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【小説】紐尽きじいさんとまさかのスカンク

じいさんはしょぼくれた身体にオーバーを羽織っていたが、僕がそのじいさんに目を留めたのも単なる偶然だった。もし僕がその日受験に失敗し、しょぼくれていなければ、じいさんの事なんて気にも留めなかっただろう。事実、じいさんは誰の心の中にも存在してはいなかった。何故なら、じいさんは悟ってしまったからだ。この世の真理を、1つだけ。

 世の中の人と人は紐で結ばれており、それは人間のようにコントロールできない。それらを全て操作したいのであれば、紐を全て相手に渡してしまうしかない。

 悲しい事にじいさんは、その真理を話す相手を持たなかった。話せば紐が2人を結び付けてしまう。そしてその紐を相手に渡すには、相当の労力を要するから。じいさんは紐を1本も持たなくて済むよう、懸命に努力した。僕はそのじいさんを紐尽きじいさんと呼ぶ事にした。僕には、じいさんが紐を避けているのではなくて、紐がじいさんを避けているように見えたからだ。

 じいさんは常に食を欲していた。じいさんは労働する事は出来なかった(そんな事をすれば紐がじいさんに結ばれてしまう!)から、じいさんが食を手に入れる方法は万引き以外になかった。じいさんはいつも、僕がバイトしているスーパーで万引きした。それに気付く人はいなかった。じいさんは誰にも気付かれないから。

 でもある日、じいさんは、僕がバイト後に食べようとしていたりんごを盗もうとした。僕はちゃんと警告したのだ。けれどじいさんには見えていなかった。じいさんは、何もかもを朧げに見る能力を身に付けていた。そして、朧げにしか見る事が出来なくなってしまっていた。じいさんがそっとりんごに手を伸ばすから、仕方なく僕は行為を実行した。

 じいさんのオーバーと皮膚には、一生消える事のない匂いが付いた。じいさんが辺りを見回す。じいさんの中に一瞬湧き上がった恨みが、僕のせいで少しばかり見えにくくなったじいさんの目に、つまり、見えにくくなった反動で世の中をちゃんと見ようとしてしまったじいさんの目に、僕を捉えさせた。

 その時、じいさんと僕の間に、紐が現れて僕達は結び付いてしまった。その紐は、じいさんにも僕にも見えてしまう。じいさんの顔に生気が宿る。表情が、現れる。


 じいさん、僕達はまだ死ねないよ、紐はいつまでも僕達を地獄に引き摺り込むんだ。だからそっとずっと、生きていこうね。いつか何も見えなくなる、その時まではさ。

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