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いつかこの日々が

こんばんは。
あけましておめでとうございます。

とても久しぶりにここにきました。気がつけばもう2月だ。かなり長い間、私はnoteを書いていなかったらしい。

本日はまず、ご報告からなのですが、先日無事に卒論を提出しました。

締切は1月22日(月)の午後5時でした。卒論内容についての発表はありません。2月5日(月)~8日(木)にかけては口頭試問がありました。これは先生方に、卒論の内容について質問されるというものです。私は昨日、この口頭試問を受けました。

そして本日、私たちのゼミの同期たちはみんな卒業できるということが決定しました。本当によかった…

ここまでこられたのは、間違いなく、近代文学ゼミの先生と、研究室で一緒に学びを深めてくれた友人たちの存在があったから。こんなに懸命に卒論に打ち込めたのは、私が好きなことを学ぶ機会を得られたから。

***

経験があるから知っていたけれども、学生の日常というのは、静かに失われていくものだ。高校生のとき、受験の時期になると、合格したひとから順に教室にやってこなくなった。登校するクラスメイトが減ると、ぽつぽつと、席に空きが目立つようになる。

私は一般入試の前期日程を受験したので、わりと最後まで学校へ通っていた方だ。1クラス30人から40人で、それが4クラスほどしかない高校だったので、最後の受験対策の授業はクラス関係なくみんなで行われた。

だいすきな古典の授業は、最後になると5~6人しかいなかった。私は前期で今の大学に合格したので、途中から高校に行かなくなったけど、後期まで粘ったひとは、それよりもっと少ない人数で授業を受けたのだろう。

毎日みんなの顔がそろうことが珍しくなり、教室はそわそわとなんだか寒いけれど、それをごまかすように、休み時間には今まで以上にはしゃいでみたりする。

それでも埋まらない、さびしい雰囲気。

そのときに思ったのだ。私たちの日常は、受験期という非日常の中で、あわただしくも静かに失われていったのだと。当時の日記帳にも書いた覚えがある。日常というものは、失われて初めて日常だったと分かるものなのだ。

私はいま、大学生活のドタバタが、この卒論提出というものを区切りに失われかけていることを知っている。だからってどうしようもない。

学生研究室は最近ではがら空きで、毎日通ってきていた4回生の面々も今ではもうほとんど顔を出さない。いつかは全て終わっていくのだ。時間はとどめておけない。

けれど私と仲よくしてくれている数人の友人たち…うっかりやさんの彼女とか、眼鏡の彼とか、カッターシャツの彼…は、まだ毎日研究室に顔を出す。みんな特に用事がなければお昼前後には集まる。みんなで一緒にお昼を買いに行くために。お茶を飲みながら午後をゆったりと過ごすために。

言うなれば、みんなとの大学生活を最後まで楽しむために。

そういう愛しい日々を記録しておきたくて、ここに書くことにする。もちろん今の私のためにではない。いつかこの日々を完全に失ってさびしさを募らせるであろう、未来の私のために、だ。



夜明けとともに眠ること

私は今まで徹夜というものをしたことがない。睡眠不足になると途端に身体が弱って、そのとき大丈夫でもしばらく後で必ずつけが回ってくるからだ。基本的にはひどい頭痛に襲われる。何も手につかないくらいひどい頭痛。

ここまで健康優良児として育ち、気づけば20歳を超えたわけなのだが、年末だったか年始だったか、4人で夜通しお酒を飲むということをした。

なお4人というのは、さっきも書いた次の3人と私のこと。

うっかりやさんの彼女
大学で最初に仲よくなった女の子。うっかりしている。頻繁につまづき、その度に周囲に対して「こけてないよ」と強く主張する。お月さまや雲の様子をよく眺めており、きれいだとにこにこしながら教えてくれる。キットカットとアルフォートを愛している(「えー?」って言われそう)。卒論の作品は三島由紀夫『金閣寺』なので、現実と心象、認識と行為、美、といった言葉に敏感。

眼鏡の彼
眼鏡をかけている男の子。しょっちゅうおいしいごはんを作ってくれる。頑張り屋。基本的にツッコミ役だが、ボケ担当が多すぎてよく疲弊している。カラオケで毎回「ハナミズキ」を歌い、その度ビブラートの最高記録を更新する。卒論の作品は村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』なので、一角獣、影、ペーパークリップなどに翻弄される。

カッターシャツの彼
いつもシャツを着ている男の子。お酒にものすごく強い。読点の多い文章を書く。博識で基本的になんでも知っているが、ポケモンのことはあまり知らない。私の机の上が散らかっていると無言で圧をかけてくる。卒論の作品は川端康成『山の音』であるため、血縁、疑似的インセスト、永遠の女性などと言っては大喜びしている。

この3人は、私がいつか大学時代の記憶を懐かしんだとき、真っ先に出てくる3人だ。

絶対そうに決まっている。

いま大学生の方々、あるいはかつて大学生だった方々にも、きっとそのように特別でありふれた面々がいるのではないだろうか。もしいるのならば、そのひとたちのことを想いながら私の文章を読んでほしい。

