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世界史のまとめ×SDGs 目標⑤ジェンダー平等を実現しよう:1979年~現在

  SDGsとは「世界のあらゆる人々のかかえる問題を解するために、国連で採択された目標」のことです。
 言い換えれば「2019年になっても、人類が解決することができていない問題」を、2030年までにどの程度まで解決するべきか定めた目標です。
 17の目標の詳細はこちら。
 SDGsの前身であるMDGs(ミレニアム開発目標)が、「発展途上国」の課題解決に重点を置いていたのに対し、SDGsでは「先進国を含めた世界中の国々」をターゲットに据えています。
 一見「発展途上国」の問題にみえても、世界のあらゆる問題は複雑に絡み合っているからです。
 しかも、「経済」の発展ばかりを重視しても、「環境」や「社会」にとって良い結果をもたらすとはいえません。
 「世界史のまとめ×SDGs」では、われわれ人間がこれまでにこの課題にどう直面し、どのように対処してきたのか、SDGsの目標と関連づけながら振り返っていこうと思います。

 今回のSDGs目標は「⑤ジェンダー平等を実現しよう」です。

「ジェンダー」(gender

そもそも「ジェンダー」って何ですか?

―いろんな意味がある言葉だね。

 難しくいうと「社会的・文化的に形成された性差」のこと。

 もうすこしシンプルにいうと、体の特徴による男女の違いとは無関係に、「こういう違いがあるんじゃないか」「違いがあるべきだ」というふうに文化的に生み出されていった男女の違いのことだ。

  アタリマエだと思うような違いでも、元をたどると過去のある時点(それは意外と最近だったりする)になって産み出されたものにすぎない違いであることも少なくない(追記2019/04/07:下記リンク)。


でもどうして「ジェンダー」に注目するんですか? 「性別」じゃだめなんですか?

―男女の性別の差が、生き物としての性の違いを越えた重荷”として、さまざまな地域の特に女性にのしかかっているんじゃないかと考えられてきたからだ。

参考国連開発計画(UNDP)「人間開発報告書」(1995年日本語版)
「男子、女子という生物学的性差を「sex」という語で表すのに対し、社会的・文化的につくりあげられた性別をジェンダーという。」

 男女間に「存在すると考えられている”違い”に関する ”常識”は、時代や地域、集団によってさまざまだ。

 でもその”常識”が、その人の生存を脅かすようなケースは、まだまだなくなっていないんだ。


例えば?

―「」と「」は違う
 うちは貧しい。
 小学校には通わせることができたけど、中学校となると難しい。
 限られた子どもしか学校に通わせられない。
 となると男の子を優先的に学校に通わせよう。

 「」と「」は違う。
 だから、しきたりにしたがって準備をし(注:FGM)、女の子は早いうちに結婚に行かせるべきだ。


 こうした社会的・文化的につくられた男性と女性の差が、深刻な経済的な格差や命の危険につながるケースが問題なのだ。


 世界で15歳未満に結婚している女の子は2億5000万人にのぼる。
 また、途上国では、15歳未満の女の子の9人に1人が自分の意思をともなわない結婚を強いられている。

 早すぎる結婚は教育のチャンスを奪うことにつながるし、不衛生な環境下での出産に幼い身体が耐えられない場合も多い。


「女性」化する貧困


男女の格差の問題って、経済的な問題と結びつく問題だったんですね。

ー男性と女性を比べた時に、女性のほうが貧困の影響を受けやすい状況を「貧困の女性化」ということもあるくらいだ(:下のグラフは極度の貧困にある人々の世界的な比率(参照世界銀行のグラフ)。下の表のうち紫が男性、オレンジ色が女性を示す)。


でも「貧困の女性化」って、先進国は関係ありませんよね?

