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同時に学べる地理と世界史! Vol.15 1200年~1500年の世界

モンゴルにより世界がまとまり、大陸をまたぐ交流が刺激される時代

歴史:ついにユーラシア大陸のほとんどの地域が「ひとつ」にまとまる時代がやってくるよ。
 主役はどの民族だと思う?

う~ん、中国人とかですか?

歴史:ううん、遊牧をしている人たち。

あ!モンゴル人ですね!


歴史:正解!
 遊牧民がついにユーラシア大陸のほとんどの地域を制覇するんだ。
 今までも遊牧民が定住民を支配するというパターンはあったわけだけれど、この時代のモンゴル人の新しいところはユーラシアを東西につなぐ「大動脈」を整備することで、ビジネスを回してリッチになった点だ。

なるほど。
でもそれだけスケールの大きなことができるほど、軍事力もあったってことですよね。

歴史:そうだよ。まだ遊牧民の戦力は、人類史上最強だ。定住民が束になって挑んでも、遊牧民にとって良い条件がそろえば無敵だ。
 このようにしてユーラシア大陸を多くのヒト、モノ、カネが移動するようになったのは、モンゴル人のおかげというわけだ。

 その範囲は「地球全体」というわけではないから、「グローバル化」とはいえないかもしれないけど、ユーラシアのビジネスルートは西のヨーロッパやアフリカ方面ともつながっていた。
 だから少なくとも「ユーラシア大陸とアフリカ大陸の世界の一体化」ということにはなるね。

 「モンゴル人によってこの地域の世界が平和になった」というふうにもいわれるよ。モンゴル人が「警察官」の役割を果たしたということですよね。

でも、どうしてこんな動きになっていったんですか?

地理:この時代に始まっていた「気候の寒冷化」(注:小氷期)が関わっているとみられる。
 詳しくは各地域ごとにみていこう。

ここまでの世界史をみていると、このような調子の良い状況はずっとは続かなそうですね。

歴史:うん、その予感は当たってる。 人や動物の往来が盛んになればなるほど、病気も一緒になって移動するよね。今までは人里離れたところでしか流行っていなかった病気が、一気にユーラシアレベルに広がってしまったんだ。

「パンデミック」ですね。 インフルエンザですか?

歴史:当時、中国からヨーロッパまで猛威をふるったのは、ペストという病気だよ。各地でおびただしい数の犠牲者を出して恐れられたんだ。世界的に気候も寒くなって食料の取れ高も少なくなり、社会不安から反乱や戦争も多発した。 

 その後各地で支配者たちがこの危機を乗り越え、各地で息を吹き返していくことになるよ。
 広い範囲がまとめられたがゆえに、逆に各地で「自分たち意識」が芽生えていったのだともいえる。


例えばどんな国の「自分たち意識」が強くなっていったんですか?

歴史:西のほうではオスマン帝国。 
 イランではペルシア帝国
 インドではムガル帝国
 中国では大明という帝国。
 どの国もルーツや特徴をみると、かつてのモンゴル人の大帝国の影響がみられるよ。

 どの国も遊牧民のうじゃうじゃいる北は避けて、活躍の場所を海へ移していった。こうして、ユーラシア大陸の南の方の海の貿易が、史上もっとも盛んになる。

陸から海へ、中心が移っていったんですね。

歴史:そういうわけだ。
 航海の技術も各地で発展していった。

アフリカはどんな感じですか?

歴史:あちこちで貿易ブームで成功した国が栄えている。
 西アフリカではサハラ砂漠の横断貿易で、砂漠を流れる一本川の流域に巨大な国が栄えている。 

 さらにそことエジプトの中間地点にあった湖(注:チャド湖)にも、貿易ルートをおさえた王国(注:カネム王国)があるね。

 インド洋沿いにも巨大な港町を支配する支配者が現れて、内陸から象牙とか金といった特産品を輸出してリッチになっていた。

 南東アフリカでは、内陸でも特産品をコントロール下に置いた王国が現れ、岩でつくった巨大な宮殿(注:グレート・ジンバブエ)もつくられている。

南北アメリカはユーラシアやアフリカ大陸との接点はないんですか?

