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【図解】世界史のまとめマップ(中)800年~1650年

まとめようがない「世界の歴史」。

「大きな流れ」を《輪切り》に地図化することで、
ひとまずユーラシア大陸を中心とした「世界史のまとめ方」を一緒に考えていこうと思います。

今回扱うのは、800年から1650年までの時代です。


この時期には気候が温暖化し、人類の活動範囲は北のほうにも広がっていく。


地図中の★1 ノルマン人はアイスランド、グリーンランドを経由して北アメリカへの植民に成功。 ★8 北海道でもアイヌの活動が活発化している。


遊牧民の活動エリアは「遊牧エリア」(茶色)にとどまらず、
農耕エリアにまで広がっている。


「農耕エリア」の指導者も、
もはや遊牧民の圧倒的な軍事技術を無視することはできず、
遊牧民の進出を前に支配下に入るだけでなく
その軍事力を取り入れたり、協力関係を結ぶようになっていったのだ。

地図中の「茶色と緑色のグラデーション」は、
そのような遊牧&農耕のコラボレーションを表している。


そのために求められたのは、遊牧民と農耕民との違いを乗り越える新たな思想。

それが、キリスト教、イスラーム教、仏教といった普遍宗教だ。
普遍宗教というのは、特定の民族や人種に限定することなく、
人間ならだれでも」通用する考えを打ち出した宗教だ。

分布は基本的には下の通り。
青いところ: キリスト教を受け入れた地域。
オレンジのところ: イスラーム教を受け入れた地域。
黄色のところ:仏教などを受け入れた地域。

(注)3つのポイントを押さえよう
◉1 ユーラシア大陸で、トルコ人の活動エリアが西に広がる!

 この時代には、遊牧民エリアにいた
 騎馬遊牧民の ウイグルが、別の騎馬遊牧民キルギスによって西への移動を迫られた
 どちらもトルコ系の民族だ。

 そういうわけで、
 セルジューク朝(→のち、ホラズムシャー朝)
 カラハン朝
 :ガズナ朝(→のち、ゴール朝)
 ― のようなトルコ系の国が、農耕エリアに食い込む形で建てられていった。

◉2 騎馬兵の軍事力が各地で導入される!

 ほかの地域を見ても、各地で騎馬兵の軍事力を導入した国々が農耕エリアを支配していることがわかる。
 ヨーロッパのフランク王国東ローマ帝国
 エジプトのファーティマ朝アイユーブ朝
 
 中国も、騎馬遊牧民の契丹(きったん)の建てた遼、
  同じく騎馬遊牧民のタングートの建てた夏(西夏)が、
  それぞれ”唐”の「あとがま」を主張して中国の「皇帝」の位を名乗り、
 「農耕エリア」を押さえた宋と対立している。

◉3 遊牧民の進出をまぬがれるため、海に連結する港町の開発がすすむ!
 ★2 イタリアのヴェネツィア
 ★3 エジプトのカイロ
 ★4 東アフリカのスワヒリ地方
 ★5 南インドのチョーラ朝(→東南アジアに進出)
 ★6 東南アジアのビルマ人クメール人、ベトナム人()、
   マレー人の諸王国。
 ★7 長江南部の港町 (→中国でジャンク船羅針盤も発明される)


* * *

ちょっと複雑になりますが―。

遊牧民と農耕民との「コラボレーション」は、
ピンク色で表されるモンゴル人によってさらに推し進められる。

モンゴル人は、地図中「D」(ユーラシア大陸部)の遊牧エリアを発祥とし、
Cのユーラシア大陸中央部、Aのユーラシア大陸西部、Bのユーラシア大陸西南部にまで拡大。

沿岸に到達したモンゴル人は、
陸上の交通ルートだけじゃなく、
海上ルートにつながる港町をも結び始めていった。

★1 ヨーロッパの北部 ~ ★2 イタリアのヴェネツィア ~ ★3 エジプトのカイロ ~ ★4 東アフリカのスワヒリ地方 ~ ★5 イランの南の海(ペルシア湾)の港町(ホルムズ) ~ ★6 南インド ~ ★7 東南アジア ~ ★8 中国の南部 ~ ★9 日本 ~ ★10 北海道のアイヌ

