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どうして木を植えたのですか


2023.10.10 火
 お向かいのTさんに高枝ばさみをお借りし、庭の柿をどっさり収穫。四十五個くらいあった。鳥のためにすこしはのこしておく。どれも小ぶりで、傷もあったり、つぶれていたり、ひとつとしておなじ見た目はなく、それぞれがいくつもの色のグラデーションをもっている。
 さっそく切ってみると、甘すぎず、実が締まっていて、丈夫な種もちゃんとある。いのちとしての矜持のようなものをひしと感じるたべものを、いただくことのありがたさと大切さを思う。こういうものを、人間の小細工で種をなくしてしまうとか、みんなつるつるぴかぴかのおなじ色と形にしてしまうとか、そういうことがあたりまえにされている。

 昼にかぼちゃ煮、なすとしらたきの蒸し炒め、ピーマンとオクラ蒸し、キャベツと絹とうふの味噌汁。夜は残りものに、じゃがいもとキャベツを米粉でお好み焼きふうにしようとして失敗したもの。
 ウルフのエッセイ「病むことについて」を読む。タイトルにもなっている「病むことについて」が最高におもしろかった。病気になるときのことを、こんなにみずみずしく、こんなにゆたかに、こんなに後味よく書けるなんて。この先スルメみたいになんども噛みしめて読みたい。
 源氏物語についてのエッセイもすてきだった。紫式部が「真の芸術家は、人びとが実際に使うものに真の美を与え、それらに伝統が定めた様式を与えようと努める」といっていた、と書いてある。

「すばらしいものはありふれたものである。途方もないものや大言壮語、意外なものや一瞬だけ印象深いものに感覚を痺れさせられるままになるなら、もっとも深遠な喜びをだまし取られてしまうだろう。」

「しかし、あるがままの、ありふれた山々や川々、どこにでも見られるような家々は、真の美と調和した形をそなえており−このような光景を静かに描くこと、あるいは、世間から遠く離れて折り重なる親み深い生垣のうしろにあるものや、つつましげな山の上に立つこんもりと茂った木々といったものすべてを、構図、均衡その他にふさわしい配慮をしつつ描きだすこと−そのような仕事は最高の名人の最大限の技能を必要とし、なみの職人には数知れぬ間違いを必ず犯させるにちがいない」

『源氏物語』を読んで より

ヴァージニア・ウルフ「病むことについて」(川本静子編訳)

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2023.10.11 水
 Tさんに高枝ばさみをお返しにいって、とれた柿をすこし渡したら、もらいものだけどと「迎春」と書かれた缶ビールをもらった。昼は残りもののトマトソースで蒸しごはん。夜にラジオ録音二本。
 ねる前、ベランダにでてぼっとしていたら、柿の木から枯れ葉が一枚かさ、といって落ちた。たしかに、地面に、落ちた。夜に似合わない、とても大きなおとで。還っていく。さいごのばしょへ。すこしすると、むこうの家の木からも枯れ葉が一枚落ちるのがきこえた。 


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2023.10.12 木
 九月末ごろから首と鎖骨まわりのじんましんがとまらず、ビラノアという抗ヒスタミン剤をのみはじめる。図書館で北村民雄「いのちの初夜」を借りる。平塚で十割のなめこおろしそばをたべ、大磯で牧野伊三夫さんの展示をみる。そばのカフェで大磯早ずしをひとつ買ってたべる。相模湾でとれた未利用の鯖を大磯の柑橘酢でしめて、笹の葉にくるんだもの。いいにおい。おやつに焼き芋をたべているとき、セラミックの歯が欠けた。
 夕方さんぽにいくと、地下通路で、ひさしぶりにオカリナみたいな楽器をふいているおじさんをみた。曲は夕焼け小焼け。台南の女の子を、また思いだす。あの日、スコールが降ってきて、駅前の地下通路へにげこむと、年のわからない女の子がフルートを吹いていた。森の木々やきのこみたいに、せかいじゅうのいろんな場所や時間が地下ではつながって脈うっているような気がする。
 おでんの具をあたためたもの、ピーマンと椎茸の蒸したの、焼いたたらを海苔でまいたものをたべる。夜、庭の木をあらためてかぞえてみる。十六本。名前がわかるものだけでも、椿、花蘇芳、柚子、金柑、柿、山椒、イヌビワ。ほぼ横一列にならんでいる。ふと、この家の持ち主にたずねてみたくなった。どうしてこれらの木を植えたのですか。わたしはこれから、どんな木を植えたらいいですか。


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2023.10.15 日
 昨日から三島でワークショップの手伝い。朝、はげしい雨のなかを、一直線にあるいて清水町のおむすび屋さんへ。六時からやっていて、むすびたてを出してくれる。高菜で白むすびをくるっと巻いた目張りむすびとこんぶ、切干大根煮とひじき煮もつけて、店内でたべた。お揚げの味噌汁は無料。ぎゅっとにぎらずふわふわで、ふっくらして、口のなかでほどけた。ほろほろの具は、米とおなじくらいぜいたくにつまっていた。ちょこ、と添えてあったたくあんもまたおいしかった。
 来た道をまっすぐもどり、こんどは三島大社をこえた先にもうひとつ、おなじくお米屋さんがしているだんごとおにぎりの店へはしご。おやつにごまだんご、よもぎだんご、いそべ、ごまみそだんご、夕食用に麹納豆、金時豆煮、こんぶむすびを買う。米と豆、このふたつがあれば、どこにいても生きていける。
 雨上がりの昼、金木犀の匂いのなかをまた歩いて、宿へかえった。三島大社では七五三の人びとがいた。ワークショップがおわって、あそびにきてくれた中学の同級生と、高校の同級生のバーにいく。どんなに時が経ってもこうして会える人がいることが、うれしい。

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2023.10.16 月
 一日だけの外泊でも、家にかえるとほっとする。この枕、このふとん、この台所。わたしの生活の場所。家のほかになにもない、店もネオンも人ごみもない、しんとした家のまわり。秋のすがすがしい空気と、高い空と、くっきり見渡せる静岡の山々。
 からだはゆっくり休みたいと言っていたけれど、仕事をした。昼はさっくり炊けた麦ごはん、最近はまっている豆腐でつくる卵ふうサラダのきのこ和え、甘いなすの素焼き、ほくほくじゃがいものグリル、今季初ものの里芋煮、蒸しオクラ、さわら塩焼き。昨日とはうってかわって、夏日。しごと中暑くてキャミソール。




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