歴史:この時代のいちばんおしまいの頃、ようやく接点が生まれるんだ。 当時、ユーラシア大陸の「ど田舎」だったスペインの王様が、貿易ブームに乗っかろうとしてアジアへの貿易ルートを開拓しようとした。
 それがひょんなことに、たどり着いた先はアジアではなくて、まったく未知の大陸(南北アメリカ大陸)だったんだ。


びっくりですね。

歴史:当時のヨーロッパ人にとったら「火星」に着陸するようなインパクトだよね。
 それでもまあ現地に住んでいる人は、「宇宙人」ではなくて、自分たちと同じ「人間」なんじゃないかということになった。 でも彼らには鉄や車もないし、ヨーロッパ人の持ち込んだ病気でバタバタと倒れていくことになる。

 ヨーロッパ人とアメリカ人との出会いは初めっから「対等」ではなくて「不平等」な出会いだったんだよ。

 ちなみに、アメリカからはトマト、トウモロコシ、ジャガイモ、トウガラシなど、今となっては世界中で料理に欠かせない食材が持ち出され、世界中に広まっていくことになる。


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●1200年~1500年のアメリカ

この時期の気候の寒冷化の影響は、アメリカにもありましたか?

地理:まず北の寒冷エリアの狩猟採集民の生活がガラっと変わったよ。
 もともとは大規模なクジラの漁もできなくなり、イヌをつかった狩りもやっていたけど、寒冷化が進んでクジラの漁ができなくなると、トナカイやアザラシの狩りを中心とする生活へと変わっていったんだ。
 一部はグリーンランドにも進出している。もともとヴァイキングの住処のあったところだ。

ほかに変わったところはありますか?

地理:家の材料だ。今まではクジラの骨などが用いられたけど、この時代には冬になると氷の家(注:イグルー)をつくる人も現れた。


彼らなりに気候変動に適応したわけですよね。それが現在まで維持されているってすごいことですね。

地理:気温の低下の影響は北アメリカの内陸部では「乾燥化」として表れた。

 もともと南西部には「オアシスアメリカ」といわれる乾燥エリアでトウモロコシ農業を営むエリアが発展していた
 周辺にはナラやブナの林もあったことがわかっているし、その東には「プレーリー」と呼ばれる温帯の草原も広がっていた。

 でも、乾燥化によってこの文明は壊滅的な被害を受けるよ。

住民はどうなっちゃったんですか?

歴史:一部の人は南に移住し、また草原地帯のバイソンを追う暮らしに変えたグループもあった。


南のほうはどうなっていますか?

歴史:北アメリカ大陸の南のほうではアステカ人が広い範囲を軍隊の力で征服し、さまざまな民族を服属させていたことがわかっている。

 南アメリカ大陸のアンデス山脈のあたりでは、史上最大のエリアが統一され、インカという巨大な国ができている。
 灌漑農業を行い、石造りの巨大な建築物を建て、縄の結び目で情報を管理し、幹線道路を設けた様子からは、ユーラシア大陸に昔存在したような「広い国」を彷彿(ほうふつ)とさせるものがある。

 しかしどちらもヨーロッパからスペイン人が進出して滅ぼされてしまった。鉄や車、それに馬がなかったことも大きいけれど、スペイン人の持ち込んだ病気が蔓延したことが大きな原因だ。

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●1200年~1500年のオセアニア

歴史:この時期には間違いなく、太平洋の大部分にポリネシア人が広まっていた。
  オーストラリアの東にあるニュージーランドには、この時期にようやく人が移り住むよ。オセアニアの東方面に広範囲にひろがったポリネシア人の一派だ。

 ハワイとイースター島とニュージーランドの先住民の言葉や文化は、だから共通しているんだ。


世界中で人の移動が活発になっているようですが、オーストラリアは依然として「孤立」しているのですか?

