見出し画像

2023/10/09(月)ヨット部を休部した理由とイギリス留学について。

腰痛を理由にサッカーを辞める苦渋の決断をした5月。絶望に苛まれていた僕を救ったのは、遊び半分で新入生歓迎会に赴いた体育会ヨット部だった。

憧れのKAISERSエンブレムを胸に、新たな挑戦の狼煙を上げることにした。

自分が知らなかったヨットの世界。そこにはヨットに青春の全てを捧げる、世を忍ぶ仮の姿のセーラーたちがいた。

大学生になって初めての夏休みは毎週5泊6日、毎日8時間出艇しセーリングの練習に励んでいた。去年の自分が皆目見当もつかなかったまさかの光景。舞台は緑の芝生ではなく、灼熱の太陽に照らされた広大な青色の海だった。

得たものは大きい。朝から晩まで共に過ごす大好きな仲間たち。

10人いる同期のうち、8人が大学からヨットを始めた。いかれてやがる。大学生たるもの、遊び呆けて楽に過ごしたいはずだ。

情熱溢れる仲間たちがヨットを始めた動機はたいてい、
「大学から新しいことに挑戦したい」だ。

熱すぎる。最高やんけ。そんな魅力的なマインドを持ったみんなと共に過ごす時間は刺激的で充実した濃い時間だった。

先輩もすごい。
実績のある経験者に、初心者からレギュラーへと上り詰めた努力家といった色んな人がいる。

そんな偉大な先輩方が初心者の1年生を誰一人見捨てることなく、ヨットの動作やルールなどを徹底的に指導してくださり、練習後のミーティングでは僕たちの疑問や課題に本気で向き合ってくださった。

何にせよ、ヨットのことが大好きな先輩ばかり。
「好き」は伝わってくる。素敵だなと思う。

とは言え、ヨットはお金のかかるスポーツだ。船の部品、セール、レースのエントリー費、レスキュー艇のガソリンや整備、艇庫での生活費など。

前述した通り、夏休みは週に一度しかオフがなかったのでほとんどバイトには行けなかった。本来は学費に充てるはずの奨学金を部費に回すことでしか、お金のやりくりが追いつかなかった。

さらに。僕は留学が必須の外国語学部に所属している。ここで一旦、僕がどのようにして大学学部へ進学したのかを書いておく。

高校2年の冬。
4.5以上の評定が無ければ関関同立は難しいと言われるなか、僕の評定は4.3しかなかった。このままでは憧れの大学に進学できないと思った僕は、各大学の募集要項を読み漁ることにした。すると関西大学外国語学部の出願条件だけが異常にハイレベルなことに気が付き、条件を満たす人が極めて少ないことから例年その枠が余ってしまうとの情報を先輩から聞きつけた。

大逆転を起こすにはそこの一転狙いしかないと思い、出願条件を満たすための戦いが始まった。大阪から京都の高校へ通っていたので通学時間は往復3時間。その時間を使って単語帳を死ぬほど読み込み、諦めることなく勉強を続けた結果、なんとか条件を満たすことができた。

ちゃっかり僕は、関関同立のなかでも最難関と言われる関大の外国語学部に合格してしまった。

とはいえ、いざ入学すると身の丈に合わない授業ばかりで周りのレベルに圧倒される日々が続いた。

入学した外国語学部は大学2年次に留学が必須であるものの、希望の留学先へ行くにはTOEFLやIELTSの条件を満たさなければならない。僕はプレミアリーグのマンチェスターシティファンであることから、イギリス留学を目指すことにした。

またしても苦しい勉強漬けの日々を過ごすことになる。アメリカの大学に通う友だちにスピーキングの練習を付き合ってもらったり、先輩から借りた参考書に嫌気がさすほど向かい合い、意地の馬力でなんとか条件を満たすことができた。また、春学期の成績ではフル単を獲得することもできた。

毎日24時まで近所のMcdonald'sで勉強。

そして掴み取ったイギリス留学への切符。
またしたも振り注ぐ試練。

その資金はなんと351万円。
これでも選択肢の中で最も安かった金額だ。

それだけではない。
学生ビザを申請する際、財政保障として180万円を銀行に入れておけとのこと。

そして今月末には後期分の学費として63万円支払わなければならない。奨学金をヨット部の活動に充てていたため、手元には50万円程度しか残っていない。早急に13万円を用意しなければならないのだが、実際問題そう簡単に用意できる金額ではない。

話はヨットに戻るが、関西インカレで準優勝という結果を残し、全日本インカレの出場権を手に入れた。開催地は福岡県の小戸。遠征費用はだいたい6~7万円とのことらしい。

無理だ。払えない。

うちは裕福な家庭ではない。
このままだとお金が尽きてしまう。もうこれ以上、ヨットにお金をかけることはできないと判断した。説明に文章をかけすぎたが、ざっくりこれがヨット部を休部するにいたった経緯だ。

僕は奨学金を、4年間で460万円借りることになっている。外国語学部の学費は約140万円×4年で560万円だ。
さらにイギリス留学が決まったので、351万円+生活費で多めに見積もってざっと500万円ほどだろう。
さらに財政保障代として180万円が必要になる。
おいおい、将来の自分大丈夫か?生きていけるんか?

直近で必要なお金を算出すると、この12月までに470万円になった。
詰んでる。繰り返すがうちは裕福ではない。

学部の友だちに
「留学費用てどーすんの?」
と訊いてみると、

「パパとママよー」
と返ってきた。

今になって気が付くのもどうかと思うが、僕が入学した外国語学部は富裕層向けの学部だった。みんな海外旅行行きまくってるしな。

将来的な収入源としてvlog系のyoutubeを始めてみようと先週一週間はカメラをまわしてみたが、覚悟が足りていないせいか物足りないコンテンツになった。行きつけの美容師さんに「youtube考えてるんですよ」と言うと、「それで稼げるならみんな始めてるよ」と鼻で笑われた。

甘い。覚悟が足らない。
何をするにしても腹を括らないと始まらない。

塾講師のアルバイトだけでは足りないので深夜の派遣で働いたりもしている。クソ遅い時間までクソきつい仕事をして数千円を手に入れる。まじでやってられない。将来はある程度余裕のある男になりたいと決意した瞬間だった。

母親は正社員の仕事に加えて、わざわざ休みの日にまで単発バイトで働いている。本当に頭が上がらない。どうか身体には気をつけて無理だけはしないでほしい。

470万円。(12月までに)
正直そんな莫大な金額は用意出来そうにない。

どこかの誰かに
「ギャンブルしてお金増やすしかないやん」と言われた。

いやいや何ゆーてんねん。ギャンブルは既に始まっている。莫大なコストをかけて留学という投資をする。何を得て帰ってくるのか?僕の人生、それこそがまさにギャンブルだ。

ここまでは気迫と情熱で己の人生を切り開いてきた。これから先の人生もそうしようぜ。

負けてたまるか。どうにかしよう。

戦う。


ps.改めて、ヨット部の同期や先輩方、コーチや監督さんには本当にお世話になりました。サッカーを失い意気消沈していた大学生活に、灯りが灯った数ヶ月でした。想いを伝えた際、みんなが笑顔で送り出してくれてありがたかったです。「いつでも戻ってこいよ」の一言が刺さりました。全日本インカレの成功を心から応援してます。GO KAISERS!!







この記事が参加している募集

部活の思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?