しょうもないことで自分を責めない

コーヒーでも飲もうかな〜と思い、開封したばかりのコーヒーの粉をカップに必要量入れようとしましたら、手が滑ってガーッと大量に流しにこぼしてしまいました。粉の散らばり具合が何ともセンセーショナル。

こういう時、皆さんの脳内はどうなりますでしょうか?

「は?馬鹿じゃないの私なにやってんの?死んでしまえ」まではいかないかも知れませんが私はそれに近いようなセリフがよぎりかかりました。

かかったっていうのは、途中で意識的にストップをかけたので、全部は呟かなかったはずということです。「死…」くらいで止められたと思う。そして代わりに声に出してこう言ってみました。

「まあ、こういうこともあるよね〜。ハハハ…」

コーヒーの粉をこぼしたくらいで何故ここまで激しく自分を責め立ててしまうかというと、やはり母親ですね。子供の頃、母親の前でこんな失態を演じようものなら激しく罵倒されました。それこそ表現は違えど死んでしまえと暗に言っているようなことを言われたわけです。

でも母親だってその親からそういった仕打ちを受けたはずですから今は可哀想だと思いますし、責める気持ちはありません。ただ、何故そんな癖がついてしまったのかというメカニズムは大変分かりやすいなあってだけです。

話は飛びますが、最近私はQさんという人のYouTubeをよく見ています。ものすごい早口なんですが内容がとてもわかりやすく、Qさんが紹介しているワークをやったりして本当に驚くようなタイミングで臨時収入を得たこともあります。二回やって、二回とも。

で、Qさんが同じワークをしても効果がある人とない人の違いを説明していたのですが、それは「自尊心」があるかないかの違いなのだそうです。

自分を尊いと思う心、自尊心さえあれば、金運のワークやらその他のワークをしても一定の効果がある。しかし自分なんて、という気持ちが強いと何をしてもうまくいかない。その違いだけなのだそうです。

そうかも…。

私もまだまだ自分なんて、という気持ちが強いですが、でも今日のように気づいて途中で言い換えることができたわけですから、以前よりはいい感じになってきているのでしょう。だからワークをやって臨時収入もゲットできたのかも知れません。

私は誰しも皆、尊いと思いますよ。ここまで生きてくるだけで、かなり大変じゃなかったでしょうか?そんなこんなを乗り越えて今ここに存在している人たちみんな、本当にスゴイって思うし、頑張ったんだな〜って心底思います。

本当は苦難を乗り越えたからスゴイ、尊いじゃなくて、存在しているだけで尊いんですが、自分のこととなると中々そんな風には思えなかったりというのがあるかと思いますので、こう考えるといいかも知れません。

今まで散々苦労してきたし、頑張ってきたし、辛いのはもうたくさん。全部分かった。これまでの頑張り貯金が宇宙に1000億円くらい貯まってるから、差し当たって1000万くらい(ここで私は急に弱気だけど、大金もらってもビビらない人はもう少し多くてもいいかも)もらってもいいけどね。とかどうですかね。

私は最近そんな風に考えて楽しんでいます。もしお金がやってきたら買いたいものも、リストアップしていますよ(^^)

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