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パートナー・プロデュース(α版)<その3>先立つもの「お金」について試考する

◼️そうは言っても、人生にはお金が必要だ(?)

 パートナー・プロデュースの3回目です。個人の人生の積み残しについて、ペア生活(ここでは主に結婚生活を想定)でのパートナーと一緒に探求し、サポートし合う暮らしがあるのでは?、という試考でした。今回は、何が「人生の積み残し」なのかについての深掘りをします。

 と思ったのですが、少し立ち止まってます。

 というのも、パートナーとの生活で「人生の積み残し」の前に積み込まなければならない日々の出来事があるわけです。仕事、家事、育児であり、突発的な怪我や病気。たまには旅行や娯楽だし、しかたないけど公共の手続関係もやらねばなりません。 これだけ忙殺されてれば「そりゃ、人生の大切なことだって、積み残されまっせ」とも言いたくなります。

 その延長線上にあるのですが、「人生の積み残しをなくそう!」挑戦・健康・人間関係、は人生の根幹です。積み残しは人生の後悔につながります。と、説いた瞬間に、「先立つものがあっての人生です」と切り返したくなる気持ちもあるでしょう。わかります。まずは稼いでから、まずは貯金してから、まずはお金の心配がなくなってから・・・云々。

 生活思創で収入は改善できませんけど、お金に関して別の見立てを組むことはできます。少しは精神衛生を改善できるかもしれません。見通しが良い中で日々を生きることが生活思創の核心なのです。ということで、先立つものの代表、お金の登場です。

◼️「お金」は、人生の積み残しに先立つ気がかりの一つ

まず、「人生の積み残し」の話の中でのお金の位置付けについて。


図表69

 人生の積み残しを成就&成仏させて、人生の後悔を減らすという文脈のなかでお金の場所を眺めてみましょう。図表69にあるように、お金は「気がかりを作ります」が、同時に「気がかりを消す」こともします。
 典型的なパターンは、貯蓄が少ないと将来が不安なので、まずは、収入を高めて貯蓄し、これで将来への不安が消えたなら、やおら、人生の積み残しを成就することにチャレンジしよう!、なんて算段です。間違ってるとは思いません。ただ、「お金の不安が消えてから」という時間的な流れには疑問があります。これから、それを説明しましょう。
 結論を先行させると、お金は気がかりを消してくれるけど、気が晴れることには貢献しません。人生の気が晴れることは、お金とは別の行動が必要なのです。極端な質問ですが、膨大な財産があったら人生の後悔は無くなりますか? 気が済みますか? お金はあの世に持っていけないし、この世で使い道がないなら単なる紙(預金なら単なる記号)です。むしろ、大量に残ったお金って、死に際の気がかりの一つになっちゃうんじゃないでしょうか? まあ、小生も気がかりになる程お金があったらどんな気分なのか、知りたいけどw


◼️お金を起点に、その「対になる何か?」を想定してみる

お金について、試考の入り口を設定してみましょう。「気がかりを消す」に貢献してくれるのがお金なら、もう一方の「気が晴れる」に貢献してくれるものは何かな?、って考えてみます。お金単体がカバーできない人生の積み残し、ってことは、他にもカバーしてくれる「見落としている何か」があるはずだ。

図表70

図表70は圏論的なアプローチでつくった表です。(像・射・余像の用語はスルーしても大丈夫)
 人生の積み残しの話の2タイプ、成仏ー気がかりを消す、を上段にして、下段を成就ー気が晴れるで並べています。お金の対称性を考えてみると、下段のボックスに「?」があります。対称性で考えるとは、「?」には何か入るはず、と仮定するわけです。したがって、オレンジからグリーン・右側にかけて、「?」に自分にとって見通しの良さを感じさせる単語が何かを試考します。

小生は「好奇心」を、お金と対峙する対称概念として入れてみました。

 これはあくまでも小生の「お金と対になりそうなもの」への仮説です。何が入ってもOKですが、「見通しの良さ」がキーワードであり、書き手に清々しさと穏やかさをもたらすものかどうかで判断します。ここあたりの手続き論は、「生活思創を試考する」へ