歴史:北のほうにナマコ(中華の食材になる)を採りに来た人たちはいたみたいだけど、内陸で狩りをして生活している人々との直接的なコンタクトはなかったようだ。

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●1200年~1500年のアジア

アジアはモンゴル人の進出の影響をもろに受けていますね。

歴史:そうだね。
 モンゴル人の王様は、草原地帯では「ハーン」という称号を、中国人向けには「皇帝」の称号を名乗っている。 草原地帯と定住民地帯の両方の住民を納得させようとしたわけだ。

両方を支配するなんて大変ですね。

歴史:だよね。 だから次第に支配の「重心」は中国にシフトしていくことになるんだ。


どうしてですか?

歴史:当時のユーラシアの貿易ルートは、陸から海へシフトしていたからだ。
 ラクダで商品を運ぶよりも、「浮力の助け」を借りることのできる船のほうが大量に運べるからね。

 そこで今の北京があるところに宮殿をつくって、そこまで運河を引っ張った。その運河は南の海につながっていて、遠く西アジアのイスラーム教徒とかインド人とか、さまざまな国の人たちが船に乗って直接乗り付けることもできるようになっていたんだ。


モンゴル人は世界を股にかけていたわけですね。

歴史:そうだよ。 中国人の文化も、世界の文化のうちの一つに過ぎないという認識だ。 だから役人には中国人ではなく、西のほうのイラン人などが多数つかわれた。徹底した能力主義だ。


モンゴル人の支配は長く続いたんですか?

地理:長くは続かない。世界的な気候の寒冷化の影響も大きかった。
 それどころか、モンゴルの支配の末期には、1億人もの人が病気で亡くなったともいわれている。

え…なぜですか?

地理:ペストという感染症が流行ったんだ。
 その後地球全土に広がっていくことになるよ。
 
歴史:こういったゴタゴタの中で、農民反乱が起き、反乱のリーダーに上りつめた男が、「皇帝」を名乗って、モンゴル人から「皇帝」の称号を奪い返した。

 でもモンゴル人は依然として北のほうで勢力をキープしているから「滅んだ」わけではないよ。
 また、草原地帯の各地では、モンゴルの建国者の血を引く支配者がさまざまな国をつくっていくことになる。

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●1200年~1500年のアフリカ

歴史:アフリカの東側に広がるインド洋では、この時期、貿易が大盛況。

 東アフリカ沿岸の港町にはイスラーム教徒やインド人の商人も詰めかけ、インターナショナルなビジネスの中心地となっている。
 

地理:東アフリカの沿岸には北から南に向かって暖かい海流が流れている。それに乗って古くからインドやアラビア半島の商人が貿易にやって来ていた場所だ。

 この時期には、バントゥー系の人たちの言葉と、アラビア語が混ざって「スワヒリ語」という新しい言葉が生まれ、独自の文化を花開かせていったわけだ。

スワヒリ海岸のザンジバル

 アフリカから西アジアに輸出された「ヒット商品」は、「アフリカゾウのキバ」(象牙)だ。現在ではワシントン条約の規制対象になっているよね。
 

西の方はどんな感じですか?

歴史:西のほうも貿易は盛んだ。
 サハラ砂漠では、地中海の沿岸から金(ゴールド)を求めて商人がラクダ貿易をしていたよね。
 ヨーロッパにあったポルトガルという国の支配者は、「サハラ砂漠を通らずに、海から金をゲットできないか…」ともくろみ、船を改良して西アフリカに進出したんだ。

アフリカの人たちはポルトガル人に対してどんな対応をしたんですか?

歴史:「いい貿易相手ができた」と喜んだ王様もいたよ。
 内陸の敵対する民族を「奴隷」として販売し、利益を上げる者もいた。


モンゴル人の拡大の影響は北アフリカにはありませんでしたか?

歴史:あったよ。

 モンゴル人がイラクを支配していたイスラーム教多数派(注:スンナ派)のリーダーを殺害し、400年以上続いた国は滅亡。
 都市バグダードはモンゴル人の支配下となった。

 このリーダーの一族を、エジプトの軍人王国が「保護」したことで、エジプトが一気にイスラーム教の「センター」に躍り出るよ。
 貿易も盛んになっていたから、ヒット商品となっていたサトウキビの輸出で経済的にも潤っている。

ペストの流行はありましたか?

