見出し画像

くじけずに、貪欲に鍛え続ければ、人は成長し続けられる。広島などで活躍した黒田さんが野球殿堂入り。粗削りだった学生時代から一変。メジャーで伝家の宝刀を習得

人はくじけずに、貪欲に鍛え続ければ、いつまでも成長できる。広島やメジャーリーグで活躍した元投手の黒田博樹さん(48)が野球殿堂入りを果たした。学生時代は速球主体の粗削りな印象に見えたが、身に着けられるものは何でも吸収し、広島のエースを経て、メジャーリーグ入り。海の向こうで伝家の宝刀を手にした。日米203勝は貪欲な姿勢の賜物だった。

プレーヤー部門で今年、野球殿堂入りしたのは黒田さんのほかに、中日などでプロ野球記録となる3021試合に出場した谷繁元信さん(53)の2人。

私は学生時代の黒田さんの投球を見ており、よくここまで上り詰めたなあと感慨にふけっている。神宮球場で黒田さんの投球を初めて見たのは、1996年。彼が専修大学4年の時だった。

「150」という数字が球場に表示された。黒田さんのストレートの球速だった。神宮球場は学生野球の聖地。その場所で、学生が大台の数字を出したために、黒田さんへの注目がにわかに集まるようになった。

球速は魅力的だったが、どこか粗削り。プロに進んだ後に大成できるだろうかと思ったことを覚えている。

それは杞憂だった。広島にプロ入り後、猛練習。登板すれば、簡単に代えてもらえない。鍛え上げられ、広島のエースにまで上りつめた。高校時代は控え投手。そこからはい上がってきた不屈の精神が黒田投手の成長物語を生み出した。

そして、2008年に海の向こう米国へ渡った。この時、33歳。決して、若いとは言えない。今のままでは長くメジャーリーグで活躍できないと、メジャー1年目からさらに自らを磨き続けた。

貪欲な姿勢で「伝家の宝刀」を手にした。ドジャース時代に、当時チームメイトだったグレッグ・マダックスさんからツーシームを教わったのだ。マダックスさんと言えば、大リーグ355勝を挙げた伝説的な投手。コントロールの良さで打者をほんろうした右腕だ。

外角のボールゾーンから一気にストライクゾーンへ食い込んでいく変化球を習得した黒田さん。これが後に黒田さんの生命線ともいえる「バックドア」と言われる武器となった。

2015年に古巣の広島に復帰すると、翌年、25年ぶりのリーグ優勝に貢献した。黒田さんは40代になっていたが、投球に衰えは見られず、むしろ渡米前よりも迫力が増していた。堂々たるピッチングの根底には、常に自らを鍛え上げてきた自信と投球術があった。

いつまでも貪欲に鍛えていけば、人はどこまでも成長できる。黒田さんの野球人生が教えてくれた。それは野球だけでなく、人生においても同じだろう。

貪欲な姿勢。くじけない心。何歳になっても人は成長できる。

この記事が参加している募集

スキしてみて

野球が好き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?