―そんなことはない。女性と貧困の結びつきは世界各地で残された課題だ。

年代別・世帯類型別相対的貧困率(2007年)(飯島裕子「なぜ、女性は貧困なのか―3人の事例から考える― 」メールマガジン「オルタ広場」 より)

https://www.amazon.co.jp/人身売買と貧困の女性化-―カンボジアにおける構造的暴力-島﨑-裕子/dp/4750346918


国際的な取り組みが本格化する

食い止めるための国際的な動きはあるんですか?

―この時期の初めには、女性差別をなくすための条約が国連で締結されているね(注:女性差別撤廃条約(1979年)。日本は「女差別撤廃条約」として1985年に批准)。

 その後も女性の地位に関する会議は継続的に開かれ、第2回世界女性会議(コペンハーゲン、1980)、第3回世界女性会議(ナイロビ、1985)が開催された。

 また、各地で頻発する内戦における女性の悲惨な状況を背景に、女性に対する「暴力」がクローズアップされ、国連総会で女性に対する暴力撤廃宣言(1993)が出されたよ。


内戦での悲惨な状況?

―冷戦の終結とともに勃発したヨーロッパのユーゴスラビア内戦(1991年~1999年)では、混乱の中で多くの女性が苛酷な状況に置かれたんだ。


 さらに、1995年には第4回世界女性会議が中国の北京で開かれた。ここでは「北京行動綱領」が採択され、男女平等を阻むあらゆる障害を取り除くことが確認された(⇒全文)。

1975年国際女性(婦人)年以降の国内外の動き(年表)(出典:内閣府男女共同参画局



国際的な取り組みは着々と進んでいるんですね。
ところで女性に対する差別を撤廃する条約は、どのくらいの国々で批准(ひじゅん)されているんですか?

ほとんどの国で批准されている2018年1月時点で189か国)けれど、例えばアメリカは署名したものの国内では批准していない。
 また、トンガニウエバチカン市国、紛争の続くスーダンソマリアのほか、イランは署名していない。


イスラーム教は女性に厳しい?

条約に批准していない国にはイスラーム教の国がありますね。

―イスラーム教徒の多い国だからといって、条約に署名していないことはないよ。ほとんどの国で署名されている。

 でも、例えばこの時期の初めに革命(注:イラン革命)によって成立したイランでは、イスラーム教の聖典や指導者に基づく法の影響が強く、条約への参加の見込みは立っていない。


 また、「この項目はうちでは”見送りたい”」と主張する国が多いことも、問題となっている。
 「見送る」ことを「留保する」というのだけど、じつに55か国が条約の内容について留保しているんだ。

 たとえばサウジアラビアは、イスラーム教の中でも特に聖典(注:『コーラン』)の解釈に厳しい国だ。
 女性差別撤廃条約に締結したものの、国内ではイスラーム教のもとづく法(注:シャリーア)が優先されるものとしている。


イスラーム教って、奥さんをたくさん持つことが認められているんですよね?

ー一夫多妻制だね。
 これも現代では国によって解釈はさまざまで、イスラーム教徒の多い国でも「禁止」しているところもあるんだよ。

 例えばチュニジアトルコでは完全に禁止されている。
 独立後に、ヨーロッパを見習って近代化させようとしたときに、伝統的な習慣から脱却しようとしたんだ。


ってことは、服装も国によって厳しさは違うってことですかね?

ーそうだよ。
 聖典(注:コーラン)では、家族・親戚と接するときや幼い子どものときを除き、女の子はベールをかぶらなければならないと規定している。

)信者の女たちに言ってやるがいい。かの女らの視線を低くし、貞淑を守れ。外に表われるものの外は、かの女らの美(や飾り)を目立たせてはならない。それからヴェイルをその胸の上に垂れなさい。自分の夫または父の外は、かの女の美(や飾り)を表わしてはならない。なお夫の父、自分の息子、夫の息子、また自分の兄弟、兄弟の息子、姉妹の息子または自分の女たち、自分の右手に持つ奴隷、また性欲を持たない供回りの男、または女の体に意識をもたない幼児(の外は)。(コーラン24章31節)