<小ネタ・はじめ>

この展開は、以前、小生がリファレンスに書いたものに近いものです。「お金」の反対語が「お金がない」、または、「お金はいらない」になっちゃうと、いつまでたってもお金から抜け出せません。リファレンスでは、学歴についての反対語が何かについて書いてます。「学歴」の反対語が「学歴不要」では、学歴を強化することにはなっても、学歴の呪縛圏からは抜け出せないからです。

<学歴の反対語は何か>

学歴をポジティブ・ネガティブの関係から解放するために、「学歴の反対語が学歴不要」という見立てを放棄してみようと思うのです。で、その反対語とは「作品」ではないかと。
 
       学歴⇄作品

第三者が参照できる「あなたの才能の軌跡」が作品です。
そして、学歴が第三者が参照できる「あなたの所属の軌跡」です。


作品といっても創ったものすべてが作品と呼べるわけではありません。学歴への関心度合いと同等に渡り合えねばならないでしょうから、そこに対峙できているぐらいの存在感は作品に求められます。学歴にグレードらしきものがあるように、作品にもグレードらしきものが存在します。また、作品はモノに限りません。お店を開業した、サイトを立ち上げた、プログラムを提供した、イベントを主催した、でもOKなのです。そう、作品は「あなたの生き様の見える化」とも言えます。

ただし、留意してください。お店・サイト・プログラム、イベントは「ああ、これをやったのがあなたなんですね」が成立するためのきっかけでしかないのです。学歴も他者判断のきっかけでしかないようにね。実のところ、作品が鑑賞者側に、「あなたと一緒に働きたい」「あなたの話を伺いたい」に結実した時、完全に学歴を凌駕します。相手はもうあなたの出身校には興味を失った状態になっているからです。

もちろん、作品はクリエイティブな世界ですから、簡単にできるものでもなく、一人で完結しないような複雑さを持ったものもあるでしょう。でも、作品は世に出たなら、もう「あなたの才能の軌跡」です。履歴書のような退屈なスペック表から解放されたいのであれば、「え!? あれってあなたが創ったの?」ぐらいの反応を引き起こせる作品(ビジネスであれ、社会活動であれ、もちろん芸術作品だとしても)が欲しいところです。

2017年小生のリファレンスから

 やや難しいけどシンプルにすると、「パワーワードに相補性を与えて、パワーを和らげる」ってことだと思うんですよね。世界の全てに見えていた一人勝ちなものから、対峙するもの(分析哲学的には必ずある複合性)を創出して、世界の輪郭を感じさせられるようにする行為、とも言えそう。「お金」がいつも優勝する人生リーグは退屈なのだ。
 徳川家康が幕府を開くときに、統治のために強大な権勢を誇っていた本願寺を西と東に分けて、意図的に対峙させて力を分断するような?・・・ますます謎な例えで、すんません。

<小ネタ・おわり>



◼️「気が晴れる」ための好奇心を、お金で分解するw

 ここからが生活思創の真骨頂なのだが、お金が持っている誰もが当然と思っている文脈に乗せて、好奇心を分解してみます。当初は関係の全くなかったお金から、好奇心に対して深掘りのきっかけを拾っていくのです。


図表71

図表71の手順を試考してみます。小生は好奇心を対として選んでますけど、あなたが他の単語の方を選んで「見通しが良い」と感じるなら、その単語でも❶ー❹のステップが効きます。ぜひ!お試しを。

ステップ❶
お金という単語が持つ慣用句を並べてみる


・「お金」→「お金の支出」 思いつくままの機械的な操作

ステップ❷
お金を好奇心に差し替えてみる


・「お金の支出」→「好奇心の支出」 なんか変、っていう気分を起こす


ステップ❸
そのままだと意味が通じないはずなので、ニュアンスが近いこなれた単語に置き換える


・「好奇心の支出」って何かな?→人生積み残しに関して、何かを「好奇心からの表現」にするってことかも?(自分にとって見通しの良い仮説)


ステップ❹
※オプション:今度は、好奇心側で新たに出てきたキーワードをお金に逆流させてみる


・人生積み残しの中にある推し、って誰かに自分じゃできない願いを代替している→ホワイト・シャドウか? 
 ならば、「お金を貯金する」ことへの固執って、一種のシャドウかも?