歴史:アフリカも例外ではなく、エジプトではかなりの人がなくなり、王国(注:マムルーク朝)が衰えるきっかけとなってしまった。

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●1200年~1500年のヨーロッパ

歴史:この時期のヨーロッパでは、各地で強い国づくりを目指す支配者が現れるよ。

 たとえ領土が狭くても、農業やビジネスを盛んにしてルールをちゃんと整えることで強い国をつくろうとしたんだ。

どうしてそんな頑張らないといけなくなってしまったんですか?

地理:気候の寒冷化が影響しているよ。小氷期ともいわれる寒冷期が始まり、各地で飢饉が勃発したんだ。

グリーンランドに移住し、セイウチのキバ」でもうけていたヴァイキングも、北から狩猟採集民のイヌイットが寒さから逃れるために移動して来たために、住む場所を争うことにあってしまった。ウシの牧畜をはじめてしのいだものの、この時代の終わり頃には壊滅してしまったようだ。

 さらにこの時期の中頃には、中国を発祥とするペストが伝わり、人口の3分の2が亡くなるほどの猛威をふるったんだ。

3分の2も亡くなったんですか…ちなみにヨーロッパには遊牧民(モンゴル人)の影響はあったんですか?

歴史:ヨーロッパの東のほうは、草原地帯とつながっているものだからモンゴル人がカンタンに侵入できちゃう。
 今のロシアのあたりはなんと200年以上もモンゴル人の支配下に入っているよ。モンゴル人に支配のシステムを学び、そこから独立したのが今のロシアのルーツなんだ。


ロシアはモンゴルの支配から這い上がったくにだったんですね! では、それよりも西のヨーロッパにはどんな影響があったんですか?

歴史:西のほうはモンゴル人の影響は直接的には受けなかった。
 だけどヨーロッパは狭い。
 そこで、限られた土地をめぐって争いが繰り広げられることになる。

 ヨーロッパの支配者たちは農民たちをガッチリ支配しようと、きめ細かいルールをつくってコントロールしようとする傾向にあった。


貿易はさかんですか?

歴史:北のヨーロッパでは魚の塩漬けや木材がヒット商品となり、工業化が進んでいた南のイタリアの製品(羊の毛でできた服やカーペット)と交換された。


 人口も増えたため、オランダでは食料と土地を増やすために、地面づくりがさかんにおこなわれるようになった。


どうやって地面を増やしていったんですか?

地理:風車を使ったんだよ。
 風の力で大きな羽根をまわし、それを動力にして海水をポンプで抜いていったんだ。新しくできた土地のことを「ポルダー」というよ。
 この地域は一年を通して西からの風が吹く地域だからね(注:偏西風)。
 風車の動力はほかにも小麦をひきつぶして粉にするのにも使われた。

オランダといえば風車。Photo by Vishwas Katti on Unsplash

どうして西から風が吹き続けるんですか?

地理:地球はボールのような球体の形をしているよね。
 そこに太陽の光が当たる。
 ということは、よく当たる部分と当たらない部分が当然できるよね。


 すると、暖められたところと、そうじゃないところで、空気の体積が変わる。気体というのは、体積を1/2、1/3、1/4と圧縮していくと、その圧力は2倍、3倍、4倍になっていく性質がある(注:ボイルの法則)。また、温度によっても圧力は変わる(注:シャルルの法則)。



 で、オランダのある地域というのは、北のほうに気圧の低い部分があるから、南から北に向かって空気が移動する。その空気の移動が「風」だ。風は、気圧は高いほうから低いほうを見つけて吹くんだけど、地球は高速で回転(注:自転)しているから、その影響も受け、西から東に風の向きはちょっと傾く。

 一年を通してに西から東に風が吹くのはこういう理由からなんだ。


なるほど、オランダが土地を増やせたのは、風の力があったんですね。

地理:ちなみに、この時代にはイギリスでも工業化が起きている。
 羊の毛織物工業が発達していったんだ。

 もともと毛織物工業は現在のベルギーのあたりでさかんだったんだけど、「輸入に頼るのではなく、自分の国でつくろう」ということになったんだ(注:輸入代替工業)。
 そこで生産地となったのが、イギリスの中央部にある山脈の東側だ。

どうして東側なんですか?