まだ大学生になっていない、なったことのない方々は、いつか出会えるかもしれないあなたの大切な誰かに思いを馳せながら、あるいは、これまでの学生生活であなたの日々のきらめく鍵を握っていた誰かを思い出しながら、私の文章を読んでほしい。

ともかく私にとってこの3人は格段に特別なのだ。

いつも研究室にいて一緒にごはんを買いに行ったり、本を借りに行ったり、おやつを食べたり、おしゃべりしたりした。こんなにもひっつきもっつきしていていいのかしら、楽しいからいいか、というほど私たちは時間と空間を共有しているはずだ。私たちはそれぞれのやり方で互いを大事に思っていて、相手にとって自分が大切だということを確信してもいる。

そんな3人と、朝までお酒飲んで語らうというなんとも素敵なことをした。私たちの他に誰もいない研究室で、ほろ酔いやらワインやら日本酒やら芋焼酎やらとたべものを持ち込んで、あれこれ話しながら飲むということ。

カッターシャツの彼はものすごくお酒に強い。その次に強いのが私、そして眼鏡の彼、最後がうっかりやさんの彼女。

私とカッターシャツの彼は、研究室で飲むたびにふたりでワインのボトルを1本開ける。眼鏡の彼は辛口の日本酒をちびちびと飲む。うっかりやさんの彼女は「私ももっとお酒強くなりたいなあ」と言いながら、缶チューハイを飲む。

ときどき眼鏡の彼が料理を作って持ってきてくれるから、それを食べながらお酒を飲むこともある。彼の料理は本当においしいのだ。私たちはみんな彼のことも、彼のつくるごはんもだいすきなのだ。

私たちはいつもいろいろな話をする。

けれども何の話をしているかと訊かれたら、ぱっと答えられないな。文学の話はもちろん、ふざけた話もするし、同じくらいまじめな話もする。そしてこの前も、そんなふうにして気がついたら夜が明けていたのだ。

思い出した。みんなでお酒を飲んだのは、12月30日の夜から31日の朝にかけてだった。朝帰りした日の午後には再び研究室に集まって、みんなで年越しそばを食べたんだもの。

夜が明けていく中で眼鏡の彼が寝ているのを横目に、起きている3人で、うっかりやさんの彼女が持ってきてくれていた「ゴキブリポーカー」をやった。大笑いしながらも3回くらいはやった気がする。また4人でやりたいと、ゲームの最中に私は言い、ふたりは強く頷いた。

それも終えて帰る前に、カッターシャツの彼が「青葉さん、どうせなら、朝から一杯やって帰ろう。これで朝まで飲むのも、朝から飲むのも、どっちもできるよ」と言って、研究室にあったグラス2つにワインを注いだ。

乾杯してふたりで飲んだ。「どう?朝からお酒飲むのは」と訊かれたので、「おいしい」と答えた。

そして「あっ、もう先生が来ちゃうよ!先生早起きだから!さっさと帰ろう」とあわてて片付けと帰り支度をし、大晦日の朝、霧のような軽やかな雨が降っている中、私たちはやや薄暗い朝を迎え、8時前には帰路についたのだった。みんなでわあわあ騒いで帰り、明るい部屋の中でカーテンをぴしゃっと閉めて昼過ぎまで眠った。

はじめて4人でお酒を飲んだのはいつだったのだろうか。分からないけど、夏やすみごろじゃなかったかしら。

研究室でトランプをやりながら、缶チューハイ1本ずつ(なんてかわいいこと!)で私たちは談笑したのだ。そのときに、私とうっかりやさんの彼女がしたことのなかった、ブラックジャックという遊びを、男の子たちに教えてもらった。彼女が買ってきてくれた個包装のチョコレート1袋分ずつをかけ金にして、ブラックジャックを練習した。

だから私たち4人のLINEグループの名は「ブラック・ジャック」なのだ。

気の置けない友人たちと朝まで飲むというのは実に大学生らしく、私はこれなら徹夜も悪くないなと思った。案の定、お正月には頭が割れそうな頭痛に悩まされ、それを大学で話すとみんな大笑いしていたけど、それでいいと思った。

つめたい太陽と、あたたかい月に

年末から年始にかけて、眠る前に村上春樹の『1973年のピンボール』をちまちま読んでいた。村上春樹の小説が私はわりと好きだし、初期3部作の中でこれだけ読んでいなかったから、卒論の休憩がてら読むことにしていたのだ。

読んでいるとふと、『1973年のピンボール』の前作である『風の歌を聴け』を読みたくなったので、すぐに本棚から取り出してぱらぱらと読み返した。

『風の歌を聴け』の中でもかなりお気に入りのシーンがある。それはヒロインの女の子が、「夜ごはん食べに来ない?」と主人公を誘うシーンだ。

ビーフシチューを作りすぎちゃったから食べに来ないかという誘い方もいいし、そもそも夏にビーフシチューを作っているのがいいし、「早く来ないと全部捨てちゃうわよ」というようなことを言って、女の子があっさり電話を切るのもいい。ともかくこの部分が好きなのだ。