 結婚していない男女が関係を持つことに対する罰則も、規定されている。

)「姦通した女と男は、それぞれ100回鞭打て。」(コーラン24章2節)
「貞節な女を非難して4名の証人を上げられない者には、80回の鞭打ちを加えなさい。決してこんな者の証言を受け入れてはならない。」(コーラン24章4節)


厳しいですねえ。

ーこうした規定は、女の子たちを保護する観点から設けられたものだ。
 でも、「差別的だ」という欧米からの批判を浴びることも少なくない。
 そうした批判だけでなく、欧米諸国の経済・文化の広まりや、西アジアに対する露骨な攻撃(注:アメリカとイランイラクソ連とアフガニスタン)が、規定の解釈をかえって厳しくさせてしまっている側面もある。


当の女性たちはどんなふうに思っているんでしょうか?

ー例えばイランでは、革命後に女子向けの学校が増加したことで、専門職を中心に女性の社会進出がすすんだんだ。

社会進出すれば、男性と同じオフィスで働くこともあるよね。 
 そんなとき、ベールを身に着けさえすれば、気兼ねなく活動できるわけだ。
 こうして、みずからベールをまとう女性が増えていった。




 最近では、ヒジャブなど、ファッション性を備えたベールをまとう人も増えているよ(下図:AFP「【図解】イスラム教徒の女性の衣装」
より
)。



アフリカ「女性」の光と影

イスラーム教の分布は東南アジア・南アジア・西アジアだけではなく、アフリカにも及びますよね。

―そうだね。
 イスラーム教徒は北アフリカを中心に多く生活しているね。
 2010~2011年に西アジア~北アフリカで大規模な政治的な変動があったのを覚えてる?

なんでしたっけ。

―それまで長い間「独裁者」として君臨していた政治家に対し、軍や反政府グループが反旗をひるがえし、政権を交代させた出来事だ(注:アラブの春)。

 チュニジア、エジプト、リビアなどでは実際に政権が倒れ、シリアは政権が持ちこたえたものの内戦が現在にいたるまで続いている。


独裁政権が倒れたなら、万事OKなんじゃないですか?

―そうもいかなくてね。
 国民の中には「イスラーム教」の規律を ”どれだけ厳密に守るか?” ということをめぐって、意見の対立がある。
 ゆるく考えようという人たちと、厳しく適用しようとする人たちとの間の亀裂は、埋まっているとはいえない。


アフリカって、南のほうはイスラーム教ではないですよね。

―南のほうに行くと、植民地時代の影響から、キリスト教を信じている人が多いね。
 また、伝統的な教えを守っているところも多い。

 民族集団の「伝統的な掟」は、しばしば女性が男性よりも低いポジションに置かれているものが多い。

 「貧困」につながりかねない女性差別に対し、国際社会は これまでも”なんとかしよう” としてきた。

 2000年には、SDGsの前身ともいえるミレニアム開発目標が設定され、2015年までに初等教育の就学率を解消しようという取り組みが進められた。


効果はあったんですか?

途上国の3分の2以上で、初等教育の就学率において男女の格差が解消されたよ。でも、初等教育の就学率に関する男女の格差が解消していない途上国のうち、56%がサハラ以南アフリカの国々となっている。

サハラ以南では、まだまだなんですね。

ー上の図を見ても、明らかだよね(注:就学率はこちらのGross enrollment ratio in primary education, 2013を参照)。

 それに中等教育となると、国の社会・経済状況によってはぐんと下がる。

アフリカって紛争も多いですよね?

―植民地時代には、アメリカ vs ソ連の対立と結びついた国内のグループが、どろどろの内戦を繰り広げていたよね。
 その冷戦構造が終わっても、海外向けに「もうけ」を生み出す資源の利権をめぐって争う状況は終わらなかった。
 とくに1990年代は悲惨な内戦が各地で起こった。2000年代に入っても、深刻な内戦が続く地域は絶えないけど、下図のように「平和」に向けた取り組みが進むようにもなっている(注:下図は外務省「わかる!国際情勢Vol.19 アフリカにおける紛争の現状と平和構築~PKOセンターへの支援」より)。

 このうちリベリアでは、女性が「平和」構築に対して大きな役割を果たしているんだよ。


リベリアでは何が起きたんですか?

