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美の再発見_さくら

はじめまして。「せん」と申します。
「阡」と書いて「せん」と読みます。読みにくいですね。
でも実はそれがねらいだったりします。

このnoteでは「美の再発見」と題して、普段の生活の中で発見した「美しいもの・こと」を僕の考えとともに綴りたいと思います。
記念すべき第一回は「さくら」について。

「さくら」というとみなさんはやはり春を想像するのではないでしょうか。僕も同じです。春に咲く花は桜だけではないのに、花見といえば、桜の花見と決まっている。それだけ日本人は桜に思い入れが深いのです。
では、どうして桜は「さくら」というのでしょうか。今回の美の再発見はここにあります。

かつての日本には稲の神で「サ神(さのかみ)」という神がいたそうです。人々は田植えの時期になると、このサ神を迎えて祭り、その年の豊穣を願っていました。その月、つまりサ神をお迎えする月を「五月(サツキ)」といい、田植えのためにサ神が空を乱し、雨を降らせる、その雨のことを「五月雨(サミダレ)」、その田に植える苗のことを「早苗(サナエ)」、植える女性は「早乙女(サオトメ)」といいます。そしてサ神が宿る場として「桜(サクラ)」があるわけです。クラとは神座のことです。桜はサ神の現れそのものとみられ、その咲き具合をもって秋の実りを占っていたそうです。花見という行事はその年の穀物の実りを占うために行われていたわけですね。

いかがでしょうか。
「桜・五月・五月雨・早苗・早乙女」、接点のない別々だと思われた言葉が実は同じルールでくっついていました。そしてそこから花見という行事の別の側面が垣間見えました。もちろん、桜の語源に関してはこれだけではなく諸説アリなのですが、僕にとってはそれが正しいかどうかはあまり問題ではないんです。重要なのはその仮説を信じてみることで、普段は意識していなかった生活の一部がなにか別なものと繋がったり、輝きはじめたりすること、その人の「せかいのみえかた」が変わることが重要だと僕は思います。その感覚を「美の再発見」と言うことにしましょう。
ではまた「せかいのみえかた」が変わった際に。

Gerry Mulligan 《Festival Minor》を聴きながら。
特にジャズに詳しいわけでもないんですけど、時々聴きたくなる曲です。夜に聞くのがいいです。というか夜に聞かせてあげてください。

阡-sen


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