"ネイティブ定型"じゃないんだからしょうがないよね
世の中に対して言いたいことの集大成かもしれない。
発達障害について5年半考えたこと
定型発達という公用語
定型発達的な言動は公用語に似ている
日本における非定型発達者の置かれている状況は、ネイティブアメリカンの集団の中で自分だけ日本人みたいな状況
ヒトの集団には少数の非定型が必要だった仮説 [1]
増えつづける発達障害・精神障害
日本は人口あたりの発達障害の診断数が多すぎ&増えすぎ
「小学生の2人に1人は発達障害」とか言い出す日が来そう
「精神障害」とか言われるとムダに負い目を感じてしまう
脳の多様性と「新しい資本主義」
人権用語だったはずの「ニューロダイバーシティ」が日本ではなぜかビジネス用語・経済用語として普及している
環境に合わせすぎる「過剰適応」は問題視されづらい
あまりにも多くの市民が適応できない社会は「健常」か
茂木先生は発達障害か?
社会的に成功しているかでも経済的に有用かでもなく「その症状で本人が困っているか」が重要
ならば未来の茂木先生やグレタさんを「療育」してしまっていいのか
そもそも「正常」とは何ぞや?
コミュニケーションに正解はあるか
ASDは共感力が低い?
2015年に米田英嗣准教授らがASDの共感性に関する実験結果を発表。[2]
ASDとエンパシー
上記実験に対する私の考察。
情動的共感:本能的なもの、直感的なもの
認知的共感:技術的なもの、知性的なもの
ASDは定型発達に対する認知的共感を培わないと生きていけないが、逆はそこまででもない。日本人はアメリカ留学するとき英語を学ぶが、アメリカ人は多言語をあまり学ぶ必要がないみたいなイメージ?
嫌われようとも正しいことを
ASDは好かれることの優先順位が低い
ゆえに事なかれ主義を打ち破る銀の弾丸になりえる
今この国にむしろ必要な性質(だからこそ抑制される?)
定型は恵まれているのか
社会は定型に合わせてつくられている?
社会は定型を管理しやすいようにつくられている
しかし定型が希望を持てるようにはつくられていない
若い世代ほどレールの上に現実的な希望がない
肉屋を応援する豚になるな
発達障害が増えているのではない
「健常」の基準が吊り上がっているのが実態
レールから外れられることは長期的にはむしろラッキー
困っている"本当の原因"はなんだ?
屈折した労働倫理や時代遅れな道徳規範が発達「障害」や二次障害を生み出している側面がある
「発達障害の二次障害」ではなく「労働の二次災害」
英語を話したがらないフランス人の
プライドの気品の高さから学べるものがある
おまけ1:思考実験
ASD精神科医あずささんの「アスペ国の定型族」
おまけ2:よむ処方箋
サイエンスライターのブログ(よみやすい文量)
オススメ本
大人になってからアスペルガー(今でいうASD)と診断されたカウンセラーの著書。
下記参考文献にもあげている、発達傾向があると自覚している精神科医の著書。ASDとADHDの両方をもっている人に特にオススメ。
参考文献
[1] 正高 信男. ニューロダイバーシティと発達障害: 『天才はなぜ生まれるか』再考. 北大路書房. 2019.
[2] 本田 秀夫. 発達障害 生きづらさを抱える少数派の「種族」たち. SBクリエイティブ. 2018.
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?