こうして、ユーラシア大陸の東西(左右の方向)を、
ヒト、モノ、カネが活発に流れるしくみがつくられていったのだ。

でも、モンゴル人の国々は、各地で次第に滅ぶ。
すると、ユーラシア大陸の各地ではモンゴル人が席巻(せっけん)する以前の文化が復活するようになっていった。

いったん動き出したユーラシア大陸東西の経済は、伝染病の大流行気候の寒冷化よりいったん途絶えるが、その後もますます発展していく。

しかし、ここで大事件が起きる。

 西ヨーロッパのスペインとポルトガルという2つの国が、西アフリカやアジアとの直接的な貿易を目指して、「海の新ルート」を開拓しているうちに、これまで知られていなかった南北アメリカ大陸に到達してしまったのである。

(注)中国では、モンゴル人を北に追い出した後、明という国が「漢民族」の伝統を強調して「農業エリア」を中心とする国づくりを進めていった。
 明は海上交易にも注目し、世界の国々に貢ぎ物を持って来させる形で貿易を行わせようとした(地図中の黄色い矢印のように、東アフリカにまで到達した)。 


* * *

この時期のアジアとヨーロッパの国々の経済を比べると、
アジアのほうが圧倒的に豊かだった

成長の可能性の点からも、そんなに大した違いはなかったという説もある。

でも、その後の世界史の展開をみると、
ヨーロッパがアジアを追い抜き、
圧倒的なパワーを得ていくことになるのだ。

ユーラシア大陸の各地では、
いまだにモンゴル人の「子孫」を名乗る遊牧民の力も根強い(CやD)。


また、遊牧民の軍事力に影響を受けつつ、農耕エリアを支配した国々も、繁栄を続けている。
 ・モンゴルの支配から立ち上がった ロシア帝国
 ・トルコ系の遊牧民の出自を持つ オスマン帝国
 ・2: イラン高原北方(ソグディアナ)を中心とするティムール帝国
 ・1: を出身とする騎馬遊牧民が、ティムール帝国の崩壊後にイランを支配
  したサファヴィー朝
 ・そして、中国を支配した(みん)。

以上の国々には共通点がある。
いずれも陸ではなく、海が生みだす富に注目した点である。

 すでに銃や大砲が戦争に導入され始め、
 馬に乗って戦う遊牧民の戦法が、
 ついに「人類最強」ではなくなっていたという背景もあった(軍事革命)。
 例えば、イランのサファヴィー朝は★2: ホルムズ、中国の明は★3: 中国南部の港町を戦略的に重視した。

陸から海へ。

その影響は、ユーラシア大陸の「西の果て」にある地中海にも及ぶこととなる。

 インド洋を中心とする海の貿易が盛んになるにつれ、スペインやポルトガルといった西ヨーロッパの国々が、イタリアの都市のバックアップも受けつつ、新たな物流ルートの開拓に積極的になっていったのである。


アフリカを南回りに迂回するルートを発見したポルトガルは、★2: インドの港町(ゴア)、★3: マラッカ海峡などの重要拠点をおさえはじめた。

また、スペインは偶然、西の方に進み「アメリカ大陸」を発見

そこに進出した両国は、もともと存在した国家(注:アステカ、マヤの都市国家インカ)を滅ぼし、
 う: 西アフリカなどからアフリカ人を運んで奴隷として働かせ、
 い: カリブ海などでサトウキビの大量栽培をおこなわせた

そして商品をヨーロッパに輸出して莫大な利益をあげるようになっていく(大西洋三角貿易)。

さらに、スペインは掘らせた銀を太平洋を横切って★4: フィリピンまで運び、そこでアジアの物産を買い付けた

また、北アメリカ沿岸の魚や内陸の毛皮に目をつけたイギリスやフランスは、: 北アメリカに植民地を建設するようになっていく。


こうして、
ユーラシア大陸の「西の最果て」に位置する新興のヨーロッパ諸国は、
遊牧民の進出の影響をあまり受けることがなかったがゆえに、

また、

アメリカ大陸とアフリカ大陸とユーラシア大陸に挟まれた「地の利」を生かすことができたために、
世界各地の物流や資源を効率よく利用する可能性をひらいていったのである。


【図解】世界史のまとめマップ()は以上です。
次回は、1650年以降の世界史の展開を地図でまとめていきましょう。

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