか、暴力に訴えるのは是か非か、思想のための犯罪行為は崇高であるか、などという意見に賛成することは殆ど無いのだが、その時代に生きていればどちらかに理解を示していたのだろうか、などというのもやはり悲しいのであった。
 友人と別れて、私はひとり、五条大橋から鴨川を見下ろした。私は、三島に通じ得ないということはつまり、かれの文学に通じ得ないということだろうな、とぼんやり考えた。この映画は、私たちの憧れや尊敬といった感情を強く刺激する一方で、自身や自身の生きる世界の矮小さを強調して去っていった。三島のことを理解しようとして興味を持ったのが、かえって三島をわからなくさせた。自分の進むべき道さえ。自分になにがたりないのか。なにもかもたりないのか。熱意と、敬意と、言葉を、この時代のどこに探せばいいのだろうか。だれか教えてくれる者はいないか。

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