だいたいこんな感じです。こうなると「人生の積み残し」を成就させるための好奇心が、お金と同じぐらいの解像度に上がるわけですね。

※ステップ4のシャドウの話を追加説明すると、お金を貯金することが問題ではありません。お金を貯金することに固執し過ぎて、通帳の数字を見ながら至福を感じるようになったなら、これはやや心の中に影(シャドウ)ができている、っていう意味です。ちなみに、推し過ぎのホワイト・シャドウ(ゴールデン・シャドウとも言うようです)の意味は、本当は自分がチャレンジしたいのにブレーキ踏みすぎて自分じゃできないって封印してしまい、誰かに代わりを投影し、ひたすら過剰に憧れてしまう、っていうやつです。これも一種の心の影(色違いのシャドウ)です。

 日々の生活で、自分の好奇心に忠実に生きることは、お金に忠実に生きることと同等の意味がある、そんな展開を可視化しています。「(人生の積み残しを成仏させたいが)お金がない」への唯一の方策は「お金がある」ではなく、「(人生の積み残しを成就させたいので)好奇心の赴く何かを表現する」ことでも、釣り合いが取れるってことなのです。

 小生ペアは東京時代ほど稼げてません。でも、小生が生活思創を書き続けているように、また、相方がアートと手仕事に入れ込んでいるわけですが、人生の積み残しへの成就には近づいていると言えます。遅々としてたとしても。すると、これら「気が晴れる」ための活動は「好奇心の支出=何かの表現」ですから、「気がかりを減らす」ための活動の「お金の支出=先立つもの」を補う行為にもなっている、と言えます。

 まとめとしては、お金への関心はほどほどにして、もう一方にも意識を集めましょう(ここでは好奇心の活用)ということです。そして、お金は先行するものではなく、並走するものなのだ。並走すればするほど、人生に必要なお金は減っていくのです。 
 
人生の積み残しを考えるとき、どうしてもお金にモヤモヤしてしまうのは、「並走させるものが何かに関心を向けなさい」というサインだと考えてみてはいかがでしょうか。

 好奇心を満たす日常の体験、好奇心を刺激する推しの存在、好奇心の赴くままに起きる妄想。どれも、お金を使ったり、稼いだり、貯めたり、増やしたり、と同等なのだって思うと、今日も相方は結構、稼いできたな(好奇心を満たす体験行動をした)とか、明日は自分も散財しよう(好奇心に従った表現活動をする)とか、お金とパラレルな見立てもできるのです。
 すると・・・

「人生の積み残しには、まずはお金だな」
「人生の積み残しには、まずはお金と好奇心だな」

・・・だと、2要素(金・好奇心)の方が荷重が分散される感じがしませんか? 人生の積み残しを見ないふりするのは弱まるのではないかと。

 まぁ、きっとみんなが直感では分かっていることを、背中を押したい一心で余計なお世話的に図像化したかっただけなのかもしれませんね。

<追記>
大昔ですけど、宮崎駿がアトリエで原画制作の作業している場面を映したドキュメントを見ました。「ずーっとこの作業をやっていたいのに、腹が減る。お腹に引き出しがあってカパってそこに飯をいれて終わりになればいいのに」(うる覚えですのでニュアンスで書いてます)なんて感じのことを言っていたのが印象的でした。この作品を世に出すことに人生を賭けている、つまり、気が晴れるであろう(好奇心の結晶化)という状態を目指すなら、食事はなんでも良いんですね。予約した三つ星レストランでゆったりワインとともに優雅な時間を過ごすことが邪魔に見える時さえあるわけです。

 アイデアが降りてきて強烈な集中できている状態(好奇心が結晶化したもの?)は、作品によって「気が晴れる」道筋です。 こんな時、いくらお金があってもしょうがないのです。気を晴らすために使うのはコンビニのおにぎりやカップ麺で十分なんです。

 人生の積み残しを本気で成就しようとしている状態が増えれば増えるほど、お金への関心は下がります。つまり、人生で使いたいお金の額が減るのです。ここでは好奇心と書いていますが、成就させたい人生の積み残しを特定できれば、気を晴らす準備は整っています。

 とはいえ、この積み残しの特定には一人じゃあ、きっと限界もあるでしょう。宮崎駿ほどの人生の成就への自走力がないのは致し方がないですけど、お互いの回想・仮想を語り合えるパートナーと壁打ちしたり、揺らぎを与え合ったりできるにこしたことはないよね、ってな話にパートナー・プロデュースが繋がるわけですな。

Go with the flow.


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