そしてその後の場面で、主人公は女の子の家に行って食事をする。

「冷たいワインと暖かい心。」
乾杯する時、彼女はそう言った。
「何んだい、それは?」
「テレビのコマーシャルよ。冷たいワインと暖かい心。見たことないの?」
「ないね。」

村上春樹『風の歌を聴け』(講談社文庫88ページ)

ここで女の子の言う、「冷たいワインと暖かい心。」という台詞が私はすごく好き。初めてこの小説を読んだときにもここを好きだと思った覚えがあるし、ふたたび読んでもやはり同じところに心惹かれた。

この乾杯の仕方をやってみたくて仕方がなくなった私は、またしても4人で研究室で遅くまで飲んでいるときにふとそれを思い出した。ちょうど、カッターシャツの彼が、何杯目かのワインをグラスに注いでいるときだった。

「あっ!」と大きな声で言ってその話をすると、村上春樹で卒論を書いた眼鏡の彼は大喜びで『風の歌を聴け』の文庫本を取りに行き、その場面を探し始めた。

そして「冷たいワインと暖かい心って、うーん、なんかなあ」と言い出したカッターシャツの彼。その後どうしてそんなことになったのか、曖昧で覚えていないけれど、私たちは私たちで、その言葉をもじって乾杯の言葉をつくればいいじゃないか、という空気になった。

気づいたときには、「つめたい太陽と、あたたかい月に」という文句が完成していた。みんなで話しながらいつの間にかできた言葉で、私はそれがすごく気に入ってしまい、うっかりやさんの彼女と手をたたいてはしゃいだ。

よく考えたらいまいち意味が分からない気もするけど、熱く輝く太陽がつめたくて、錆びて寒そうに見える月があたたかい、というところがミソなのだ。私は正反対のものの組み合わせがだいすき。そして太陽と月を無条件に愛しているので、この文言を好きなのは当然のことだった。

「つめたい太陽と、あたたかい月に」と言いながら、私たちは乾杯し、お酒を飲んだ。「これから4人で飲むときは、これで乾杯できるね」とうっかりやさんの彼女が言い(たぶん彼女だった)、「私たちにしか分からない言葉があるって、なんかいいね」と私は返した。

何年経っても、その言葉さえあれば、私たちは乾杯をすることができる。

どっち?

遅くまで4人で飲んでいたまた別の夜、私は手帳をひらいて、その日の日記を書いていた。周囲で3人が私の手元をじいっと見つめていたので、「いま、みんなが私のことを見ています」と書くと、みんながくすっと笑った。

2024年の手帳には、大学の友人の誕生日もきちっと書いてある。そして、私は友人から、友人の誕生日のページに私への一言を書いてもらうということを試みていた。そうしたら手帳を使うときに相手の誕生日を思い出して連絡できるし、相手からのメッセージまでもらえるのだから、一石二鳥なのだ。

おひさまのような笑顔の女の子や、ワニの筆箱の男の子は、ずいぶん前に、頼んだその場でささっと一言を書いてくれていた。

しかし、いつも一緒にいる3人はいまだ私の手帳に私への言葉を書いてくれていない。それは彼らが大学の友人の中でもとりわけ特別な友人であることを裏付けているようで、私はるんるんとしていた。

そしてその夜は私の手帳の話から、同じゼミの他の子たちの誕生日の話になった。このひとは誕生日いつなんだろうねえとか、そういう他愛もない話だ。

そして私の大好きな、ギンガムチェックのトートバックの女の子と、カッターシャツの彼のお誕生日が同じ日だということが判明した。

カッターシャツの彼は、それを知るとしばらく驚愕の意を露にしていたけれども、しばらくすると私に「それじゃ、青葉さんは〈ギンガムチェックのトートバックの彼女〉さんにメッセージを書いてもらうか、僕に書いてほしいか、どっちか決めないといけないね」と言い始めた。

私は「え?どっちにも書いてもらうもん」と言ったけれど、彼は「そんなことはいけません。どっちかひとりだけです」と強く主張し、私の言うことをちっとも聞かない。「彼女か僕か、ひとりだけだったら、どっちに書いてほしい」と迫るのだ。

「えー、そんなの…」と言いかけて、私は口ごもった。

チェックのトートバッグを持ったすてきな彼女のことはだいすきだから、メッセージが欲しくないといえば嘘になる。しかし、どちらか1人しか選べないのだとしたら、カッターシャツの彼に書いてほしいに決まっているのだ。

ただ、うっかりそんなことを言ってしまったら、彼を私より優位に立たせることになる。それはなんだか悔しい。

そして不思議なことに「カッターシャツの彼に書いてほしい」と正直に言うのも恥ずかしかった。しかもカッターシャツの彼はちょっと意地悪なところがあるので、本当は分かっているのに、わざととぼけて私の反応を見て「しめしめ」と思っている可能性もあった。

そういうわけで「いやあ」とか「言わなくても分かるでしょ」とかもごもご誤魔化していると、彼はにやりと満面の笑みを浮かべたり、急に改まって背筋を伸ばしたりしながら「ええ~?」とか、「いや、分かりません。言ってもらわないと」とか言って私を翻弄した。

