見出し画像

銀河鉄道の父に想う

宮澤賢治の父を主人公にした『銀河鉄道の父』門井慶喜著の長編小説が映画化されるということですごく楽しみにしていた。

小説通りじゃないところも多少あるけれど、全編通して宮沢賢治の父・宮沢政次郎の目を通して、宮沢賢治の生涯が描かれている。

銀河鉄道の父

公開初日、どうしても見たくて映画館へ。

鑑賞できて本当によかった。後半、涙が止まらなくて嗚咽をこらえるのが大変だった。

こんなに泣いた映画、いつぶりだろう。

役所さんや菅田さん、森さんに坂井さんと出ている俳優陣の演技がとにかく素晴らしかった。特に役所さんがぶっちぎりでよくて演技とは思えない、そこに宮沢家が本当に生きているみたいだった。

演技が素晴らしかったのはもちろんだけど、物語として、何がそんなに私の心に刺さったのか。分析がてら文章にしてみる。

※ここからはネタバレを多分に含むので未鑑賞でネタバレ嫌な方は自己判断でおねがいしますm(_ _)m

わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

私が宮沢賢治と出会ったのは小学生の頃。

当時の担任の先生が宮沢賢治の大ファンで国語の教科書に『やまなし』が掲載されていたことをきっかけに、宮沢賢治の作品の朗読CDを聞かせてくれるもはや先生の趣味の時間があった。

私はこの時間が大好きで、『注文の多い料理店』『セロ弾きのゴーシュ』『風の又三郎』『よだかの星』など宮沢賢治の童話は一通り読んだり、聞いたりしていまだに覚えている。(特に『よだかの星』が好き)

小学校時代、図書館に通い詰めている子供だったので『春と修羅』を発見したときは妙にわくわくした。

その中で一等お気に入りだったのが『永訣の朝』。

けふのうちに
とほくへ いってしまふ わたくしの いもうとよ
みぞれがふって おもては へんに あかるいのだ
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

宮沢賢治『永訣の朝』より

この書き出しから始まる詩を読んだとき幼心にまっすぐに言葉が刺さって、昔言葉かつ岩手の言葉でわかりにくい部分もあったけど、意味を理解しようと何度も読み返した。

宮沢賢治の人生や人柄、妹との関係性はまったく分からなかったのに、なぜかとてつもなく共鳴というか、すごく大切な詩だ。ということだけが分かった。

「わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ」

大人になってもふとこの一節が頭をリフレインすることがままある。

死に別れてしまう最愛の妹とみんなの死後の幸いを祈った一節。

どうしてこんなに響いたのか、映画を見て納得した。

宮沢賢治という人はまさに「わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ」人で、それが故、生きることに苦しみ抜いて、その果に生み出したのが死後に評価される名作の数々だった。

何者でもない恐怖

宮沢賢治は岩手県花巻にある質屋の長男として1896年〈明治29年〉に誕生。

家長制度ばりばりの時期に父である政次郎は賢治を大変可愛がって、幼い頃病気で入院した際には自ら看病し、「賢治が死んだら私も死ぬ」と豪語するほど溺愛していた。(当時は看病は女の仕事で、男のましてや当主がすることではない。という考えが普通だった)

そうして質屋の跡取りとして大事に育てられた賢治は進学とともに「質屋の才」が自分にないことに気づき、「農民を助けたい」と自分にできることを模索しはじめる。

そこからが苦難の連続で、精神的に病んでしまった賢治は日蓮宗の信仰にしかもはや道はないと思い詰めるところまでいく。

その時に「自分は何者でもない。人を幸せにできる才などない。信仰に生きる以外に道はない。それができないなら死にたい。」といったようなことを喚いて父と衝突する。

まだ物語も書いていないくらい序盤なのに、もうこのシーンあたりから私は泣いてしまった。

子供の頃、家庭環境や地域・学校環境などから生きているのが辛かった私は「何もできない。誰にも必要ともされない。なんで生まれてきたんだろう。このまま何にもなれずに生きるのは嫌。」と、小学校低学年くらいからそんな風に毎日思い悩んでいた。成長しても「何者でもない恐怖」はずっとあって、それは就職するまで続いた。

「何者でもない恐怖」と戦っていた自分と宮沢賢治の慟哭が妙にシンクロしてしまって宮沢賢治の心情が自分にどっと入ってきてしまった。

それと同時に、こんなにも恐怖や絶望と戦っていた宮沢賢治だから綺麗すぎないどこか哀愁や毒があるけれど優しい、あんなに心に響く物語が生まれたのかと妙に納得した。

妹の葬列と信じる力

妹のトシは宮沢賢治にとってただの妹ではなかったとこの映画を見て再発見したことの1つだった。

最初から最後まで「お兄ちゃんは日本のアンデルセンになる」と宮沢賢治の文才を信じていた。

皮肉にも彼女が不治の病にかかったことが宮沢賢治が筆をとるきっかけになり、彼女の死が『永訣の朝』になった。

生前、賢治の物語は売れなかった。それでも、トシの回復を祈って賢治は物語を書き続けた。

苦しみ抜いた宮沢賢治が生きる意味をようやく物語に見出した矢先の妹の死。

「あめゆじゅ とてちて けんじゃ」とトシが言って息を引き取るシーンから『永訣の朝』の全文が頭を流れ出して、涙腺が決壊。

追い打ちをかけたのが葬儀のシーン。

今はもう見なくなった葬儀の原風景「葬列」が再現されていた。

この映画では2回葬列のシーンがあって、遺族や参列者、棺を担ぐ人たちが白装束で僧侶の後ろをついて火葬場へ進む。命のつながりを表現したかったんだろうなと感じる葬列の場面はしっかり尺をとって描かれていた。

