雑記:「八犬伝」の故郷

安房館山は里見氏の城下町であり、現在も館山城は街のシンボル的存在となっている。

館山城は戦国時代に後期里見氏の里見義頼によって築かれ、江戸時代初期に里見氏が改易となるまでその居城であった。

城は房総の海を望む小高い丘の上にあり、周辺は城山公園となっている。

麓に館山市立博物館の本館があり、ここには里見氏関連の資料が展示され、城跡に建つ天守閣の中は分館と言う扱いで、本館と共通料金で入場出来る。

現在の天守閣は所謂「模擬天守」で、館山城は天守の外観に関する資料がないため想像で造られている(鯉のぼりが写っているのは、五月初旬に訪れたため)。

分館の内部は、「日本で唯一」と銘打たれた里見八犬伝資料館で、馬琴の「南総里見八犬伝」、あるいはそこから派生した「八犬伝」の創作作品を読んだことがある人には、それなりに面白い作りになっている。

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この公園内には、もう一つ「八犬伝」絡みのスポットがある。

博物館側とは逆の道から下に降りて行き、少しルートから外れると周辺は堀の跡などがあって古城の雰囲気が出てくるが、この公園南側のエリアには「八遺臣の墓」と呼ばれる八基の五輪塔がある。

五輪塔は、里見家最後の当主である里見忠義に殉死した八人の家臣の供養塔とされ、忠義は改易の上伯耆の倉吉に流され、その地で没しているため、八遺臣も倉吉で殉死したのであるが、里見家ゆかりのこの地に分骨が葬られたとされる。

向かって一番右の石塔が唯一五輪塔の形を留めている以外は、いづれも残欠ではあるが、石塔自体は室町くらいのなので伝承は後付であろう。

この「八遺臣」と「八犬伝」がどう結びつくのかと言うと、この八人はいづれも戒名に「賢」と言う字がつくため、別名「八賢士」と呼ばれており、この「八賢士」が「八犬伝」に登場する「八犬士」のモデルではないかとされている(ただしこれも後付であると言う説が有力である)。

もっとも、石塔は室町時代中期以降のものなので、どちらかと言えば物語の設定としての「八犬士」の墓と言う方が、石塔の年代には近いのであるが。

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