本当は分かっているくせに!と思うと耐えられなくなり、「トイレに行ってきます」と言ってその場を逃げ出した。でも彼は「僕もトイレへ行こうかな」と言って私についてきた。

彼と私は、お酒を飲んでいるときによく同じタイミングでトイレへ行くのだけれども、もちろん男の子と女の子とでは、女の子の方がトイレから出てくるのが遅くなる。

しかし彼は私が出てくるまで、廊下の少し離れたところに置かれている椅子に座って私を待っている。いつも待っているのだ。

「待ってたの?」と声をかけると、「うん。待っていた方が、いいかと思って。置いて帰った方が、よかったですか」と彼は答える。私はその時間がだいすきなのだ。なんというか、すごく好きなの。

もちろんその日も例外ではなく、彼はやはり椅子に座って私を待っていた。

いつもはそれがうれしくて「また待ってる!ふふん」と言いながら彼に走り寄るのだけれど、その日はがっくりとうなだれてしまった。もう逃げられないと悟り、彼と並んでぎゃあぎゃあ騒ぎながら研究室への廊下をぐんぐんと歩いた。

「それで、結局、どっちに書いてほしいの」と彼は笑っていた。私は「ほんとは分かってるくせに!え?分からないの?」と彼を精一杯睨みつけた。彼は「いやいや。分かりません。分からないから、聞いてるんです」とすっとぼけた顔をする。なんだこのやりとりは。まるで駆け引きではないか。

彼は私との関係に名前をつけることをよしとしない。

彼が前にくれた短い手紙には、私たちの関係性について、「どこが限度かもわからない友だち以上であって、何か未満とも言えないような、そんな特別な関係」と書かれていた。

きっとそれは、わりと適格な表現なのではないか。私がそう信じたいだけなのだろうか。私が自分の言葉をあきらめているだけで、もっとよい表現が他にあるのだろうか。

そんなことを考えて私は腹を決め、「あなたですよ。あなたに決まってるでしょう」と返答した。

私の返事を聞き、彼は「ええ~?そうなの~?」とにこにこ笑った。意地悪な笑顔ではなくてうれしそうな笑顔だったのですこし安心したけれど、それでも表面上は彼をじいっと睨み続けた。そうしなくては、しようがないと思ったのだ。顔から火が出るかと思うほど恥ずかしかったのだから。

彼は「それはうれしいですねえ」と言い、「それじゃあ、仕方がないから、書いてあげましょうね」と上から目線に威張って眉を動かした。

もしかしたら彼の方も、案外照れくさいのかもしれない。

そう思うと急に緊張がほどけて、「うれしいの?卒業までには書いてくれる?手紙とは別だよ」とにやにやしながら彼の隣を歩いた。

私とカッターシャツの彼はそういう関係なのだ。

貧乏塩ラーメン

卒論執筆の数カ月前から、カッターシャツの彼が「卒論締切間際に、みんなで必ずやろう」と主張していたあるイベントがあった。

それはスタジオジブリで映画製作が佳境に入ったときに、宮崎駿監督が作ってスタッフに振る舞っていたという「貧乏塩ラーメンオーロラ風」を研究室で作って食べるというもの。彼は宮崎駿監督のドキュメンタリーを見ていて以来、それをやりたくて仕方なかったのだという。

幸いなことに研究室にはカセットコンロがあり、うっかりやさんの彼女が買ってきてくれたカセットボンベも常備してある。料理担当としては眼鏡の彼がいる。その気になればいつでもできるはずだった。

しかし、私たちは卒論を提出締切の1週間前には完成させてしまっており、最後の数日間はノイローゼになりそうなほどに本文の添削や注の確認に費やしていた。

そう考えると、実質、私たちが卒論執筆に最も追われていたのは、年末から年始にかけての時期だったろう。私たちは最も忙しく、しかし適切なはずのときには、ラーメンを作って食べることに全く意識をやっていなかったので、気づいたときには既に卒論執筆の佳境は越えてしまっていたのだ。

書き終わってしまってから、遅くまで研究室に残っているときに、ふと「お腹すいてない?」という話になり、そういえばラーメンを作って食べていなかったから、今からやろうという雰囲気になった。

それでみんなすぐに乗り気になったので、いそいそとコートを着込み、近くのスーパーマーケットに4人で買いものに出かけた。時刻は夜の11時を回っていたんじゃないだろうか。

みんなで袋ラーメンと水、もやしを3袋買って研究室へ戻り、置いてある鍋を火にかけて、水が沸騰するのを待った。うっかりやさんの彼女がお正月に実家へ帰省したときにお母さんに持たされたというハムやウインナーが研究室の冷蔵庫に入っていたので、それも鍋の中に入れることに決めた。

眼鏡の彼はささっと具材を切り(研究室にはひととおり調理器具がそろっているのだ)、うっかりやさんの彼女は、彼が使った道具を冷たい水道の水で洗った。私とカッターシャツの彼は、袋麺の袋を開けて中から味付けをする粉の袋を取り出し、それを破って粉をお皿に全部出した。宮崎駿監督のやりかたを忠実に再現するためだ。