魂送り。という言葉が頭をよぎるほど、一人の人の死を悼んでいる事が伝わってくるシーンだった。

特に凄まじかったのは一発撮りだったという火葬のシーン。

トシの亡骸を荼毘に付すために燃え盛る炎の前で浄土真宗の宮沢家は南無阿弥陀仏を唱えている。

そこに宮沢賢治が太鼓を鳴らしながら「南無妙法蓮華経!」と自身が信仰している日蓮宗の読経を大声で叫びながら割入ってくるものの、途中で泣き崩れる。

あれだけ信仰に反対していた父政次郎が「どうした賢治。お前の信じる心でトシを極楽浄土へ送ってやらんか。」と励ます台詞もただただ泣けた。残された息子が失ったものの大きさを理解して、信仰を認めて言外に生きろという。

「だめです。お父さん僕にはできません。トシを送ってやれない。僕はなにもできない。ごめんなさい。ごめんなさい。」と嗚咽する賢治に「物語をかけ賢治。トシがいなくなってもお父さんがお前の一番の読者になってやる」といって、賢治の文士としての才を信じて、生きる理由を与えようとする父の愛情の大きさと宮沢賢治の痛々しいほどの悲しみ。

何者にもなれない不安を抱えた私が20歳の時に大切な人を失って、精神的にまいりつつも生きていこうとしていた時に私を信じてくれた師匠に出会って、就職して、今の仕事を通して人様のお役にたつことで私は救われた。

「自分が尊敬する人に信じてもらえる」。

それだけで人は生きていけることを体感したからなのか、また賢治とシンクロしてしまい、まだ出るのかと自分でも驚くほど涙がでた。

「誰か」じゃない「あなた」のために

宮沢賢治は37歳という若さで、あれだけ苦しみ抜いて、己の役割を見出した矢先に妹トシと同じ病で自宅で亡くなる。

宮沢賢治は、最後まで血反吐を吐きながら、最愛の妹トシや敬愛する父政次郎のために書き続けた。

彼の死後、父政次郎や母と兄弟の尽力で宮沢賢治の作品は作品集として世に出された。

そのおかげで、徐々に評価が高まり、私たちは教科書や図書館、書店、ネットで彼の作品に簡単に出会うことができる。

JPOPのヒットメーカー米津玄師も『春と修羅』を暗唱できるほど読み込んでいて、彼のイマドキの音の中にある美しい日本語は宮沢賢治の影響も大きいそうだ。

今はネット社会でコンテンツが毎日生み出されては消費されていく。少しまでに流行ったものがもう古くて、バズりをねらった「誰か」のための作品が量産されては情報の渦の中に消えていく。

ビジネスも、「こういうのが投資家や市場の受けが良い」「こういうビジネスをやっていけないと成功しない」「これからはPurposeが大事!」と売り抜けやスケールすることが目的になって、誰のためになっているビジネスなのか見えにくい。

そうして、隆盛しては弱体化するか、売却する動きが盛んになっていまだに欧米を追いかけておけばOKという風潮もある。この30年所得はあがるどころか下がって、働き手の所属意識も減退して、世界に通じるビジネスがめったに生まれないというのに。

「誰かのためじゃない、あなたのためがやっぱり大事」

宮沢賢治の生涯を追体験して最後に一番強く感じたのはこれだった。

具体的にどこの誰に、どんな方法で、何を提供して幸せにしたいのか。

その解像度が高ければ高いほど、その想いや愛が強ければ強いほどコンテンツも事業も、人間が創造しうるものは大きな価値と意味を持つ。

それは何世紀経たっても消費されず、生きる時代が変わってもその時を生きる人の糧になる。

会ったこともない人の評価より、この人と決めた人の評価が自分を生かしてくれる。

宮澤賢治にとって「あなた」は自分と自分の物語を信じてくれた妹や父、家族だった。

私にとっての「あなた」は師匠。それからせいざん株式会社のメンバー、親友、パートナーと娘。

会ったこともない誰かのために頑張れるほど私は強くない。でも、彼らから得た信頼に応えるためなら頑張れる。彼らに恥じない自分でありたい。

「あなた」が信じてくれる自分を磨いて、できることは全部やる。

そして、彼らに喜ばれる仕事をして、取引先、お客様に価値を提供して日本の弔いを少しでもよりよくしたい。

それが私を生かしてくれる原動力。

だから、「誰かのためじゃない、あなたのためがやっぱり大事」。

『銀河鉄道の父』を観られて本当によかった。

宮沢賢治が生まれて、生き抜いて作品を生み出してくれて本当に感謝。いつか花巻に行って宮沢賢治記念館に行くのが楽しみ。

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?