地理:おっ、「どうしてそこにあるか?」っていう「立地」に注目できるようになっているね。
 地理の世界ではとっても大切な着眼点だ。

 実はこの場合も「西からの風(注:偏西風)」が関わっているんだよ。

うーん、つまり、風が山を超えると乾燥しますよね。それはわかります。
で、つまり山を超えた東側で毛織物のものづくりがさかんになったってことは、毛織物をつくるのは乾燥しているところのほうが適しているってことですね!

地理:いい線いってる。
 羊毛(ウール)は羊からとるよね。
 その羊が「乾燥」する気候を好むんだ。
 でも、乾燥していればいいってわけじゃない。
 ウールをつくるには、まず毛糸をつくる段階で毛を洗う作業が必要だ。

 山脈の山ろくには扇形の地形が発達していて、そのふもとに水が湧き出るところが多い。それを羊に飲ませればいいし、水路を川につなげれば商品の輸送にも使える。実際に水路は山の西の港(注:リヴァプール)にまでゆくゆくは繋げられていった。

 この山の東側の地域のことを「ヨークシャー」というよ。

 でも、そんなヨーロッパよりもはるかに工業がさかんで特産品がたくさんあったのはアジアだった。

じゃあアジアと取引すれば儲かりそうですね。

歴史:でしょ。でもそれがね、直接取引はなかなかできないんだ。

 アジアとの取引は地中海の東のほうの貿易センター都市(注:イスタンブール)や、エジプトのカイロという大都市でおこなわれていたんだけど、商売相手はイスラーム教徒。

 キリスト教徒にとっては肩身が狭かった。

 しかもオスマン帝国というイスラーム教徒を保護する国が勢力を広げると、ビジネスマンの多かったイタリアの都市の景気が悪くなっていったんだ。

イタリアはアジアとヨーロッパをつなぐ役割をしていたんですね。

歴史:そうだよ。中国とインドをつなぐ役割をしていた東南アジアに似ているね。

 でも。アジアとの貿易の商売が「あがったり」になると、しだいにイタリアのビジネスマンは余ったお金を新しい「もうけ話」に使おうとした。つまり、地中海を通らず、別のルートでアジアやアフリカと貿易する方法を検討するようになったわけだ。

各国の王様は彼らのプロジェクトに賛同したんですか?

歴史:いち早く強い国づくりに集中することができていたスペインやポルトガルは、イタリアの商人のプレゼンを聞いて、「実現したら美味しい話だ!」と飛びついた。

 その結果、アフリカを南にまわってアフリカやインドと直接貿易するルートが開拓されたんだ。

その思わぬ副産物が「アメリカの発見」ということなんですね!

歴史:そういうわけだ。


どうやってアメリカまで行ったんですか?

地理:風の力を利用した船だよ。イタリアの最新技術の船を参考にしたものだ。
 スペインからアメリカまでは、一年を通して東から西向きの風が吹く(注:北東貿易風)。
 行きはこの風に乗ればいい。
 で、帰りはちょっと針路を北にとる

 すると、北のほうに一年を通して西から東向きの風が吹くエリアがあるから、これに乗れば帰れるというわけだ(注:偏西風)。

歴史:こうしたアメリカを目指す流れに乗りそこねたのが、イタリアの北側にある王様の国々だ。
 これらの国々は、キリスト教の教会に対抗して強い国をつくろうと、国づくりを整え、銃や大砲といった新兵器を導入してのし上がっていった。
 代表格はフランスやイギリスだ。

 対するキリスト教の教会も、本部のローマを中心に負けじと支配を整え教皇を中心とする国」を整備していった。ヨーロッパ全体をキリスト教という”正義”によってコントロールしようとしたわけだ。
 でも結局は、ヨーロッパ各地で王様の国が強くなっていくと、次第に実力を失っていくことになるよ。 
 次第に周りの国々も、「自分の国の利益」という現実的な事柄を大切にするようになっていったんだ。
 文化も、キリスト教の「縛り」から自由な、より人間らしい感情を大切にする文化へとシフトしていくよ。


このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