そしてお湯が沸騰したら鍋に麺と具材、分けておいた粉を投入して完成。出来上がったラーメンは、スタジオジブリのやりかたを真似て、それぞれのマグカップに取り分けながら食べることにした。余っていた大量のゼミ発表資料を敷き、そこに鍋を下ろして、みんなでラーメンを食べた。

私はあんなにおいしい塩ラーメンを食べたことはない。ウインナ―やハムは信じられないほどおいしかったし、もやしや麺の硬さも完ぺきだった。本当においしくてみんなで夢中になって食べていると、鍋の中身はあっという間になくなった。

でもたぶん私にとっては、他の誰でもない彼らと4人でラーメンを食べていることにこそ意味があったのだ。これからもあの夜のラーメンの思い出は、私の中でほかほかとあたたかな意味を持って輝き続けることだろう。


ごめんねとありがとう

卒論を提出した翌日、ゼミのみんなと教授との打ち上げ会があった。その日はひどく雪が降っていて、ゼミの全員はそろわなかったけど、半数以上が集まって、大学の目の前のお店で話をしながらごはんを食べた。

私はみんなとの飲み会があると気分が愉快になってしまうたちらしく、かなり早いペースでお酒を飲んでしまう。少人数で飲むときは話をしながらゆっくりお酒を飲むから、吐いたり記憶を飛ばしたりすることはないのだけども、大人数になるとなぜだかいつもそういうことになる。

この日も私はすっかり楽しくなって、いろんなお酒を飲んだ。

みんなでの食事を終えて解散したあと、研究室で2次会をするために近くのスーパーマーケットにお酒とおつまみを買いに行った。雪が積もっていたので、ワニの筆箱の彼と、ギンガムチェックのトートバックの彼女と腕を組んでご機嫌に雪道を歩いた。

その後買いものをして、研究室に戻ってからしばらくのことは覚えている。

しかし途中から記憶が曖昧になっていて、気づいたときには私は人気のない研究室の床に横たわっていた。何がどうなったのか全く覚えていなかったけど、目覚めた瞬間に「ああ、またか…」と思った。前にも1度経験があったので、意識が戻った瞬間に絶望した。周りに迷惑をかけたことは明白だった。

実際に迷惑をかけたのは事実らしく、ちょっと、ここに書くのも憚られてしまうな…と言いつつも、書かないでいるのもどうかと思うのでちゃんと書こう。私はお酒を飲みすぎたせいで気分が悪くなって戻してしまったのだ。恥ずかしいことだ。もう大人なのに。

目覚めたら、私の傍には眼鏡の彼がいた。

他には誰もいなくて、みんながとっくに帰ってしまっていることが分かった。しかし彼はいやな顔ひとつせず私の世話をして、私が目を覚ますまでの間ずっと待ってくれていたのだ。自分もお酒を飲んでいてしんどいだろうに、早く帰って眠りたいだろうに。

***

眼鏡の彼は私にとてもやさしい。前に言ったことがある。

「〈眼鏡の彼〉くん、私にやさしいよね」と。自分で言うのもなんだけど、私はわりと率直に思ったことを口にする方だし、そのおかげで何を言い出すか分からないひとだとみんなに思われていると思う。

それはつまり、私が何を言っても、「また青葉さんがなんか言ってる」という程度に受けとめてくれるということだ。それは想像以上に楽ちんなことでもある。

私の言葉に対して、彼はちょっと照れたように笑いながら、「うーん。まあ、そうかもね。青葉さんにはやさしいかもしれんね」と言った。

私は大人に近づくにつれて、相手とのこころの距離をきゅうっと詰めたり、相手の本心を引き出すやり方で言葉を放ったりするのが本当にうまくなったと自分で思う。私の言うことに彼は耳を傾ける。彼は私に対して変に意地を張ったりしないし、戯れ以上の目的のために、何かを強く言い返してきたりはしないのだ。私はそれを分かっている。

それは私と眼鏡の彼が時間をかけて関係性を紡いできたからでもある。

眼鏡の彼にはどこか少し卑屈なところがある。たとえば私が「昨日の帰りに、〈うっかりやさんの彼女〉ちゃんと、あなたたちの話をしたんだけどね…」などと声をかけると、彼は「私の話なんてしなくてもいいのに」と必ず言うのだ。

それは彼が自分をすこし卑下しているからなのだろう、と私は勝手に思っている。彼のすることや言うことにはいつも、ほんの少し、自己に対する否定的な感情が見え隠れするからだ。

けれど私はずるいので、そういうことを言われると、「またそんなこと言って!でも、まあよかろう。だってあなたがそう思うのが自由なように、あなたも私たちがあなたの話をすることには干渉できないんだからね」と言ってにっこり笑うようにしている。

それは彼に「なんでそんなこと言うのよ!」などと反論すると、彼が余計に意固地になってしまい、口論になりかねないからだ。眼鏡の彼は、うっかりやさんの彼女にはあれこれストレートに言いやすいらしく、実際にしょっちゅうそういうことで彼女と言い合いをしている。

