雑記:土佐の高知

高知県高知市は、江戸時代には土佐二十四万石山内家の城下町で、初代山内一豊は関ヶ原の戦功によって遠江掛川から土佐に加増され、戦国期に土佐の領主であった長宗我部氏に変わって同地を治めた。

高知城は一豊によって江戸初期に築かれたが、その後焼失して現在の天守は江戸時代中期に再建されたものであり、日本国内に十二ある江戸時代以前の天守閣を留める城の一つである。

高知城内には山内一豊の騎馬像(下の写真一枚目)や、一豊夫人で賢婦の評判高い見性院(下の写真二枚目、名は千代とも松とも伝わり、銅像は一豊が名馬を買うために十両を捻出したエピソードにちなむものである)、土佐藩士で明治期に自由民権運動で活躍した板垣退助の銅像(下の写真三枚目)などがある。

高知市内には他にも土佐藩ゆかりの人物の像が多くあり、幕末の藩主で「四賢侯」の一人に数えられた山内豊信(号は容堂)の像は、歴代藩主を祀った山内神社境内にある。

容堂は酒を愛して自ら「鯨海酔侯」と称したほどで(高知の地酒の「酔鯨」はこれに由来している)、銅像もそれを反映して酒杯を持つ姿で表現されている。

また高知駅前には幕末に活躍した坂本龍馬・中岡慎太郎・武市瑞山の像が建つ(この他にも市内には、過去に「雑記・土佐の長宗我部」で紹介した長宗我部元親の銅像もある)。

また高知市には「五台山」の山号を持つ古刹・竹林寺もあり、同寺は四国八十八箇所の三十一番札所である。

五台山は中国の名刹にちなみもので、唐の五台山に倣って聖武天皇が行基に開かせたと言う伝承があるが、古くから尊崇を集めており、境内の宝物館には平安・鎌倉時代の仏像など多くの文化財を有する。


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