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昼は詩をよみ、夜は星をよむ

 

2023.9.17 日
 昨日、じょじょまるでおかゆをたべて、八幡宮に流鏑馬をみにいった。人がいっぱいで、ほんの一秒たらずの間に射手のあたまがびゃっと駆けていくのだけがみえた。今朝は江ノ島の朝市にいってみる。朝どれの魚を買うのに炎天下に長蛇の列。あきらめて近くのスーパーへ。地元の鮮魚は並ばねば買えず、遠くから運ばれてきた魚は難なく買えるとは、いろんなことが逆転してるこの世の中らしいけれど。夜は偕楽、稲村ヶ崎温泉。


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2023.9.18 月
 庭の柿がぽつぽつ色づいている。夜空に、ささがきごぼうみたいなほそいほそい月。さいきん梨をよくたべる。田辺聖子さんの「残花亭日暦」を一気読み。


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2023.9.20 水
 昼、鎌万で安かったムール貝でリゾットふうのごはん。秋鮭は日本酒と塩につけて、ふっくらおいしい。かぼちゃはちょっと蒸しただけでねっとり甘い。家で集中できず、ベローチェで作業。熱いルイボスティーをのみながら、鵠沼海岸のcomadで買ったsavoiaさんのマスカットネパール山椒マフィンをこっそりたべる。鍼灸院。どっと力が抜けた。18時にはもう暗い。

 かえると、山梨からシャインマスカット、ゆず、すだち、青唐辛子のおすそわけ。段ボールに「ぶどう注意」のシール。へえ、ぶどう専用のがあるんだ。たくさんの新聞紙にくるまれて、うつくしいうす緑の粒々がすやすやとねむっていた。収穫のタイミングがわからなくて、まだすっぱいかも、とのこと。こぼれた粒を洗って、口にすると、甘すぎず、みずみずしい味。


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2023.9.21 木
 朝から曇りで、散歩がきもちいい。仕事。ミーティングふたつ。石垣りんさんの「朝のあかり」、途中になっていたのをさいごまで読む。「くらし」という詩が、さいきん読んだ茨木のりこさんの本「詩のこころを読む」でも紹介されていたけれど、とても好きだった。

 「くらし」
 食わずには生きてゆけない
 メシを
 野菜を
 肉を
 空気を
 光を
 水を
 親を
 きょうだいを
 師を
 金もこころも
 食わずには生きてこれなかった
 ふくれた腹をかかえ
 口をぬぐえば
 台所にちらばつている
 にんじんのしっぽ
 鳥の骨
 父のはらわた
 四十の日暮れ
 私の目にはじめてあふれる獣の涙

石垣りん「くらし」

 「詩のこころを読む」では、もうひとつすてきな詩にであった。

「顔」
こいびとの顔を見た

ひふがあって
裂けたり
でっぱったりで

にんげんとしては美しいが
いきものとしてはきもちわるい

こいびとの顔を見た
これと
結婚する

帰り
すれ違う人たちの顔を
つぎつぎ見た

どれもひふがあって
みんなきちんと裂けたり
でっぱったりで

これらと
世の中 やっていく

帰って
泣いた

松下育男「顔」


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2023.9.22 金
 久しぶりにカフェをはしごして作業。よくはかどった。ブランチはじょじょまるでさつまいも粥。おやつはパラダイスアレイのピタパン。LONG TRACK FOODSで米粉菓子みっつ買う。かなやでわさびと米粉パンを買う。商品を手にとろうとして二度も、床にぶちまけてしまった。港の人でラジオの本を四冊受け取り、バスにのる。夜はもう、とくとくと秋のにおい。夕飯のしたく中、しじみをぶちまける。手元がよくくるう、祖母の命日。


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2023.9.23 土 秋分
 海に波がない。湖みたいに。夜空に五つ、光の柱がくっきりみえた。はじめ人工衛星かと思ったが、どうもちがう。しばらくみていた。しらべてみたら、街灯や漁火など人口のひかりが、大気中の氷晶に反射してみえるという漁火光柱という現象かもしれない。家の窓からもまだみえていた。


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2023.9.24 日
 すっかり秋の風。六月から稼働しっぱなしだった除湿機をとめた。水の底に降りてきたようなしずけさ。首から肩、肩甲骨にかけてひろくじんましん。幼なじみのちーちゃんと香菜軒寓。ひさしぶりの野菜だけ定食、おいしい。妙本寺は、日曜の鎌倉でもほとんど人がいないお気に入りのお寺。ソンべカフェで、かぼちゃの温かいチェー。マテ茶と玄米コーヒーでおしゃべり。たのしかった。


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2023.9.25 月
 夜、山から家に帰るとき、三浦半島の海にもうすぐ満月になる月の明かりがさんぜんとふりそそいで、海が真っ白にひかっているのがみえた。


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2023.9.26 火
 風邪っぴき。真っ黄色の鼻水。ふらふら。片山令子さんの「惑星」を昨夜から読む。なんてすてきなエッセイ集だろう。「花のような服」、「豆の花 豆の莢」「人生のような花束」「ささめやさんのパールグレー」、岸田衿子さんのことを書いた「悲しみを残さなかったこと」。どのことばもうつくしくて、なんどもなんどもくりかえしおなじところを読む。片山さんのエッセイをここにすべてひけないから、片山さんが引用されていた、岸田衿子さんの「ソナチネの木」から一篇。

草が枯れるのは
大地に別れたのではなく
めぐる季節に やさしかっただけ
つぎの季節と むすばれただけ

岸田衿子「ソナチネの木」より

 さいきん詩になじんでいる。昔、いわさきちひろさんの美術館で「昼は詩をよみ、夜は星をよむ」と書いてあった。
 夜なのに詩をよんでいたら、どこからきたのか、カマキリがアクロバティックに放射線をえがいて、ぴゅーんと飛んできて本棚にとまった。Yがおそるおそるつまんで逃がそうとしたら、こんどはYの背中に飛びのって、しばらくぴんぴんしていた。かまきりは、英語でmantisで、Praying mantis(祈る虫)ともいうらしい。mantisはギリシャ語からきていて、予言者の意。





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