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"教育系" note まとめ

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"教育系" noteのまとめです。
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#学校教育

先生という仕事

今でも一番記憶に残る担任の先生は小1・2のころのH先生。彼女がクラス全員を横に整列させてビンタされた日のことが忘れられない。理由は覚えていない。全員をビンタした後、H先生は「あなたたちは1回ずつビンタされただけだけど、私はあなたたちの人数分叩かれた」と言って涙を流していた。僕は頬も心も痛かったし叩かれたことに納得もしていなかった。全員ビンタなんて今だったら絶対あり得ない話だけど、そうじゃなかったあの当時(1980年代前半)の時代感覚を忘れたくない。 彼女がダメな先生だったとは

東大理Ⅲを蹴って京大へ? 天才たちは、なぜ「西」を目指すのか|『京大合格高校盛衰史』

京都伝統校の凋落①(1991~1993年)【1991年】 1990年代前半は大学受験もバブル期を迎えた。大学、短大志望者は119万9000人、入学者は77万1000人、どの大学にも合格できなかった受験生は42万8000人となる(旺文社調べ)。団塊ジュニアが大学を受験。バブル経済絶頂期で、1人で何校も受験という状況が生まれている。優秀な受験生は競争の激化を見越してさまざまな大学を受ける。それによって難易度が低かった大学も高くなって、入りにくくなる現象がおこった。週刊誌はこう伝

現場と理論をいったりきたりする教育の学問(教育社会学)

大学院で学ぶ「学習のデザイン」、今回は教育社会学について勉強していきます。 教育学 vs 社会学? 教育社会学とは名前のとおり、教育学と社会学の掛け合わせです。この2つ、接点は多くあるけど、水と油のように相容れない考え方です。 教育学→社会:教育問題の解決を目指して役立つこと 社会学→教育:社会の仕組みをしる手がかりであり、教育は素材 つまり、教育学は現場主義、社会学は理論主義、といった感じで異なる立場の関係性です。でも、経済学にミクロ経済学とマクロ経済学があるよう

文科省による生成 AI の学校での活用についてのガイドラインまとめ (前編)

令和 5 年 7 月 4 日、文部科学省から『 初等中等教育段階における生成 AI の利用に関する暫定的なガイドライン(以下、生成 AI ガイドライン)』が教育委員会をはじめとする教育機関等に通知されました! このガイドラインでは、ChatGPT に代表される生成 AI(人工知能が自動的に文書を生成する技術)の利用に関する教育現場での使用に焦点を当てています。 急速に進歩するこの技術が社会全体に広まりつつある一方で、児童生徒が生成 AI による回答を鵜呑みにしてしまったり

つながりによって増幅する学び ~脇坂圭悟『主権者を育てる社会科の授業』

脇坂圭悟・佐藤学『主権者を育てる社会科の授業』人言洞、2023年 茅ヶ崎市立浜之郷小学校の研究主任を務めてこられた脇坂圭悟さんによる、社会科を中心とした実践記録。なお、脇坂さんは、その後、同じ茅ヶ崎市内の別の小学校に異動され、今年度は、本学教職大学院の総合教育実践プログラムに現職院生として在籍している。 圧巻の実践記録だ。 最近の私は、教育界のバズワードやら行政施策を批判的に検討しながら学校現場のプラスにもなるようにと、こまごまと物を述べたり書いたりしている。けれども、

【後編】教育とAI:知覚を豊かに、神の啓示を受け入れる

なんかタイトルが怪しい感じになっていますが、、笑 昨日UPした「教育とAI」についての前編に続いて、後編を書いてみます。 前編については以下にて。 では始めてみますー。 制約でもある身体性が勝負所前回は寿命と身体の制約から、得られる知識の量で人はAIには勝てない、みたいなことを最後に書いていました。 そうなると、人間がどんな力を伸ばしていくのか。色んなところで言われ始めていますが、教育とAIとの関係を考えた際に求められるのは「入力」の部分になるのでは、と感じています。 ※

「一緒につくる」をどうやって生み出すか ~西川正『あそびの生まれる時』~

西川正『あそびの生まれる時 「お客様」時代の地域活動コーディネーション』ころから、2023年 2017年に出た『あそびの生まれる場所』の続編。 前著に引き続き、今回もとても面白い。 スタンスは、前著と同じ。「一緒につくる」をどうやって生み出していくか。 本書、「一緒につくる」にならず機能不全に陥っている例がいろいろと出てくるのだが、この描写が見事。 例えば、こんな感じ。 多くの人が「このやり方、なんだかなあ」と思っているのにそれが再生産されていくメカニズムを捉えている

