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綿菓子と雨傘の夜

そういえば10月、恋人が地元に帰ってきていたのだった。

滞在期間1週間の間で私は彼の実家へ泊まりに行き、そして彼も私の実家に泊まりに来た。彼がやってきたのは、東京へ戻る1日前の夕方だった。

晩はみんなでごはんを食べながらお酒を飲んだ。食事を終えて、酔っぱらってお部屋に引き上げたあと、お布団の上でごろんと横になっている彼に、私はひとりで開けた缶チューハイを飲みながら、あれやこれや話しかけた。

彼はその日、子どもが食べるような、かわいらしく個包装されている綿菓子をふたつ持ってきていて、急に起き上がって綿菓子の袋を開けると、「食べる?」と言って、頷いた私に綿菓子を少しずつちぎってくれた。お酒を飲みながら食べるとより甘いんだよ、と彼は言った。

彼が私の口に次々と放り込んでくれる綿菓子は、舌の上に乗るやいなや、あっという間に溶けて小さくなっていった。すぐに溶けてしまうのに、同時になにかかたいような、溶けてぎゅっとつぶされた綿菓子の独特の触感が口の中に残っていて、綿菓子というのは不思議な食べものだとつくづく思った。甘ったるい、ふわふわした食べもの。

そのあと彼とキスをしたら、ほんのり綿菓子の甘い味がした。

缶チューハイを飲み終わってから、私は前日に本屋さんで手に入れていた、川端康成の「掌の小説」という短編小説を彼に読み聞かせることにした。

短編は122もあって、毎日ひとつずつ読んでも4カ月楽しめる。せっかくなら、恋人がいる夜に読み始めるのがいいと思ったのだ。「これ、短いからひとつだけ読んでもいい?」というと、彼が「いいよ、読んで」とご機嫌な声で言ったので、私は彼の隣に行き、いそいそとお布団に入ってぱらぱらと目次をめくり、最初にどれを読もうか思案した。

収録されているお話の数が少ない短編小説ならば、最初から順に読んだだろうけど、122もあるならその日の気分で好きなものを読んだ方がいいと私は思った。

そして「雨傘」というのを読むことに決めた。

それは少年と少女が、春の雨の日に写真屋さんに写真を撮りにいくお話だった。少年が引っ越してしまうので、一生の思い出にふたりで写真を撮るのだ。写真屋さんに入る前と、そこから出た後で、彼らの関係性はすこしだけ変化する。淡くて初々しくて、あたたかい感じの小説だった。

川端の書く小説のおそろしさについて、同期に常日頃聞いているけど、そういう雰囲気は全くなかったから、かえって拍子抜けするほどだった。

私は隣の布団に入って静かに耳を澄ませている彼の息遣いを感じながら、まるでこどもに読み聞かせるように、ゆっくりと文章を読んだ。3ページしかない短い物語は、酔っぱらって読むのにちょうどよい長さだった。

恋人と読むのにふさわしい短編だったと思いながら、彼に「どうだった?」とたずねたら、「なんだかよかったよ、すごく」と彼が言ったので、私はうれしくなった。

「初々しかったね」と言ったら「うん、かわいらしかった」と返ってきて、「私たちはもう、こんなには初々しくないね」と笑うと、彼は「そうかもしれない。でもいいんだよ」というようなことを言って、酔っぱらった顔でにこにこ笑っていた。

それもそうかと思いながら私は本を閉じ、そのあとふたりで洗面台の鏡の前で並んで歯を磨いて、25センチも違う身長差をからかいあったり、たたえあったりした。そして部屋へ戻って明かりを消して、恋人の腕に抱かれながら眠った。

彼は翌日東京へ戻った。次に彼と会うのは12月の終わりだ。

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