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医師という生き方

 医学に関わることをしたいと初めて思ったのは小学生の頃で、それは自身の深刻な不調を助けてくれた医学への感謝と興味からでした。

 虚弱児童だった私は幼少期から度々体調を崩し、気管支喘息に苦しみ、鼻血を出せば2時間は止まらず耳鼻咽喉科に通い電気メスで鼻腔を焼いたことは一度や二度ではありませんでした。中耳炎や内耳炎も繰り返し、遂には突発性難聴も患い、聴力は完全には回復しませんでした。さらには運動神経が鈍いためによく怪我をしては親に心配をかけました。慢性的な腰痛が悪化し動けなくなった際に、腰椎すべり症の診断を受けて日常生活に制限が加わりました。

 小学校は私にとって行けたり行けなかったりする場所でした。楽しみにしていた遠足を、体調不良で行けなかったときにはそれはそれは悲しくて、後日体調の良いときに両親に連れていってもらった公園は、楽しさと疎外感の混ざった複雑な場所だったことを覚えています。

 痛みや息苦しさは非常に強い苦痛です。苦しんでいるとき、人は「なんでもいいからどうにかしてほしい」と感じます。それを「どうにかしてくれた」のが、医学でした。

 転機は小学5年生の頃でした。私の度重なる不調に悩んだ両親が行き着いた先は、クチコミで評判のよい漢方薬局でした。訪れた薬局は小さく佇んでいて、色褪せた看板には歴史を感じました。

 「これは、つらかったね。」

 黒髪をボブカットにして赤過ぎる口紅をしっかり塗った妙齢の薬剤師は、私をみて脈をとるなりそう言いました。母が大体の話を事前にしていたようで、幾つか質問に応えると「わかったよ」といって薬局の奥に入っていきました。

「飲んでみて。」

といって繰り出された茶色の液体は、仄かにシナモンと生姜の香りを感じる、不思議な甘い薬でした。「おいしい」と応えると先生はニヤッと笑って「やっぱりね」と言いました。身体に合う漢方薬はマズくないんだよ、と教えてくれました。

 それぞれの疾患はそれぞれの専門科が「治療」してくれました。そのことには深く感謝しています。しかし、根本たる体質を治療してくれたところは、それまでひとつもありませんでした。体質を良くしなきゃだめだ、といって先生は何度か薬を変えながら、私を「治療」してくれました。

 それから私の人生は激変します。小学生風情が人生とは大袈裟な、と思われるかもしれませんが、とにかく大きな変化でした。

 風邪をひきにくくなりました。喘息の発作も起きなくなりました。鼻血が出なくなりました。便秘が治って、腰痛も治りました。食欲も出てきて、土気色の皮膚と痩せこけた身体も、少しずつ回復していきました。

 すると、学校に通えます。
 休むことが激減します。友だちができます。

 こんなことが本当に起きるのか!と小学生ながらに感動したことを憶えています。医学の道への感謝と興味は、実体験から生まれました。

 決定的だったのは母の交通事故で、これを契機に私は医師を目指しました。

 さて、医師として働いていると、病気を抱えておられる方が思いのほか多いことに驚きます。
 医学はまだまだ発展途上にあり、治せる病気はとても少なく、「不治の病」が圧倒的に多いというのが実情です。

 しかし、それを「諦めて」はいけない。

 これが私の戦場です。貴方の苦しみは、私の苦しみです。つらそうな患者さんを目の前にすると、かつての自分がフラッシュバックするのです。その苦痛を、見捨てることはできません。

 医学は発展途上です。西洋医学は不完全で、東洋医学も不完全です。これを融合し、さらに発展させていく。それが私のライフワークです。


 独白に近い拙文に最後までお付き合い頂き、ありがとうごさいました。願わくは貴方の健康と、またいつかどこかでお会いできることを。


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