【学校に行ってみた】トルコ、イスタンブールの伝統ある高校

世界周遊56日目:イスタンブール やってまいりましたトルコはイスタンブール!!コンスタンチノープルですね〜(映画『インフェルノ』で覚えた) トルコは親日で有名ですが、街の人々は半々です。笑 当たり前ですが、親切な人もそうでない人もいました。 そして美味しいケバブと素敵なモスクを今回はどうぞ! 🔶ジャールオウルアナルド高校についてさて、今回はそんなイスタンブールの旧市街にある長い歴史あるジャールオウルアナルド高校にお邪魔してまいりました。 こちらの学校はオスマン帝国の晩

アインシュタインの教育観〜学校教育とは何かを考えてみる〜【Aflevering.233】

 以前の投稿で書かせていただきましたが、私が初めてアインシュタインの教育観について触れたのは、大学生の頃に英語で著名人の名言集について学んでいる時でした。彼は“教育は学校で習ったすべてのことを忘れてしまった後に、 自分の中に残るもの”という言葉を遺したとされています。  最初私はその意味を理解することができませんでしたが、公立高校で働き、学校教育に関わる仕事をする中で次第にその意味に気づくようになりました。  彼の教育観についてもう少し詳しく調べたいと思い、寺田寅彦『科学知識

デューイ入門書として出色の一冊 ~上野正道『ジョン・デューイ』〜

大学時代、教育学系の試験で人名を問われて分からないものがあればとりあえず「デューイ」と書いておけ、と言われるくらいデューイは頻出だった。 大学院では、デューイの『学校と社会』や『民主主義と教育』の読書会を院生仲間らと共に行った。 大学教員として働き出してからも、教育の場面でも研究の場面でもデューイの論には繰り返し触れてきた。 が、つい先日岩波新書で出た上野正道『ジョン・デューイ ー民主主義と教育の哲学』を読んで、いかに自分が断片的にしかデューイの思想を理解していなかったか、

授業における「機能」

インターネットで「道徳」「指導案」と検索してみる。数限りない指導案がヒットする。それを一つ一つ開いて導入を見てみる。「友達に親切にしてあげた経験はありますか?」という問いに対して、「係の仕事を手伝ってあげた」「勉強を教えてあげた」「順番を譲ってあげた」という三つが子どもの反応として想定されている。そして生徒作文の資料を読み始める。「誠実な人ってどんな人でしょうか?」という問いに対して、「まじめに生きている人」「うそをつかない人」「自分に正直に生きている人」という三つが想定され

「平和授業」は全国区ではなかった

平和授業をご存じでしょうか。 小・中学校で行われる 戦争と平和について学ぶ授業です。 主に広島か長崎の原爆投下の日に実施されています。 私今まで、この授業は全国的にやっているものだと 思っていました。 ちょっと思い出したいことがあって 平和授業について調べようと Googleで検索ボックスに 「平和授業」と打ち込んだところ サジェストに 「大分だけ」と出てきました。 「大分だけ」・・・? 不思議に思ってそのまま検索してみましたが それらしい記事は見当たらず。

教員養成系の教育学部に通う人へ

先日、SNSでこんな投稿を目にした。 これに関連して、今日はちょっとした回顧録記事を書く。 ぼくは地方国立大学の教育学部に通っていた。 地方国立大学の教育学部といえば、基本的には教員養成が主眼に置かれている。 特にぼくは、その名もずばり「小学校教員養成課程」に在籍していたため、周囲は教員志望の学生が多かった。 教員を志す者に、「学校が嫌いだった」という人は少ない。 学校のカルチャーにうまく適応し、勉強や遊びなどをそつなくこなしてきたタイプがほとんどである。 不登校傾向に

教育にSDGsを持ち込む前に

◆こんにちは。小学校教員のねこぜです。子どもを「教え、育てる」立場である僕たちは、「何を」教えるか、「何のために」指導するかの意識をもって日々の教育活動にあたるべきだと考えています。その上で、貪欲に自分自身が「知る」こと、そして身に付けることから頑張る、そんな夏休みにしたいです。よろしくお願いいたします。今回はSDGsについて、昨年話題となった斎藤幸平著『人新世の資本論』をもとにアウトプットしていきたいと思います。 ▷「グリーン・ウォッシュ」を助長する教育  SDGsという