私はそれをしょっちゅう見ているので、彼女とはちがうやり方で彼にアプローチするように心がけている。

彼は私の言葉を聞くと、「まあ…確かにそれはそうだ」と言ってふにゃっと笑う。私は彼がそれ以上自分のことを否定できないよう、先に手を打ってしまうことにしているのだ。すこしずるいなと思いはするけど。

だって自分自身をちょびっと否定することが彼のアイデンティティだったりするのかもしれないなあと、私はどこかでぼんやり分かっているのだから。

***

でも彼は本当にやさしいひとだ。私にだけじゃない。

彼のその性質を、しっかりしているね、とか、真面目だね、という一言で簡単に言ってしまうのはよくない。彼は今までたくさん努力してきて、周囲にそういう言葉をかけられ続けてきたに違いないから、私からはそんな言葉をかけたくないのだ。ただ、「あなたは本当にやさしいね、やさしくてすてきなひとだね」と私は言いたい。

いささかやさしすぎるよ、と思う。酔っぱらいが目覚めるまで研究室に残っているなんて。

研究室の床に寝ころがったまま、私は彼にこんなにやさしくできているだろうか、と考えた。できていない気がする。こんなに献身的に、家族でも恋人でもない誰かの世話をしたことがあっただろうか。ない気がする。

そんなふうに思っていると、感謝と申し訳なさが同時にせりあがってきて、私は「ごめん」と「ありがとう」を交互に言い続けた。そこだけははっきり覚えている。私が「ごめん」と言うたび、眼鏡の彼は「ごめんじゃないでしょ」と私の鼻をつねるのだ。「ありがとう」とうめきながらいうと、満足げに笑って「それでよし」と鼻をつねるのをやめてくれるのだ。

そのあと眼鏡の彼に聞くと、カッターシャツの彼は恋人がいるので早めに先に帰ったという。うっかりやさんの彼女は、一旦家に帰ってもう1度研究室へ来ると言い残して徒歩でアパートへ戻ったらしい。

それを聞いて私は「はやく帰らなくては、うっかりやさんの彼女に寒い雪道を往復で歩かせることになってしまう」と思い、眼鏡の彼に必死で「もう帰るからそのまま家にいなよって、彼女に連絡して」と懇願した。そういうとこばっかり頭がまわるのだ。自分の飲酒量もコントロールできないくせに。

そして気分の悪さがましになってから起き上がると、彼は私を家の前まで送り届けてくれた。雪がふかふかに降り積もり、さらに空からはまだ雪がふわふわと舞っていた。彼は私の上に雪が落ちないように、そっと傘をさしてくれた。

「ありがとう。本当にありがとう」と私が言うと、彼は村上春樹の小説の主人公のように「これくらい、いつでも喜んで」と言った。

翌日、眼鏡の彼に多大な迷惑をかけたどころか、彼以外のみんなにもかなり迷惑をかけたということが判明したので、私はもうすこし自分のわくわくを抑えてお酒をちびちび飲むことを練習しなくてはならない。

そして彼にこの感謝を返したい。どういう形にして返したら足りるのか、ちっとも分からないけど。お金とか物とかじゃなくって、真心を真心で返したい。その方法をいま、探している。

夜のゆきあそび

私たちの住んでいる地域には、この前かなりの雪が積もった。

あたりが一面雪景色になり、空には灰色の雲が垂れこめていて、雪がちらほら降ったり、風がびゅうびゅう吹いたりしていた。大学構内のあちこちに雪だるまがつくられていて、ちょっとかわいかった。

そんなある夜(今考え直したら、ある夜と言いつつもゼミの打ち上げの翌日かもしれない)、みんなどうしてかまた日が暮れてからも研究室に残っていたので、うっかりやさんの彼女以外の3人で置いてあった日本酒をあたためて1杯だけ飲んだ。

(なんで私たちはこうお酒ばかり飲んでいるんだ?しかも私は前日に迷惑をかけたばかりなのに。とんでもないな)

その後、8時過ぎにみんなで帰ろうとなって外へ出ると、あたりは雪だらけだった。カッターシャツの彼がそれとなく荷物を置き、雪を構い始めたのを機に、みんな建物の屋根の下に荷物を放り出して雪の中に踊り出た。

各々が地面に積もっている雪をぎゅっと固めて雪玉をつくり、それを投げ合った。雪合戦だ。私が投げた雪玉が眼鏡の彼の顔に直撃し(なんてひどい)、流石にぎょっとして「うわあ!?ごめんよ!」と言うと、彼は「ぜーんぜん。いいよいいよ」と言いながら私の頭にどっさり雪をかけて報復を行った。

うっかりやさんの彼女は、驚くほどに雪玉を避けるのがうまかった。そういえば夏にみんなでドッジボールをしたときも、彼女は軽やかにボールを避けていた気がする。彼女の手足はしなやかで長く、やわらかく動くから、すごくきれいに見える。