―そもそもリベリアという国は19世紀中頃にアメリカ人が主導して「黒人たちをアフリカに返して国をつくらせてあげよう」として建てられた国。
 もともと住んでいた人たちを、後から移住してきたアメリカに出自を持つ人たち(注:アメリコ・ライベラリアン)が支配する形となった。

 よく、”リベリアはアフリカでは珍しく独立を維持した国だった”といわれる。だけど、入植によってつくられれた国なのだから、その実態は「植民地」と変わらない。

 その後長い間、アメリカ系入植者による支配が続いたけど、この時代の初めに先住民出身の軍曹(注:サミュエル・ドウ)がクーデタを起こして以降、先住民間の覇権争いが激化。それが1度目のリベリア内戦へと発展する(注:第一次リベリア内戦、1989~1996年)。

 1度停戦したものの、再び内戦は勃発(注:第二次リベリア内戦(1999~2003))。和平交渉が膠着する中、勇敢にも即時停戦を呼びかけた女性がいた(注:リーマ・ボウイー)。

 この貢献から彼女は、リベリア初の民主的に選ばれた大統領(注:サーリーフ)らとともに2011年にノーベル平和賞を受賞した。


平和に果たす女性の役割は、とっても高いんですね。

ミレニアム開発目標では、国会における女性議員の割合を増やすために、各国に一定の割り当てをしようという取り組みがなされた(注:クウォーター制)。
 リベリアと同じく、冷戦後の内戦に苦しんだルワンダも、今では下院議員選挙における女性比率が高いことで知られている。

 ほかにも、すでに2004年にはワンガリ・マータイがノーベル平和賞を受賞するなど、環境保護活動や社会のための起業における女性の活躍も目立つよ。


アフリカって、女性の立場が高くなっていっているんですね。

―特に、高い教育を受けることができる層の女性はね。
 でも、経済的に貧しい層の女性との格差はまだまだ大きいよ。
 伝統的な民族集団の法の影響が強い地域では、北アフリカから東アフリカを中心に(下の地図(wikicommonsより)を参照)、女の子が幼い頃に性器の一部を強制的に切り落とす施術がおこなわれているところもあるんだ(注:FGM(女性性器切除))。

やめさせるべきではないんでしょうか…。

ーおこなわれている社会では、「しておかないと結婚できなくなる」といった考えも根強い。でも不衛生な環境での施術で命を落としたり、トラウマを残す女性も少なくない。イスラーム教圏で多く見られるけれども、そのルーツはイスラーム教以前からの風習によるといわれている

 これに対しては、「その文化の良し悪しを、他の文化圏の人が口出しすべきではない」という立場と、「文化に関係なく、人としての権利を尊重するべきだ」という立場がぶつかっているけれど、その背景には当事者の声が届かない実態があった(注:サバルタン)。最近では#MeToo運動の後押しもあり、ようやく当事者の声も公になりつつある。



冷戦の終結と人身売買

この時期にはソ連が崩壊していますよね。女性への影響はなにかあったんでしょうか?