カッターシャツの彼の投げる雪玉は異常にコントロールがよく、毎度私の身体のどこかに当たった。それがものすごく痛いのだ。私のジーンズはびしょぬれになった。私が当てられて悲鳴を上げるたび、彼は心底おかしそうに笑った。

気づくと眼鏡の彼が雪だるまをつくりはじめて、あっというまにふかふかの大きな雪玉が完成した。「私たち4人だから、4段にして」とお願いすると、眼鏡の彼は快く上に雪玉を積み重ね、4段の巨大な雪だるまをつくってくれた。

それを見てみんなにこにこしていた。大学生というものが、こんなに無邪気なものだと私は知らなかった。いつの間にかまた雪が降り始めていて、私たちは「寒い~!冷たい~!」と言いながらきゃっきゃと騒いでたくさんの写真を撮った。

うっかりやさんの彼女が「これで雪の思い出もできたね。夏は花火もしたし、うれしいね」と、雪の降る中でまぶしい笑顔を見せていて、胸がきゅうっとなった。

そして雪の降りしきる中を、鼻水をずびずびいわせながら歩いて帰った。

レターセットをさがして

私たちは卒業時に互いに手紙を書くことを固く約束し合っているので、そろそろレターセットを揃えなくてはならない。

文学を専攻しているような集団だから、みんな、文章を書くことに対して自分なりの美学やこだわりがある。それに伴い、レターセットというのはいつも以上に重要なものになる。どんな便箋に書くのか。封筒はどうするのか。紙の形や色、大きさ、質感はどんなものがしっくりくるか。何を使って封をするのか。そもそも横書きなのか、縦書きなのか。

手紙というのは長ければいいというものではないだろうけど、きっと長くなってしまうだろう。私は彼ら彼女らが心底好きなのだ。それをたっぷりと表現する絶好の機会を、どうしてみすみす逃すことがあるだろうか。

眼鏡の彼が実家に帰省していて、さらにカッターシャツの彼が研究室へ来ないかもしれないと宣言していた先日、お昼ごろに大学へ行くと、そこにはうっかりやさんの彼女の姿しかなかった。

私は彼女におはようと挨拶をしたあとで、「ねえ、せっかくふたりきりだから、午後から便箋と封筒を買いにいこうよ」と声をかけた。

彼女とは、いつもの、ふたりきりの帰り道でよくお手紙の話をしていたので、もし手紙に関係するものを買いに行くならば彼女とがいいなあと思っていたのだ。

女の子ふたりでレターセットを買いに行くなんて、素敵ではないか。

男子たちがふたりともいない日なんてそうないし、私と彼女が出かけると言い出したら、彼らも「行こうかな」などと言ってひょいとついてきそうなので、その日以外によい日はなかった。

彼女はすぐに「えっ!いいの?ヤッタ!行こう!」と目をきらきらさせながら返事をしてくれた。

彼女は何を提案しても基本的には快諾する。だから今までに彼女と友人になってきたひと、あるいはこれから友人になるひとは、それにすごく救われると私は思う。もちろん、彼女が私をとても好きでいてくれるからこそ肯定的な返事をしてくれるということは分かっている。

それでもやはり、何かをやろうと声をかけたときに「いいね!やろう!」と言ってくれる存在は、誘う方をご機嫌な気分にさせると思う。

そのあとふたりでお昼を買いに行き、それを食べながらあれこれ話をした。彼女とふたりのお昼は久しぶりで、さびしいけど楽しかった。

***

どうしても書いておきたいので書いておくけど、4年目の付き合いになった彼女が本当の意味で私に対してこころを開いてくれたのは、昨年の秋ごろだったという。彼女は「青葉ちゃん、傷つかないでね」と心底申し訳なさそうに断ってから、そのことを打ち明けてくれた。

彼女は私が彼女を非常に好きだと思っていること、なんのてらいもなくそれを表現することを、秋ごろになってようやく素直に受け取ることができるようになったのだと言っていた。彼女の中で、誰かが自分を好きでいるということを頭で理解することと、受け入れることとはすこしちがうという。

そして出会って数年経ってやっと、彼女が私を好きでいるのと同じように私が彼女を好きだということを、すっと受け入れることができるようになったのだという。

その話を聞いても、私は少しも傷つかなかった。むしろ「ほほう、やはりそうだったか」と納得したくらいだった。

彼女は秋ごろから、私に対して以前よりも率直にものを言うようになった。今まで緊張感があったというわけではないけど、より気楽に言葉を放つようになったのだ。まるで幼いころから一緒にいる姉妹や幼馴染のように。紙風船で遊ぶように、ぽんぽんと。しかしそこに配慮が欠けることもない。

しかし何よりも分かりやすいのは、彼女から私に対する、身体的な接触が増えたということ。

たとえば、今まではふたりで同じ傘に入るときとか、寒くて相手の手が冷えているのを確かめるときとかに、私が彼女に身体をくっつけたり、指先で触れたりしても、彼女はその都度身体をこわばらせたり、びくっと震えたりしていた。

しかし秋以降、彼女は軽い身体の接触をすんなり受け入れるようになった。ふとした瞬間に肩や指先が触れる。そういうときにも彼女の身体は縮こまらず、のびのびとした状態でいてくれるようになったのだ。

何よりも「おや?」と思ったのは、彼女が少しずれてしまった左耳のピアスをもう1度開け直すとき、「青葉ちゃん、針の位置を見てくれない?」と私に頼んできたときだった。

彼女は私が彼女の耳に触れることを許してくれたのだ。

今まではそんなことなかったので、私の方がすこし怖気づいてしまったほどだった。私がやった方が位置がずれなくてよかったのだろうけれど、ピアッサーで穴を開けるのは彼女自身にやってもらった。

でも、もし私が「〈うっかりやさんの彼女〉ちゃん、私がピアス開けてあげようか」と言ったら、彼女は「えっ、いいの?お願いします」とあっさり頷いて、身を任せてくれていたのではないだろうか。

ピアスは研究室でふたりきりのときに、鏡を見ながら開けた。

なんだか妙な気分だった。これはそりゃあ、どきどきするイベントだよと思った。男の子と女の子との間によくあるではないか。あのひとに開けてもらったピアス。あの子といたときに開けたピアス。みたいなの。

でもこれは女の子同士でも危ういかもなあ、と私はひそかに思った。だって誰かが身体に穴を開けるなんていう特殊なイベントに、私だけが同席しているのだから。

流石にこのことは彼女には伝えていないけど、言ったとしても彼女は「ふうん、そうなの?」と言って聞いてくれるだろうな。分からなかったら素直に「ごめん、私にはその感覚分からないや」と言ってくれるだろうし。そういうことを互いに言い合えるようになったのだ、私たちは。

***

そういうわけで、その日は午後から近くの雑貨屋さんや書店まで歩いていき、文房具コーナーを見たけど、あまりしっくりくるものがなかった。

ネットで調べてみたら、歩いて1時間半ほどの距離、車で行けば20分くらいの場所に、少し大きな文房具屋さんがあることが分かった。

最初は遠いからやめておこうと話していたけど、せっかく彼女とふたりで出かけているのだし、しかも選ぶものが便箋と封筒という大切なものだから妥協はしたくないと思って、「ねえ、私運転するから、一緒に行ってみよう」と、うっかりやさんの彼女を誘った。

そしてふたりでわあわあ騒ぎながら文房具屋さんへたどりつき、一所懸命になって便箋と封筒を選んだ。やはりたくさん種類があったので、どれにするかものすごく悩んだ。私たちはふたりとも優柔不断で、何かを決めるのに時間がかかるのだ。

そのためにレターセットを決めるだけで午後の時間をほとんど使ってしまった。文房具屋さんには、ほかにもシールや、ファイルや、栞や、メモ帳といったたくさんの素敵なものが並んでいた。私は昔から文房具がだいすきなので、ぐるぐると店内を何周もした。

そしてふたりでマスキングテープを眺めながら、「これは一角獣だから、眼鏡の彼にあげよう」(卒論の小説のなかに一角獣が出てくるからね)、「あっ、恐竜のやつもあるよ。これはカッターシャツの彼にあげよう」(恐竜が好きだからね)とか言ってくすくすと笑った。

その時間が本当に楽しくて仕方がなかった。

封筒や便箋やシールといったものとともにマスキングテープを買い、お店を出ると、また私が運転席で運転し、彼女は助手席で大学までの案内人を務めた。時間は夕方にさしかかっていたけれど、晴れている空はまだ薄く青く、雲がすごくふんわりとしていて、淡くてやさしい雰囲気だった。「空がきれいだね」と彼女が言った。「本当にきれいだね」と私は言った。

男の子たちには内緒で、彼女とふたりきりでレターセットを買いに行ったことを、いつまでも覚えていたいなあと思った。


最後に

ここまで長く書いてきたけど、読んでくださってありがとう。

私たちの大学生活最後の日々は終わりつつあります。もしかしたら、いつかこの日々は記憶のなかでゆっくりと色褪せてしまい、そのことをさびしいとも思わなくなるのかもしれない。

卒業してからもみんなと友人でいて、手紙を送り合ったり、ときどきは会って話をしたりしたいけれど、もしかしたらそれも叶わずに疎遠になっていってしまうのかもしれない。

でも、そうなったとしていいのだ。

なぜなら、たとえ失われても、忘れて行っても、私たちの日々がたしかにここにあったことは決して変わらないからだ。この1年の鮮やかで目まぐるしい思い出が、なにもかも全部夢の中の出来事みたいだと思える日がきてしまっても、私たちはたしかにここで学び、心を通わせ、笑いあったのだ。

こんなにも大事に思える友人たちと出会えたことが、私にとっては何よりも愛おしい。そして彼らがきっと同じように思っていることを、私は知っている。私がそう思っていることを、彼らも知っている。

そんなことを想いながら、私はそろそろ彼らへの手紙を書き始めなくてはならない。だからもうすこしだけ待っててよ、春。あわてずにゆっくりとこちらへおいで。そしてそのときが来たら、私の思い出全部をやわらかなフィルターにかけて。私たちのこの日々がいつまでもきらきらと輝き続けるように。


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