ー1991年にソ連が崩壊し、構成していた国々は独立した国となったんだよね。
 でも、再スタートは順風満帆ではなかった。
 「自由な経済」が導入されると、急転直下。各国内で恐るべき格差が広がり、真っ先に影響を受けたのは立場の弱い女性だった。

 違法グループによって若い女性の人身売買(トラフィッキング)が横行。ウクライナやベラルーシ、旧ソ連グループであった東ヨーロッパ(注:ルーマニアなど)から、多くの女性がロシアや海外へと運ばれ、性的な対象として売り買いされた。


冷戦直後にそんなことが…。

ー人身売買は「過去のもの」(注:奴隷貿易苦力貿易)と思ったら大間違いだ。人の取引だけでなく、臓器の売買といったケースも後を絶たない。


アジアの移民の女性化

―違法な人身売買に対する規制が強まり、冷戦直後に比べると、その被害はその後減少していった。

 だけど今度は、東南アジアや南アジアの女性が、中東の産油国などのケア産業やサービス業に従事する事例が増えているよ。

 その背景のひとつは、やはり根強い「貧困」にある。


国際社会の取り組みは続いていますか?

ー粘り強く続けられているよ。
 教育や政治の分野など課題は国によっても異なるけど、途上国だけではなくて、先進国の中に残る ”隠れた”(これまでは問題化しんくかった) 女性のポジションの低さも、SNSの発達によって共有されるようになってきている。

1975年国際女性(婦人)年以降の国内外の動き(年表)(出典:内閣府男女共同参画局

「誰も置き去りにしない」

ところで、「ジェンダー」って女性と男性だけを対象としたものなんですか?

ーどういうこと?


LGBTの方たちの話がないなあと思って。

―なるほど、鋭い。

 最初に、厚生労働省の示す「ジェンダー」の意味をチェックしたよね。


3. 性別に対する自己意識、自己認知を意味する使い方
 「自分は男(女)である」、「男(女)として生活することがふさわしい」と感じる性別に関する自己意識(認知)の意味で用います。心理・社会的性別と呼ばれることもあります。 
          (注:厚生労働省「みんなのメンタルヘルス」より)

 このうちLGBTについて考えるとき、3の「性別に対する自己意識」の意味で「ジェンダー」という言葉を使うことが多い。

 これまで、「男と女」「男女の恋愛」などのような、きっぱりとした「カテゴリー」があるのだとされてきたけれど、そんな截然(せつぜん)とした「」にはまりきらない人がいて当然なのだという認識が、最近ようやく共有されはじめている(⇒山口一臣「電通が発表! 日本のLGBTの割合は「左利き」とほぼ同じ」)。


SDGsの共通目標では、LGBTの方々の権利については明確には盛り込まれなかったんですか?


―国連の事務局長はLGBTの人たちも目標に含まれると話しているけど、共通の目標に定めることはできなかった。



どうしてですか?

ー同性愛を禁じる国が少なくなく、各国内の合意がとれていないためだ(注:イスラーム教の聖典『コーラン』7章80-81節11章77-78節に禁じる項目がある)。

 そもそも、異性愛以外のさまざまな「愛の形」や、性に対するさまざまな「自己認識」については、歴史的にみると、社会や集団によってさまざまなとらえ方があった。
 それが、国によって「結婚」が「性愛」に限定した制度によって厳しくコントロールされるようになっていくのは、国による人々の支配が強くなっていった19世紀以降の話なんだ。


 国際的には、「LGBTの人びとや性分化疾患のうち自己の意思に反して必要でない手術を受ける可能性のある症例の当事者の人権を保障するための原則」(注:ジョグジャカルタ原則)が2006年に発表された。

 しかし、これを踏まえ翌年に国連総会に提出された「性的指向と性同一性に関する声明」は採択には至らなかった。


まだ、国際的な合意は得られているとはいえないんですね。

ー生まれながらにして持つ自分自身のあり方によって、苦しい境遇に立たされる人はまだまだいる。

 考えてみてほしい。
 かつての奴隷制度や植民地主義が「誤り」であると共有されるのに、人類は数百年、数千年もの歳月を費やした。

 時間はかかるかもしれないけれど、「文化も国も宗教も人も、岩のように動かないものではない。いつも変わり続けている」(ハンス・ロズリング他『FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』日経BP社、2019年)。

 「誰も置き去りにしない」というSDGsのメッセージが実現されるかいなかは、現在のわれわれにかかっている。


参考


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